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 初期の江戸ではどのようなコトバが実際には話されていたのでしょう。人間構成から想像されるように土地としては東国方言と上方語が同居し、街の性格としては、武士と町人のコトバが通語として話されていたことでしょう。もっとも単に一地方のイナカコトバにすぎなかった江戸近辺のコトバ(以下江戸方言と呼びます)が急に文献に書き留められ、書物になって出版されるはずもありません。あいかわらず、上方語が標準語であり、本流でした。しかし、単に傍流に過ぎず、エビスコトバと卑下された東国方言こそやがては日本のコトバになる運命を授けられていたのです。これは広く日本語の歴史において空前絶後の大事件といってもよいのではないのでしょうか。幸いにしてこの初期の江戸方言とほぼ同質的なものが、異国の熱烈なクリスチャン、João Rodrigues(ジョアン・ロドリゲス)によって、次のように考察記録されています。

 古代の東国方言と比較してみると当然のことながら共通した部分も伺えます。日常百科事典ともいうべき『男重宝記』には、上のロドリゲスの観察に加えて
   「関東では、それよということをソンダ、何ぞということをアンダと撥ねて発音する。何とした故にというのを何としましたからとからを用いる」
などと記録しています。江戸の後期になってカラ(東)とサカイニ(西)の口論がありますが、そうした発芽もすでに現実では表れているわけです。

 一方まだ戦国の余風がおさまらぬままに、城下町江戸には、旗本奴や町奴(例の幡随院長兵衛など)の使う(奴詞〈やっこことば〉)なども大分幅を利かせていたようです。


 


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