瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
[72] [71] [70] [69] [68] [67] [66] [65] [64] [63] [62]
 今日は五節句の1つ七夕(しちせき)である。朝の起き抜けに、メールを開くが、皆無。
 六朝(りくちょう)・梁代の殷芸(いんうん)が著した『小説』に、「天の河の東に織女有り、天帝の子なり。年々に機を動かす労役につき、雲錦の天衣を織り、容貌を整える暇なし。天帝その独居を憐れみて、河西の牽牛郎に嫁すことを許す。嫁してのち機織りを廃すれば、天帝怒りて、河東に帰る命をくだし、一年一度会うことを許す」(『月令廣義』七月令にある逸文)という一節があり、これが現在知られている七夕のストーリーとほぼ同じ型となったという。 
 日本語「たなばた」の語源は『古事記』で天若日子(フメノワカヒコ)が死に阿遅鉏高日子根神(アヂスキタカヒコネ)が来た折に詠まれた歌にある「淤登多那婆多」(オトタナバタ=弟棚機)、又は『日本書紀』葦原中国平定の1書第1にある「乙登多奈婆多」に因む。日本では奈良時代に節気の行事として宮中にて行われていた。
 『万葉集』卷10春雜歌2080にある「織女之 今夜相奈婆 如常 明日乎阻而 年者将長」(たなばたの 今夜あひなば つねのごと 明日をへだてて 年は長けむ) など七夕に纏わる歌が存在する
Wikipedia百科より抜粋)
 今朝の徘徊は、七夕の飾り付けか終ったという合羽橋方面にでも行ってみるか。 只今4時50分。
  ありゃりゃ、出掛ける準備をして玄関まで降りると、外は雨。しばらく待ってみたが、本降りに。

f5d7252d.JPG
f46ecdbe.jpg 
0772f170.jpg







6ba023ee.jpg
a726a638.JPG 今日は検診日。朝食後、雨の中をA医院へ。午後どうやら雨も止んだようなので、夕刻合羽橋までひと回りしてきた。
 江戸通りを南下、浅草小学校と花川戸公園の間を抜けて、馬道通りへ、さらに南下、伝法院通りを通り抜けて、国際通りへ。
 川ぷちの道と違って、道の熱気が凄い。それに夕刻とあって仲見世や伝法院通りは人が多く、とても歩きにくい。
 只今改装中の今半の所から合羽橋商店街に入る。こんなに飾り付けがしてある割には人出が少ない。昼間かなり降った所為かな。
 台東区の学習センターの前を通って言問通りに出ると、そのまま東進。猿若町を通って帰宅した。
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
URL
コメント
パスワード Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


小冊子の紹介
カレンダー
10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
最新コメント
[m.m 10/12]
[爺の姪 10/01]
[あは♡ 09/20]
[Mr.サタン 09/20]
[Mr.サタン 09/20]
[ままだいちゅき 09/20]
[ままだいちゅき 09/20]
[ままだいちゅき 09/20]
[爺 09/20]
[ままだいちゅき 09/20]
最新トラックバック
ブログ内検索
カウンター
Powered by ニンジャブログ  Designed by ゆきぱんだ
Copyright © 瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り All Rights Reserved
/