名詞の中には、無論、ものの名前の他に、事の名が多数含まれていて、殊に漢語の名刺などには、「哲学」「理論」「思考」「存在」などの抽象概念を合わすものも沢山あります。具体的なものに命名するだけでなく、こういう抽象概念に名を与える事もまた、命名です。
このように考えてくると、たとえば「足を交互に前に出して、身体を前方に移動させる」動作を意味する「歩く」という動詞や、「胸が痛むように感じる」心情を意味する「いたましい」という形容詞なども、やはりもと、それぞれ、そういう動作の概念や信条の概念に、上のような名(記号)を与えたものなのですから、これまた「命名」ということが出来ます。こうして、名詞・代名詞のみならず、動詞も形容詞も形容動詞も副詞も連体詞も感動詞も、助動詞・助詞でさえも、あらゆる単語は、命名の結果生まれてきたものであるということになります。
ただ、人に名をつけたり、新しい商品に命名したりする場合に比べて、こういう普通名詞や、動詞その他の単語の場合の命名は、いつ、誰によって、どういう理由があって行われたものであるか、ということを知るのが非常に難しくなってしまっています。しかし、そういう困難は十分に承知の上で、あえて、その命名の事情を探ろうとするのが、語源の探求ということなのです。
既存の語を命名に利用するという場合、その種類はいくつもあります。外国語に由来する語、すなわち外来語の場合などは、その著しい例といえます。例えば、着物を着るときの下着をジュバンと言って、「襦袢」の字を当てています。ジュバンは、もとポルトガル語の gibão で、肌着カジャケツのようなものを指す語であったようです。すなわち、この語は元ポルトガル語という、日本語とは別の言語体系の中で、そういう意味を持つ記号として行われていたものです。それを、体裁は違うけれども、「肌に近くつけるもの」であるという点の共通性によって、日本語において、着物用の下着を指す名として借用するようになったものです。こう言う経緯を、「襦袢の語源は、ポルトガル語 gibão である」という言い方で説明します。
ブーツ(boots=長靴)とか、プロペラ(propeller)とかのように、外国語の単語(の意味や形)をほぼそのままに日本語に採り入れて用いる場合には、借用語というだけで、その語源についてはあまり問題はありません。語源が問題になるのは、原語(もとになっている外国語)との間にずれが生じている場合で、甚だしい場合には、カステラのように、その原語を正確に決定しかねるものもあります。
カステラは、ポルトガル語 pão de Castela (パン・デ・カスティーリャ=スペインのカスティーリャ王国のパン)にする説が有力ですが、あるいはオランダ語 Castiliaan brood (カスティリア・ブロート)によるとも言い、さらには、オランダ語 kasteel(城)によるもので、この菓子が初めて長崎に持ち込まれた時、日本人がその名を訊ねたところ、これを入れた箱(一説には、これを載せた皿)にたまたま城の絵が描いてあったので、訊ねられたオランダ人は、その絵のことを聞かれたものだと勘違いして、「カスティール(城)」と答えたため、それがこの菓子の名になってしまったのだ、という説が行われたこともあるといいます。
この最後の説は、いかにも作り話めいていますが、外来語の移入の際には、往々にしてこのような勘違いがあるもので、例えば、理髪店で頭髪を借るのに用いる器械を、日本でバリカンと呼ぶのは、金田一京助博士によると、たまたま初めて輸入されたこの器械が Barriquand et Marre(バリカン・エ・マール商会)という会社の製品で、その会社名がこの器械の名称と勘違いされたのが起こりだといいます。
これは事実らしく、こうなると、バリカンの語源説明は、純粋に言語的な問題ではなくて、一種の文化史上の事件に求められなくてはならなくなります。
sechin@nethome.ne.jp です。
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