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ウェブニュースより
 
近畿、東海、関東甲信 梅雨入り ―― 6日、気象庁は近畿、東海、関東甲信地方の梅雨入りを発表しました。各地で長雨の季節の到来です。
 
6日、近畿、東海、関東甲信地方が梅雨入りしたとみられます。近畿は平年より1日早い、東海と関東甲信は平年より2日早い梅雨入りです。
 
今年は、5月7日ごろに奄美地方、翌8日に沖縄地方が梅雨入り。5月26日は九州南部、28日は九州北部と四国、6月5日は中国地方も梅雨入りしており、続々と長雨の季節を迎えています。
 
    梅雨は季節現象であり、梅雨入り明けには、平均的に5日間程度の「移り変わり」の期間があります。   (tenki.j 2018060611:0



 関東地方もいよいよ梅雨入りしたようです。
 
梅雨の雨は、梅にとって恵みの雨です。この季節に雨が降ることで、梅の実は大きく膨らんでいきます。ところで、「梅雨」はなぜ「梅の雨」と書くのでしょう?
 
「梅雨」とは、6月~7月中旬、中国の長江下流域から朝鮮半島、日本列島(北海道を除く)に見られる雨期のことで、それほど雨足の強くない雨が、長期に亘って続くのが特徴です。現在、中国では「梅雨(メイユー)」、韓国では「長霖(チャンマ)」と呼ぶそうです。「梅雨」は東アジア特有の雨期であり「梅」も東アジアにしか生息しない植物です。
 
しかし中国でも梅雨という言葉が使われるようになった経緯がはっきりしていないため、現代でもあいまいなままとなり様々な説があるそうです。そのひとつとして黴(かび)の生えやすい時期の雨という意味で「黴雨(ばいう)」と呼ばれていて、それでは語感が良くないため季節に合った同じ音の「梅(ばい)」の字を使って梅雨と呼ぶようになったという説があります。
 
中国盛唐の詩人杜甫が「梅雨」という詩を残しています。そこには“4月になると梅の実が黄色く熟するという一文と、梅雨の細やかな雨が降り続き空は暗いという一文があるのです。つまり、梅の実が熟すころに雨が降り続いていたことになり、この詩の題名から杜甫が生まれた712年以降には梅雨と呼ばれていたと捉えることができます。



 日本独自の歳時記としては『日本歳時記』が始まりとされ、そこには“此の月淫雨ふるこれを梅雨と名づく”という一文があるのです。梅の熟す時期の雨という意味となり、杜甫の詩と同じ雨のことを指していることがわかります。日本歳時記は貝原益軒(かいばら えきけん)によって1688年に刊行されたことから、日本では江戸時代から梅雨と呼ばれるようになったと言えるでしょう。



 「梅雨」という言葉は、江戸時代に日本へ伝わり、その頃から、日本でも「梅雨(つゆ)」と呼ばれるようになったといいます。それにも、いくつかの説があります。
 
・「露(つゆ)」から連想した。
 
・梅の実が熟す時期だから「つはる」から連想した。
 
・梅の実が熟し潰れる時期だから「潰ゆ(つゆ)」と関連つけた。
 
・カビのせいで物がそこなわれる「費ゆ(つひゆ)」から連想した。
 
「梅雨」という言葉が伝わる以前は「五月雨(さみだれ)」といったようです。「さ」は陰暦の5月(現在の6月)、「みだれ」は「水垂れ」を意味するといいます。


 


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