昨夜、BS朝日で、「古賀政男・没後40年 名曲ドキュメント」を見ました。ここでわが伯父・大木惇夫が作詞したという「雲のふるさと」が李香蘭によって歌われていました。
雲のふるさと 作詞 大木惇夫・作曲 古賀政男
常夏の椰子の木陰に
戎衣(いくさぎ)を解きて憩いつ
返り見る雲の遥けさ
ますらおの我と言うとも
ゆえ知らず涙落つるを
誰ぞ叱る我も人の子
胸熱く思い出ずるは
旗薄(はたすすき)靡(なび)く信濃路
河鹿鳴く清き河辺に
あの雲は今も翳(かげ)らん
皇国(すめらぎ)に捧げたる身の
死にてよと汝は言わずや
幻に見ゆる故郷
我強し汝のあればぞ
弾丸の中行かんと思え
3つの「雲のふるさと」
李香蘭の未発表曲2曲が発見され、話題になっています。いずれも大木惇夫作詞、古賀政男作曲の「雲のふるさと」と「月のしづく」で、昭和19年に録音されながら、レコ-ドにはなりませんでした。「雲のふるさと」は、信濃出身の兵士が前線で、ふるさとをしのび涙を流すところが、戦争も末期になった軍部の気に入らなかったのか。この曲はその前年に、伊藤久男が映画「あの旗を撃て」で歌ったのが最初です。6連音符をあしらったり、古賀メロディーでもユニークな歌曲調で、自信作だったようです。せっかく李香蘭の美声で歌われたのに、くやしかったことでしょう。
この歌には、なおも後日談があります。なんとかもう一度世に出したいという古賀の執念がみのって、戦後の昭和42年、関沢新一の新しい詩を得て「思い出は遠く哀しく」という歌に生まれ変わり、美空ひばりが歌いました。こんどは、幼馴染と別れて都会に出た青年が、やがてその人が誰かの花嫁となったことを伝え聞き、遠く哀しい思い出に熱い涙を流すという、青春センチメンタリズムの極致のような歌です。ヒット曲にはなりませんでしたが、「私はセンチメンタリスト」が口ぐせだった古賀は、これでやっと気がすんだことでしょう。昭和53年の古賀の葬儀でも、明治大マンドリン部の後輩たちが、この曲を演奏して、偉大な先輩を送りました。
「雲のふるさと」は、コロムビアから発売されている2枚組CD「伝説の歌姫 李香蘭の世界」に収められています。これで、この曲は、伊藤久男・李香蘭・美空ひばりの3種が揃うことになり、古賀の満足や、思うべし。「思い出は遠く哀しく」はカラオケにもあります。
昨夜放映の李香蘭の美声をお届けすることが出来ないことが残念ですが、伊藤久雄の歌う「雲のふるさと」をお聞きください。さらに、美空ひばりの歌う「想い出は遠く哀しく」もお聞きください。
https://www.uta-net.com/movie/243359/
https://www.youtube.com/watch?v=F_jxG1EypuI
sechin@nethome.ne.jp です。
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