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 「たまゆら」という言葉の出どころは、『万葉集』巻一一、柿本人麻呂歌集の歌です。
   玉響 昨夕 見物 今朝 可戀物
      万葉集巻一一 2391

 この歌は早く平安時代から、「たまゆらに 昨日の夕 見しものを 今日の朝に 恋ふべきものか」(『古今六帖』)と読み慣わされてきました。以後「たまゆら」は『万葉集』に典拠を持つ優雅な歌語として歌人の愛好するところとなります。かれらは「たまゆら」を「しばし」の意に理解していました。
   山賎の麻の狭衣ほすばかりたまゆら晴れよ五月雨の空
            (『元永元年五月右近衛中将雅定歌合』)

 散文の世界にも導入されて、鴨長明『方丈記』に、「たまゆら」と「しばし」を対句に配した例があります。

 それにしても、『万葉集』の「たまゆら」は「しばし」の意で通じるのでしょうか。江戸時代に入って万葉学者たちは、「しばし」の意では一首が釈然としないことに気づきます。
 「玉響」の二字をタマユラと読むことは、ものの揺れ動くさまを「ゆら」と心得るわれわれには違和感がありますが、古代語の「ゆら」には鈴、玉、石などの当たって発する音を写す擬音語でしたから、その点では問題はありません。
   足玉も 手玉も由良(ゆら)に 織る機を
      君が御衣(みけし)に 縫ひあへむかも
        万葉集巻一〇 2065
 これは機を織る乙女の動作と共に、足や手につけた飾りの玉が鳴る音を「ゆらに」といった例です。

   初春の 初音の今日の 玉箒(たまばはき)
      手に取るからに 由良久(ゆらく)玉の緒
        万葉集巻二〇 4493
 この「ゆらく玉の緒」も決してただ「揺れ動く」意ではありません。作者大伴家持は、天平宝字二(758)年正月三日の初子(はつね)の日に天皇から往例の玉箒を賜り、その後の祝宴で、「今日拝領した玉箒は、手に取っただけでめでたい初音をはっしました」と「初音」と「初子」の掛け言葉としてこの賀歌を詠んでいるのです。

 「たまゆら」の語義を玉の音だと解釈してみたところで、「たまゆらに昨日の夕見しものを…」という歌の意味は依然として通じません。「たまゆら」を「しばし也」とする平安時代の語釈は、歌意に適合しないばかりか、なぜ「たまゆら」が「しばし」の意を持ちえたのかという疑問にも答えられません。今日では、「たまゆら」は『万葉集』り原文「玉響」の誤読から生まれた平安時代語に過ぎないのではないかと疑われているのです。
 柳田国夫の弟の松岡静雄(人類学者)は「日本古語大辞典 昭.4」の中で、「古い読み方は“たまゆら”だが、木に竹を接いだような恨みがある。賀茂真淵は“ぬばたまの”と読んで夕べの枕ことばにしたが、この歌の趣から言えば、響という言葉を間違えて“たまかぎる――玉隔”と言う言葉を写し誤ったのだろう」と言っているそうです。

 「たまかぎる 昨日の夕 見しものを…」 「たまかぎる」は「夕(ゆふべ)」の枕詞ですから、第二句への続きに支障はありません。
 「たまかぎる」と言う言葉が「夕べ」の枕詞に使われた例は、万葉集に2例あります。
   ――前略―― 玉かぎる 夕さりくれば み雪ふる ――後略――
            万葉集巻一 0045

   玉かぎる 夕さり来れば 猟人(さつひと)の
      弓月(ゆづき)が嶽(たけ)に 霞たなびく
           万葉集巻一〇 1816

 冒頭の歌
   玉響 昨日の夕 みしものを
      今日の朝に 恋ふべきものか
            万葉集巻一一 2391
は、歌としては初句「たまかぎる」であることがもっとも望ましいようです。「たまかぎる」は「夕」の枕詞ですが、語義は「玉が照り輝く」ことだそうです。原文「玉響」の字義が「玉の響き」である限り、到底タマカギルとは読めそうにありません。
 しかし、音と光は共感覚的印象において決して遠いものではありません。将棋界のスーパースター、羽生善治三冠で揮毫する言葉として有名な「玲瓏」という熟語がありますが、意味は
  1 「明貌」玉などが透き通るように美しいさま。また、玉のように輝くさま。
  2 「玉声」玉などの触れ合って美しく鳴るさま。また、音声の澄んで響くさま。 -デジタル大辞泉  です。

 日本でも「玲瓏」に対しては、ナル(鳴る)とカカヤク(輝く)・テル(照る)の二系統の古訓が与えられています(『類聚名義抄』)。文字は「玉響」と書いてあっても、意味は「玲瓏」の場合と同じように「玉の照り輝く」ことだったと考えれば、タマカギルという読み方も認められてよいのではないでしょうか。


 


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