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宗祇は連歌師として名があらわれ始めた四十才頃より各地に旅して連歌界最高の栄誉をうけます。

 宗祇諸国物語は、次の図版のような話を伝えています。

   新しく作りたてたる薬師堂かな
 連歌の発句としては全く体を成していません。当然五・七・五であるべき音数が、驚いたことに五・七・七となっています。田舎宋匠は自分の発句の欠陥には全然気づかず、彼の詠み余した余計な「かな」を引き取って、当意即妙「(かな)物ひかる露の白玉」と付けた宗祇の脇句を「文字ふたつ不足いたし侍る」と咎めたのです。季語の詠みわすれ、漢語の使用も笑止ながら、五・七・七の発句を詠むとは初心者にも劣るものです。
 連歌の初心者は句作の際、指折り数えて苦吟します。
   春も身に沁み 指を折るなり
   深草に 連歌の初心 あつまりて(『守武千句』)
 
 「数を数える」ことを「数をヨム」という言い方があるように、連歌であれ和歌であれ、音数を正しくヨム(数える)ことこそ「詠む」ことの第一歩なのです。音数がは愛でれば、「字余り」となり、不足すれば「字足らず」となります。


 和歌(やまとうた)は三十一文字(みそひともじ)から成ります。「みそひともじ」の数を超過したものを「文字あまり」「字余り」などと称しました。十七世紀初頭、ジョアン・ロドリゲスの『日本大文典』に次のような説明が示されています。
 「往々にして典雅ならしめる為に、或いは又その他の詩的破格によって……(五音節が)六音節になったり、(七音節が)八音節となったりすることもある。その場合には、(歌が)三十二音節から成ることになり、もし余分の音節を持った韻脚が二つあれば三十三音節となる。このような余分の音節を「字余り」と呼ぶ」

 日本の歌学では「字余り」を和歌八病の一つに数え、中飽病または中鈍病と名付けて戒めてきました。


 


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