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 語源が問題になるのは、意味展開の最初の段階あるいは途中の段階を示すものが、すでに忘れられてしまった結果、一つの語の「名」から理解される意味と、その「名」によって指示されている事物との間の関係が、簡単には付けにくくなっている場合です。
 たとえば、「家を普請する」などと言って、建築工事などをすることを(普請)ということは、現在一般的に用いられています。フシンは「普請」の唐宋音(中世に禅僧や商人がつたえた、唐末から元初の頃の中国語に発音に基づく漢字音)で、外来語でありますが、「普(あまね)く請(こ)う」というこの「名」としての意味と、「建築する」ということとは、簡単には結び付きません。「普請」は、もとは、その字の示すように「禅寺で、普く人々に請うて労役に従事してもらうこと」を意味しました。その労役は堂塔の建築造営のためのものが多かったところから、やがて禅寺に限らず、道や橋を造営する土木工事を行うことを言うのにも、この語を用いるようになり、さらに、単に「建築工事をする」の意味になって、個人宅を建築する程度のことにも、この語を用いるようになったものです。



 こういう使い方は、以前からあって、狂言などでも、個人の家の造りを褒めるのに、「さてさて結構なご普請じゃ」などと言っています。室町時代なら、一方で、まさに本来の「普請」という語にふさわしい大工事も行われていますので、上の言い方が、言葉の一種のしゃれた転用であることがすぐ理解されたはずです。けれども、「普請」という語の本来意味した史実そのものがなくなり、したがって、その段階での用法が忘れられてしまって、転義の方だけが行われている現在では、その欠陥部分を埋めて、この語の指示する概念とその形式とがそもそもどのようにして結合するにいたったか、その由来(すなわち語源)を、改めて説かなければならないことになるのです。


 


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