仮に十人の万葉学者に全4500余首の読み下しを作らせれば、十人の間におそらく何百箇所という相違が出て来ることは必定です。それぞれの人が夥しい数の言葉を『万葉集』から消し、あるいは新しく加えることでしょう文庫本に収めてしまえばせいぜい2冊分しかない歌ではありますが、十人十様の読み解きが行われる以上、とどのつまりがどの本に拠ったところで全面的な信用はおけないわけです。柿本人麻呂の代表作、
東の 野にかぎろひの 立つ見えて
かへり見すれば 月傾きぬ
万葉集巻一 0048
の歌にせよ、本当にこういう歌だったという保証はどこにもありません。
この歌は、十四の漢字で次のように表記されています。
東野炎立所見而反見為者月西渡
古い写本を見ると、この原文には「アツマノヽケフリノタテルトコロミテカヘリミスレハツキカタフキヌ」という訓が付されています。つまり、第一句から第三句までの <東野炎立所見而> は、もともと「東野《あづまの》の煙《けぶり》の立てる所見て」と解釈されていたのです。それを「みだり訓(いい加減な訓/まずい訓)」だと断定し、現在一般化している「東の野にかぎろひの立つ見えて…」という訓を考案したのが、江戸時代の賀茂真淵《かものまぶち》です。馬淵がこの新訓を提示してからは、研究者も歌人も「東野《あづまの》の煙《けぶり》の立てる所見て」という伝統的な訓と解釈を捨ててしまったのです。
写本の訓と馬淵の訓を比較すると、歌の格調は確かに馬淵の訓のほうが高いように感じられます。しかし、馬淵の訓に対して、文法学者たちが異議を唱えています。上代語の表現としては不自然な文法的要素がその訓に含まれている、というのです。それだけでなく、原文の第三字の <炎> や歌の末尾の <西渡> などの訓に対しても、多くの異論が出ています。
sechin@nethome.ne.jp です。
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