六朝(りくちょう)・梁代の殷芸(いんうん)が著した『小説』に、「天の河の東に織女有り、天帝の子なり。年々に機を動かす労役につき、雲錦の天衣を織り、容貌を整える暇なし。天帝その独居を憐れみて、河西の牽牛郎に嫁すことを許す。嫁してのち機織りを廃すれば、天帝怒りて、河東に帰る命をくだし、一年一度会うことを許す」(『月令廣義』七月令にある逸文)という一節があり、これが現在知られている七夕のストーリーとほぼ同じ型となったという。
日本語「たなばた」の語源は『古事記』で天若日子(フメノワカヒコ)が死に阿遅鉏高日子根神(アヂスキタカヒコネ)が来た折に詠まれた歌にある「淤登多那婆多」(オトタナバタ=弟棚機)、又は『日本書紀』葦原中国平定の1書第1にある「乙登多奈婆多」に因む。日本では奈良時代に節気の行事として宮中にて行われていた。
『万葉集』卷10春雜歌2080にある「織女之 今夜相奈婆 如常 明日乎阻而 年者将長」(たなばたの 今夜あひなば つねのごと 明日をへだてて 年は長けむ) など七夕に纏わる歌が存在する。(Wikipedia百科より抜粋)
今朝の徘徊は、七夕の飾り付けか終ったという合羽橋方面にでも行ってみるか。 只今4時50分。
ありゃりゃ、出掛ける準備をして玄関まで降りると、外は雨。しばらく待ってみたが、本降りに。
江戸通りを南下、浅草小学校と花川戸公園の間を抜けて、馬道通りへ、さらに南下、伝法院通りを通り抜けて、国際通りへ。
川ぷちの道と違って、道の熱気が凄い。それに夕刻とあって仲見世や伝法院通りは人が多く、とても歩きにくい。
只今改装中の今半の所から合羽橋商店街に入る。こんなに飾り付けがしてある割には人出が少ない。昼間かなり降った所為かな。
台東区の学習センターの前を通って言問通りに出ると、そのまま東進。猿若町を通って帰宅した。
今日は日曜日、本来ならば、「うろつきどんたく」の日なのであるが、入谷鬼子母神の朝顔市は、世界のお偉いさんが日本にお国入りとのことで、この大東京にテロでもあってはと、警戒のお廻りさんがそちらの方に廻され、おじゃん。2週間ほど日延べになった。昨夜の天気予報に拠れば、明日は本年度では最高気温を示すだろということである。というわけで、遠出する気にもならず、うろつきはあきらめてしまった。
すると、家内の婆様が明日の朝の徘徊に、付いていくという。というわけで、今朝は5時に家を出た。
吾妻橋をわたり、何時ものコースで白鬚橋の袂の隅田川リバーサイドなんとやらのデカビルの広場の前で、婆様体操を始めだした。その間爺は下の親水テラスに降りて、一休み。
婆様に爺の写真を撮ってもらうが、シャッタプッシュが下手糞で写っていない。まあ、これとても映像確認をしなかった爺が悪いというわけ。
やおら、これから白鬚橋を渡って帰途に着こうかと橋の渡り口に通じる坂道を降りようとしたとき、この坂道を登ってくるワンさんに出会う。2・3会話を交わす。
桜橋にかかろうかという所で、爺婆の横をジョギングで駆け抜けた若者がいた。婆様が
「あれKちゃんじゃない?」というので、爺も駆け足で追いかけてみると、婆様の言うとおり、前のお家(うち)の旦那さまであった。朝、出会うことなど滅多にないことなので、デジカメに納めた。
おやおやカメラのバッテリーが充電切れの警告を発している。
今日は日曜日、言問橋 脇のテラスで釣りを楽しんでいる人がいる。爺が浅草に来た頃はこの辺りは溝(どぶ)川にもまさる、悪臭が漂っていたのに、何が釣れるのかは知らないが、釣り糸を下げる人で賑わっている。なんとも不思議に思えるのであった。
隅田公園を抜けると吾妻橋を渡り、親水テラスには降りずに厩橋まで南下。厩橋を渡ると江戸通りを北上。駒形の示現堂から並木通りを抜け、雷門から仲見世通りを北上。宝蔵門をくぐって本堂前で、トールちゃんが愛犬ココアをつれて、ご婦人と話しているのに出会う。おそらく犬談義に花を咲かせていたのであろう。
観音裏から言問通りを付ききり、柳通りに入る。この辺りは秋田本庄藩の六郷の殿様の下屋敷のあった所で、本庄藩の名勝地「象潟」に因んで、浅草象潟町と呼ばれていた。
そんなこんなで、平成5年からこの地は秋田県象潟町と姉妹都市提携を結び、いまではこの秋田の名勝地を訪れいたく感動した芭蕉の奥の細道の句が、町並みの街灯の袂に記されている。
秋田象潟町からめんこい秋田おばこが来て、見番前の仮舞台で、西施の舞を踊って見せたのは、まだ記憶に新しい。
今戸1丁目の称福寺の墓地は通りに面している。亀田鵬斎の墓が見えたので、デジカメに納める。
吉野橋の近くには、江戸中に名のとどろいた八百善があった。瓜となすの粕漬けに煎茶で一両二分もとったという高級料亭で、文化九(1812)年三月末に初かつお17本が入荷したとき、八百善は二両一分ずつで3本を買ったという。太田蜀山人も「詩は五山、書は鵬斎に、狂歌われ、芸者おかつに料理八百善」と詠っている。
昨日、今戸神社についてひと言書いたので、今戸神社の説明板もデジカメに納めてきた。なお、ここ今戸神社は新撰組のハンサムボーイ沖田総司の終焉の地であるというが、真偽の程は判らない。
今日は朝から、雨。只今10時20分。昨夜かかって来た電話で話した爺の話の内容が、筒抜け。まあいい、別に隠し立てをしてるわけじゃない。テメエで喋ったことはテメエで責任を持ちましょ。徘徊も行けずうつらうつらしていたが、いつの間にか外は晴れ渡っている。まあ、ブログでも書くか。
巴里祭でのAnnabella
今日はFourth of July 1776年に、アメリカ独立宣言が交付されたことを記念して設けられたアメリカ合衆国の Independence Dayである。それから100年後の1876年、100周年を記念して、アメリカの独立を支援してきたフランス人民の募金によって贈呈され、自由の女神が設立されたという。 イギリスがアメリカの独立を阻止しようと輸送船をアメリカに送ってくると、それを止めたのは全部、フランス海軍であるという。独立戦争の14年後にアメリカ憲法ができ、同時にフランス革命が起きた。フランス革命とアメリカの民主主義とは非常に密接な関係があったのであろう。
7月1日のブログで、この爺の記憶違い「今日は巴里祭…」と書いたものだから、ヤントさんから、巴里祭は7月14日ではないかという指摘を受けた。まったく、その通りで戦後フランス映画ブームがあり、「自由を我等に」「巴里の屋根の下」「ル・ミリオン」などのRené Clair(ルネ・クレール)監督の映画を立て続けに観たことがあるが、その中に「巴里祭」というAnnabella(アナベラ=女優)・Georges Rigaud (ジョルジュ・リゴー=男優)の映画があり、その原題が「Le Quatorze Juillet(ル・カトルズ・ジュイエ)=7月14日」であることを聞いたことがあるようなないような。フランス革命は、1789年7月14日、当時は火薬庫であったバスティーユ牢獄を襲撃したことに始る。いずれにしても、アメリカでは独立記念日のことをFourth of Julyと日付でいい、フランスでもLe Quatorze Juilletと日付がそのまま革命記念日とされているらしい。
平成20年度Aチーム
朝起き抜けにメールを開くとマイチ氏から近況を知らせるメールが入っていた。その中に
僕もながいこと 淀四ライオンズファンクラブ http://blog.livedo or.jp/maenoqq1/ というブログをつづけています。(毎日ではありませんが) 自チームが勝つと長く、まけると短いコメントのブログです。
とある。
早速指定されたURLをクリックしたが、なかなか画面が現れないので、Google検索で「淀四ライオンズファンクラブ」を立ち上げることが出来た。その中から平成20年度の写真を借用して、ここに貼り付ける。
今日の徘徊は、何時もどおり南端が駒形橋、北端が白鬚橋のコース。
白鬚橋東詰で、ワンさんとばったり。シアトルママのブログも観ていてるということ。ブログにつして、暫し話し合う。
7月1日は爺の記憶に拠れば巴里祭、明日2日は単純算術計算では1年の真ん中の日になるはずだ。もう半年過ぎたか、たったこの間賀状を書いたばかりではないか。またも、半年むざむざと無為に過ごしたのか? まあ、嘆いたところで致し方あるまい。
シアトルママのブログに写真が付いた。そのうちシアトルの風景が解説付きで観られるかもしれない。
拙痴无爺今朝も、南回りで、徘徊してきた。厩橋袂で体操中のT氏と久し振りに対面。1・2分の歓談。
T氏としばし歓談
竪川の水門を右手に一の橋を渡り、再び親水テラスへ。
親水テラスと新大橋
両国橋の架かる九段通りを横切って、柳橋、蔵前橋通り、春日通り、浅草通り、雷門通り、言問通りを抜けて、帰宅した。
今朝の徘徊は普段の時間を少しオーバーしてしまった。
昨日は日曜、一日中雨。前の日からブログの管理画面がおかしくなった。
すぐに問い合わせはしたものの、一日中みなと外誌の発送準備等で過したが、ブログの書き込みをしないと気の抜けた日になってしまった。
今日(28日午後)になってやっと管理画面が回復したので、土曜の南回りの写真を貼り付けておく。
この日は南回りコースで横網公園を回る。蔵前橋を渡り、西詰めで首尾の松をデジカメに納める。
江戸通りを真っ直ぐに北上、吾妻橋西詰めの松屋前の交差点でワンさん夫妻と出会う。
隅田公園の中を通り帰宅。
どうやらブログの管理画面は正常に復帰しそうにない。
翌日曜日は朝から雨。
昨日のうちに製本を終えたみなと外誌等の発送準備。午後ワンさんの娘御夫妻が挨拶に見える。珠々(すず)ちゃん誕生の内祝いとして、誕生時の体重と同じ重さのお米を頂く。爺のかみさんは「とてもいい、アイディアね」と感心ひとしきり。
朝一のメール(発信は午前2時)に、YR社のS技師からメールがあった。曰く、
メールにありましたブログ集ですが、是非お送りください。メンバー一同、いまから楽しみにしております。
web上のブログも拝見していますが 実際に手に取れる、形のあるものもまた素晴らしいと思います。
送り先は、
○○○ー△△△△ 神奈川県◇◇◇市○○○町△-◇◇-○ K.S
までお願いいたします。
それから、ブログのデータのバックアップと容量についてですが、まず記事のデータのバックアップについては現在なさっているように、マイドキュメントへのコピーなどで手元に保管していただくと、web上のデータが忍者ブログの機器の故障により消えてしまう等の万が一のときも安心なので、これからもよろしくお願いします。
次にブログの容量についてですが、現在使用している忍者ブログは、初期状態として容量100MBの設定がありますが容量が不足しそうになると増量申請(ボタンをクリック)することで容量が増えるという仕組みで、結果、容量に制限がありません。容量に関しましてはご安心ください。
(忍者ブログ公式の情報はこちらのアドレスからご覧ください)
Q.ブログの容量に制限はありますか?
http://www.ninja.co.jp/faq/a/106/
これからもよろしくお願いします。ブログ集楽しみにしております。
とある。
後(うしろ)で、見守っている人々がいるということは大変うれしいことである。もう一つうれしいメール、曰く
先生、 私のブログサイトです。 時間のあるときにのぞいてみて下さい。
http://ameblo.jp/seattlemom/ 仁美
とある。東京とシアトルが大変近くなったように思える。早速ブログを開いてみるとなかなか立派なブログで6月7日から始めたらしい。徘徊から帰ったら、みなと外誌のプリントをしながら、ゆっくり読んでみることにしよう。
今日はどうやら梅雨も一休みか。プリントもあるし、いつもの隅田公園→駒形橋→枕橋→桜橋(渡らず)→白鬚橋→桜橋 のコースを取る。例の白鬚橋と桜橋の中間の剃刀堤防道で向こうから来るワンさん夫妻を認める。カメラを構え仲の好いところをパチリ。シアトルママがブログを始めたらしいことを報告。右手に早朝野球や早朝テニスを楽しむ人たちを眺めながら帰宅する。
昨日の天気予報では今朝は雨ということだったのだが、どうやら降ってはいないようなので5時に家を出る。隅田公園に入ったところで、雨が落ちてくる。そのまま引き返そうとも思ったが、まあ言問橋から桜橋を1周するくらいの間はもつだろうと、言問橋の西詰め公園入り口のところにある東京大空襲の慰霊碑をデジカメに納めた。先日来「原爆の記」のスキャンコピーを送ったりしたので、戦争の惨劇を思い出せたのであろう。
言問橋を渡り、桜橋を通って帰宅した。どうやら雨は本降りになりそうだ。
さあ、これから印刷――どうかプリンターよ、機嫌を損なわないでくれよ。
sechin@nethome.ne.jp です。
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