瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 ふと気がつくと、闇の川辺を徘徊している。何時まで経っても夜は明けない。東白鬚公園の南ゲートを入ると、煌(きら)びやかなイルミネーションが目を射た。南池にはスカイツリーと思しき像を挟んで「賀正」の2文字がオレンジ色に輝き、その左には「2010」の数字が、右側には辛うじて「虎」と見える絵が浮き出て、それらが池の面に対称に逆さまの像を投げかけている。
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2f3ed103.jpg 公園を抜け、水神大橋を渡っても、まだ暗い。汐入の遊歩道を南下する頃には、ぼつぼつ人影が見え始める。白鬚橋を通す明治通りに出る頃になって、漸く東の空が白み始める。曇空の所為か何時も観られる東雲の朝焼けはみられない。東天高く三日月が見えたかと思うとすぐに雲間にかくれる。橋場の遊歩道から見るスカイツリーは一段と高さを増したようである。テラスの昇降口にあがってカメラを構えたが、まだ薄暗くうまく収まったかどうか解らない。体は汗ばんでくるのに、手は冷たく悴(かじ)んでいる。両手を合わせ指の関節を力いっぱい伸ばしては、こぶしを握ったり平手を開いたりして指の屈伸を行う。そんなことを何回も繰り返しながら、桜橋辺りまで来た頃やっと明るくなった。本日の東京の日の出は6時51分とある。

 ギリシア神話:黄金漬になったミダース王
891fbec5.JPG Sileni (シーレーニ)はディオニュソスの従者であるIpotanes(イポタネス、半人半馬の種族)であり、彼等は酔っぱらいであった。他のイポタヌスと違う点は、通常、禿げた肥満体で、薄い唇とずんぐりした鼻をしていることである。脚も人間のそれであった。後にsileniは複数形であることの意味を失い、もっぱら独りのイポタヌス、Silenus (シーレーノス)を指すようになった。シーレーノスの伝説として名高いものにブリュギアの王Midas(ミダース)との出会いがある。
 Midasは伝説によるとCybele(キュベーレ)女神の子であるといわれるコルディアースの子でブリュギア王朝の第二代目として豪富をもって知られていた。このMidas王が年寄りのSilenusを捕えたという話はヘーロドトス(BC485年頃~BC420年頃)やクセノポーン(BC427年?~BC355年?)にも出てくるが場所が一定していない。マケドニアともブリュキアともいうが、ともかく王はいつもSilenusがいつも水を飲みに来る泉に酒をしたたかに混ぜておかせた。Silenusが例により腹いっぱいに水を飲むと、いい気持ちに酔ってしまい、薔薇の咲き乱れている花園に入って花の香に戯れているうちに眠り込んでしまう。王は家来か農民か王宮へ連れてきたSilenusを鄭重に扱い、珍客の到来とばかり饗宴の主客と為して夜となく昼となく十日の間酒盛りを続けた。そして、十一日目の朝に彼を棲み慣れた元の野へ送り返してやった。
80452988.JPG Silenusはディオニューソス(バッコス)の幼い時、彼を養い育てた謂わば養父格なのである。それゆえこの話を聞いたディオニューソスは王を大いに徳として何でも望むことを一つだけ叶えてやろうと王に対(むか)って言われた。ギリシア七賢人の一人といわれたSolon(ソローン、BD639年頃~BC559年頃)は「金持ちは金が増えるごとに一層それだけ欲深くなってゆくもの」と言っている通りMidasもだんだん身代が増えるに従って欲深になったのであろう。この御神の寛大な(あるいは性悪な)申出を承ると、思案の末答えた。「どうか私の体に触れる限りのものが、何でも皆黄金に変わりますように」
 おおらかな微笑を口許に浮かべて、バッコスはMidaのこの素朴な願いを快く聞き届けてくださった。王は有頂天の歓びで王宮にかえると、早速色んな物に触って神から与えられた力を試してみた。初めは本気で信じようともしなかったが、物は試しと苑にある樫の木の下枝を折り取ってみた。すると指が触れたか触れないかのうちにそれは黄金の小枝になった。路地に敷いた小石を拾い上げると、これもピカピカと輝く黄金の球になった。枝から林檎をもぎ採って手に載せると、それはあのアプロディーテーがパリスから受け取ったヘスペリデスの林檎のように、美しい金色に輝いていた。王が手を水で洗うと、指の間を零れる水はあのダナエーが夢見たような黄金の雨の流れであった。全ての物が皆黄金に変わるのを見た王は、もう自分が正気なのか夢を見ているのか解らないほど胸が躍って茫然としてしまった。しかし、その歓びも王にとって残念至極の事ながら、そう長くは続かなかった。夕方になって食堂へ入った王の前へ、召使が肉とパンとを山盛りにした小卓を運んできた。王は歓びに忘れていた空腹をにわかに感じて、早速目の前に置かれたパンを手に掴むとそれは忽ち硬い金に変わった。あわてて今度は一変の肉を食べようとすると、歯が肉に触れるや否やカチンという音がして、王の歯は冷たい黄金の板を噛んでいるのであった。暗然として今度は、当の贈物の主であるデュオニューソスに酒を飲もうと盃を挙げると、咽喉を通るのは何の味もない、溶けた黄金の雫に過ぎなかった。
いかにも世界一の金持ちになれるという期待はあったが、餓(うえ)は彼に迫り、幾日生命を保てるかも最早解らなくなってしまった。この予期しなかったとんでもない災難に驚いて、王はもう今では富とか財産とかいものが、何にも増して空しい、どうでも好いことになっていった。いやいやそれどころか何にも増して忌まわしい、憎らしいものに変わってしまった。何にも使えないだけでなく自分の基本的な欲求をさえ妨げるもの、それが何の役に立つだろう。王は自分の願いもディオニューソスも疎ましく後悔されてきて、居ても立っても居られなくなった。咽喉は渇き、食べ物は山のように積んであるのに、腹の皮は背中につくほど、ひもじさが身に迫っている。とうとう彼は黄金に輝く手を天に差し伸べ、ディオニューソスに祈った。どうか自分の愚かさを憐み、自分の犯した思い上がりの罪を赦して、お慈悲をお垂くださいますよう。どうかこの外見ばかりは美しい呪いから、私を解き放してくださるようにと祈るのであった。
もともと本気で彼を辛い目に逢わせるつもりではなかったディオニューソスは早速この王の願いを肯(き)き入れて、彼の厄介な能力を取り除いてやられた。そしてこの上にも彼が先ほど愚かにも懇願したり祈りの虜にならないですむようにと、王に訓(おし)えてサルディスの町外れを流れる川をたどり、その源泉まで溯(さかのぼ)らせた。そしてリューディアの山々の間を分け、その源に行き着いたとき、湧き上がる泉に身を投じてこれまでの過怠の罪をすっかり洗い潔(きよ)めるがいい… これが御神の尊い指令だった。因より王はバッコス神の訓えの通りに実行した。王の体に触れるものが全て黄金に変わるという魔力は初めて王の体を離れ、洗い去られてその水に沁み込み、流れにと写っていった。そのために今日までもこのパクトーロス川からは砂金が出るのだという。後ろの山はその麓にSisyphus(シーシュポス)が住んだというトモーロス山がある。
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この記事は、私がこの主題前木曜日で思い探していた、特に以来、非常に興味深いものでした。
DSLR-A900 2011/11/13(Sun) 編集
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目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
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くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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