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 今までただ関東方言とか東国語(阪東語)と呼ばれていた方言の中から、新しく江戸のコトバが生まれてくるのもこの頃でした。厳密にいいますと江戸府内の確立と江戸府内のコトバの誕生とが表裏一体のものとして考えられなければならないのです。しかし江戸府内は上方や諸国からの人も多いわけでありますから、コトバは当然上方語と関東方言の二つを要素としているわけです。西鶴などによって描かれた上方語も江戸府内の通語の一つでした。ごく簡単に当時の上方語を見ると次のようです。

 上のようなコトバが江戸府内でも聞かれたわけであります。人間や文化だけでなくコトバも上方的なものがえどにていちゃくするのです。チョロマカスのようなコトバも元禄の頃流行語として大阪に発生し――非常に大坂的です。チョロトゴマカスの短縮形で抄――書物や人間とともに江戸に運ばれてきたものなのです。コトバだけでなくそれを話す人間も一緒なのだからこれほど確かなものはありません。諺にしても現在の東京人にだって耳新しいものではあません。実際の話を次に二つほど挙げて参考にしましょう。

 上の図版のa bは江戸落語の祖となった咄本から引用したものですが、aの●印は明らかに上方語です。関東ではとかヨクとか言うのです。この他〈……しゃる・……さかいに・いうた〉などもごく普通にみえます。ただ、bで山家の者がベイを用いているところは注意されます。ほかの話にもやはりベイが見えますが、その他に〈ワグレ(お前)・デカバチナイ(大きい)・ツボッコイ(可愛いゝ)・ウッポレタ(とても惚れた)〉などの関東方言が見られます。こうした方言は現在でも関東地方や東北地方の方言の中に見出すことが出来るのです。概して江戸の中心部より遠い人々に現代から見て方言的なコトバを使わせている点は見逃せません。これは一面元禄の頃には関東方言の一部が府外に排除されて、江戸府内のコトバが独自なものとして創造されてきたことを物語るものでしょう。
 元禄七(1694)年刊の咄本「正直咄大鑑(しょうじきばなしおおかがみ)」に、
   商人の売物にねをつけてまけたるとき、かわぬを江戸ことばにしゃうべんのするといふ。
として、一つの笑話が語られていますが、〈しゃうべん(小便)のする〉を「江戸ことば」と規定していることは注意されます。

 元禄頃にいよいよ江戸府内のコトバ=江戸語が確立したのを知るのです。小便スルということばは東京人ならば現在でも通用する身近な慣用句でしょう。これは生活と切り離すことの出来ない生きたコトバであっからでしょう。
 ちょうど浮世絵師・吉兵衛こと菱川師宣が治兵衛・太郎兵衛・庄兵衛というようなベイベイ絵師を乗り越えて日本絵師モロノブとなったように、ベイやアンダルなどの関東方言の府外排除と江戸語(府内)の成立とは、こうして表裏一体のものであったのです。


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