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 古代の東京では実際にどんな言葉が話されていたのでしょうか。一口で言うと東と西では人類学的にも社会組織的にも全く対立しているように言葉の面でも対立していました。いわば東には東のコトバがあったと言ってよいのです。

 現代でも上の図版のように、対立していますが、対立は上代まで遡って考えられます。まるで別系のコトバのようです。平安時代の始めの頃と考えられる『東大寺諷誦文(ふじゅもん)考』に「東国方言」の名が見えることや『万葉集』に「東歌」が載せられていることから東の方言が西(中央)に対立するものして考えられていたことが判ります。
 いわゆる訛りことばとして考えられそうですが、月をツクという言い方が、より古い国語とされているのですから、あるいは東の方が正当かもしれません。
 中央のコトバが正しく純粋のものとすれば、東国のコトバは異様なものと感じるかもしれません。しかし、中央のコトバといっても奈良方言を中核とする一地方語にすぎないのですから、『古事記』や『万葉集』のコトバがすべて正式な雅語とのみ受け取ることは出来ません。『古事記』に出て来るアグラ(足座)も後世ではもともと西のコトバであったことも知らずに東国方言と記しているのが一般だったのです。

 正訛というよりも、より古いか否かが問題になりそうです。東国が真に中央から侮蔑の眼を以って見られるようになったのは、平安時代、労働や自然の美から遠ざかった有閑階級の出現によるものです。彼らから東夷(ひがしのえびす)と卑称されるようになって、東はひとまず歴史の表面からは一時消えるのであります。


 


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