瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 一昨日(6月4日)の夕刻5時過ぎKH氏が、続いてAK女史が、我が家を訪ねてくださいました。いずれもYA医師との縁が深い人と考えて、YA医師の急死と葬儀日程を報せたのでYA医師の通夜に参加のため、久し振りに爺を訪ねて我が家に寄って下さったものです。
 6時にお二人と爺婆の4人で、通夜の会場に向かいました。会場には既に長蛇の列が出来ており、聖天公園の入口のところにテントの記帳所で設営されていました。記帳を済ませ、A医院の横に設営されたテントの受付で記帳したカードを提出し、列に加わります。兼愛塾の草創期には中学生であったWO夫妻、TY氏も一緒に列に加わりました。
 
何時もの待合室には沢山の献花が飾られ、狭く長い通路にも献花がならんでいました。表(おもて)には造花の花輪は無く、室内も生花(せいか)ばかりでした。
 会場には大勢の人々が並び焼香も「1回だけにして下さい」と係りの方から念を押されるほどでした。ゆっくり遺影を拝むことも出来ず、狭い階段の通路を上り下りしてそそくさと表に出ました。表には、まだまだ沢山の会葬者が列をなして並んでいました。

 昨日の正午前に、MA氏が我が家を訪ねて下さった。MA氏は爺が兼愛塾を始める以前からの友人で、YA医師とも旧知の間柄でしたので、この爺から今回の訃報を報せたものでした。爺もMA氏と膝を突き合わせてお話をするのは、50数年ぶりで懐かしくお話できた。これもYA医師が逢わせてくれたものだと昔を懐かしんだのでした。

 正午過ぎにMA氏と私達夫婦の3人で告別式の会場に出掛け、焼香後出棺を見送るまでいました。
式後我が家でMA氏と爺婆の3人でビールで献杯を捧げ、午後3時過ぎまで想い出の昔話で過ごしました。

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プロフィール
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目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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