昨日5月29日は語呂合わせから、「蒟蒻の日」とされているそうです。
蒟蒻はサトイモ科の夏緑多年草植物で、英名はelephant foot(象の足)あるいはdevil's tongue(悪魔の舌)とも言います。地下茎はコンニャクイモ(蒟蒻芋)と呼ばれます。原産地はインドまたはインドシナ半島(ベトナム付近)とされ、東南アジア大陸部に広く分布しています。扁平な円形の地下茎があって地上には葉だけを出します。茎(実は葉柄)は高さ1mほどに伸び、先端は平らに開いて鳥足状に小葉をつけます。小葉は柔らかくてつやがあり、楕円形です。株は次第に大きくなりますが、ある程度大きくならないと花はつきません。栽培下では5~6年で開花するそうです。開花するときには葉は出ず、また開花後に株は枯れます。花は全体の高さが2mほどにもなるといいます。
こんにゃくは、奈良時代に薬用として中国から伝来した植物で、漢語「蒟蒻」も一緒に伝わったようです。蒟蒻の読みは、『本草和名』に「古爾也久(こにやく)」、『和名抄』に「古迩夜久(こにやく)」とあるように、古くは「コニャク」と読まれていたようです。「コニャク」が中世に音変化し、「コンニャク」になったとされます。また、「蒟蒻」を呉音で「クニャク」と言ったものが、日本で「コニャク」となり、「コンニャク」になったとする説もあります。
コンニャクの歴史は古く我が国には中国から仏教の伝来とともに精進料理として伝わったと言われる説や、飛鳥時代の欽明天皇「きんめいてんのう」(539~571年)聖徳太子が生まれる少し前の頃に朝鮮から伝わった説、又同じく飛鳥時代に遣唐使(630~894年)が持ち帰ったという説があります。初めの頃は医薬用として珍重され貴族や王族しか食べられなかったのですが、やがて一般の人の食べ物になっていったようです。
コンニャクの名が載っている日本で一番古い書物は平安時代の歌人、源順(みなもとのしたごろう)が書いた「倭名類聚抄」(わみょうるいじゅしょう)(931~937年)という辞書でこの中に次のように述べられています。
「蒟蒻、其の根は白く、灰汁をもって煮れば、すなわち凝成す。苦酒(酢)をもってひたし、これを食す。」
(コンニャクの根っこは白く、灰から作ったアク汁で煮ると固まり、酢をつけて食べる。)
この記述から、当時すでにコンニャク芋を灰汁で処理することで食用となることが知られていたようです。その後平安時代の「拾遺和歌集」(しゅういわかしゅう)(1005~1007年)の中にもコンニャクが歌われています。
野を見れば、春めきにけり青葛(あおかつら)
こにやくままし わかな摘むべく
コンニャクが一般に知られ常食化したのは鎌倉時代以降と思われます。たとえば「庭訓往来」(ていきんおうらい)(1330年)と言われる当時の教科書には、コンニャクをたれ味噌で煮て、唐伝来の間食をしたと記されています。
室町時代には点心(菓子や間食、軽食)として利用され、戦国時代には豆腐や納豆とともに食用として食べられていました。
しかし庶民の食品として広く普及したのは江戸時代からで、松尾芭蕉も好んで食べたと言われ、俳句にもうたわれています。
こんにゃくの刺身も少し 梅の花) 芭蕉50歳(1693年)
その後1776年の水戸藩領(現 茨城県大宮市)の中島藤右衛門がコンニャクの芋を薄切りにして乾燥させ粉末にする技術を発明しコンニャクが広まってきました。この時代には「蒟蒻珀珍」(1846年)という料理書も発行されています。
もともとは海外から伝わったとされていますが、1000年以上にわたって代々受け継がれてきた日本ならではの食材それが “コンニャク” なのです。
sechin@nethome.ne.jp です。
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