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 『万葉集』は古代の歌集であるから、音数に拘束されない「字余り」が多いと一般には信じられてきました。「字余り」が多いことは事実かも知れませんが、その大多数は句中に母音音節「あ」「い」「う」「お」のいずれかを含むという法則から逸脱していません。
   玉くしげ 覆ふをやすみ 明けていなば
      君が名はあれど 我が名し惜しも
           万葉集巻二 0093
   昨夜こそは 子ろとさ寝しか 雲の上ゆ
      鳴き行く鶴の 間遠くおもほゆ
           万葉集巻一四 3522

 「明けていなば」の「い」、「君が名はあれど」の「あ」、「雲のうへゆ」の「え」、「間遠くおもほゆ」の「お」―― おそらく全用例の9割以上は母音含有のほうそくを堅持していると思われます。問題は残りの約1割ですが、六音の「字余り」であるのに母音を含まない「木の暮闇」(巻一九、4166)という句が、実は「木の暮の」であったように、点検を進めるにしたがって例外は一つまた一つと減少しています。
   妹と来し 敏馬の崎を 帰るさに
      一人して見れば 涙ぐましも
          万葉集巻三 0449
 
 「一人して見れば」は、原文「独見者」とありますが、「而」を「之」に作る古写本(『古葉略類聚鈔』)を採用することによって「一人し見れば」と、「字余り」のない形が復元されます。


   向(むか)つ峰(を)に 立てる桃の木 成らめやと 
       人ぞささめきし 汝(な)が心ゆめ
          万葉集巻七 1356

 「人ぞささめきし」は、原文「人曾耳言為」とありますが、「為」を「焉」の誤りと推定すれば、「焉」は不読の助字になり、「人そささめく」又は「人そささやく」となります。これも「字余り」のない句に変わります。
 『万葉集』の変則的な「字余り」は、読み方の再検討によって姿を消す場合が多くあります。
   志賀の海人 火気焼き立てて 焼く塩の
      辛き恋をも 我はするかも
          万葉集巻一一 2742

   …… かまどには 火気吹き立てず こしきには 蜘蛛の巣掛きて ……
          万葉集巻五 0893 (貧窮問答歌より)
 「火気」の二字をケブリと読む限り、母船部は「字余り」法則の例外であることを免れ得ません。ホノケと読んでも同じことです。しかし、ホケと読みさえすれば、普通の七音句となります。前にも述べたように「ほけ」は現在の文献の上では『日葡辞典』までしかさかのぼれない語ですが、上の「火気」が「ほけ」だったということになれば、古く奈良時代から存在したことになます。
 このように『万葉集』は、読み方が訂正されれば、新しい万葉時代語を認定する必要も生じてきますし、反対にこれまでの万葉語と思われていた語を、万葉時代語のリストから除かねばならない場合も生じてきます。


 


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