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萩を詠める歌2
巻3-0455:かくのみにありけるものを萩の花咲きてありやと問ひし君はも

◎「かくのみに」は「このように」の意味で、「このように萩を見ることなく亡くなる運命にあったものを、萩の花は咲いているだろうかと問うてきたあなたでしたね。」と、生前の旅人が萩の花を気にかけていたことを思い出しての一首となっています。
※余明軍(よのみやうぐん、生没年不詳)
 奈良時代の歌人です。百済(くだら)(朝鮮)王族系の余氏の渡来人と推定されます。「万葉集」巻3に天平(てんぴょう)3年(731)大伴旅人(おおともの-たびと)が死去したときの挽歌(ばんか)5首があり、その註に旅人の資人(つかいびと)(従者)とあります。ほかに譬喩(ひゆ)歌、相聞(そうもん)歌がおさめられています。新羅(しらぎ)(朝鮮)王族系の金氏の金明軍(こんの-みょうぐん)とする説もあります。
巻6-0970:指進の栗栖の小野の萩の花散らむ時にし行きて手向けむ

◎大伴旅人はこの年の7月25日に奈良で亡くなっているので、これらの二首の歌は、病に伏せているときに故郷の栗栖(くるす)を思って詠んだ歌と思われます。
巻6-1047:やすみしし我が大君の高敷かす大和の国は.......(長歌)
標題:悲寧樂故郷作謌一首并短謌
標訓:寧樂の故()りにし郷(さと)を悲しびて作れる謌一首并せて短謌
原文:八隅知之 吾大王乃 高敷為 日本國者 皇祖乃 神之御代自 敷座流 國尓之有者 阿礼将座 御子之嗣継 天下 所知座跡 八百萬 千年矣兼而 定家牟 平城京師者 炎乃 春尓之成者 春日山 御笠之野邊尓 櫻花 木晩牢 皃鳥者 間無數鳴 露霜乃 秋去来者 射駒山 飛火賀塊丹 芽乃枝乎 石辛見散之 狭男牡鹿者 妻呼令動 山見者 山裳見皃石 里見者 里裳住吉 物負之 八十伴緒乃 打經而 思並敷者 天地乃 依會限 萬世丹 榮将徃迹 思煎石 大宮尚矣 恃有之 名良乃京矣 新世乃 事尓之有者 皇之 引乃真尓真荷 春花乃 遷日易 村鳥乃 旦立徃者 刺竹之 大宮人能 踏平之 通之道者 馬裳不行 人裳徃莫者 荒尓異類香聞
            万葉集 巻6-1047
          作者:田辺福麻呂
よみ:やすみしし 吾が大王(おほきみ)の 高敷かす 大和の国は 皇祖(すめろき)の 神の御代より 敷きませる 国にしあれば 生()れまさむ 御子の継ぎ継ぎ 天の下 知らしまさむと 八百万(やほよろづ) 千年(ちとせ)を兼ねて 定めけむ 平城(なら)の京師(みやこ)は かぎろひの 春にしなれば 春日山 三笠の野辺に 桜花 木の暗(くれ)(こも)り 貌鳥(かほとり)は 間()無くしば鳴く 露霜の 秋さり来れば 射駒(いこま)山 飛火(とぶひ)が塊(たけ)に 萩の枝を しがらみ散らし さ雄鹿(をしか)は 妻呼び響(とよ)む 山見れば 山も見が欲()し 里見れば 里も住みよし 大夫(もののふ)の 八十伴の男()の うち延()へて 念(おも)へりしくは 天地の 寄り合ひの極(きは)み 万代(よろづよ)に 栄えゆかむと 念(おも)へりし 大宮すらを 恃(たの)めりし 奈良の京(みやこ)を 新世(あらたよ)の ことにしあれば 皇(すめろぎ)の 引きのまにまに 春花の 移(うつ)ろひ易(かは)り 群鳥(むらとり)の 朝立ち行けば さす竹の 大宮人の 踏み平(なら)し 通ひし道は 馬も行かず 人も往()かねば 荒れにけるかも

意訳:我が大君がお治めになる大和の国は、神の頃より治めてこられた国なので、お生まれになる皇子(みこ)が代々継がれて、天下を治められるだろうと、幾千万の未来まで見通してお定めになった奈良の都は、春になると、春日山、三笠の野辺に桜の花が咲き、木の下が暗くなるほど、貌鳥(かほどり)が絶え間なく鳴き続けます。
 露霜(つゆしも)の秋になると、生駒山、飛火が岳に、萩(はぎ)の枝をからませ散らして、牡鹿(おじか)が妻を呼んで声を響かせる。
 山を見れば見飽きることなく、里を見れば、住み良い。多くの大宮人(宮に仕える人)たちがずっと思っていたことに、天地が寄り合うほどの先まで、いついつまでも栄えるだろうと、思っていた大宮なのに、頼りにしていた奈良の都なのに、新たな代として、大君の仰せのままに、都を移し、朝立つように人々が去ってしまい、(いままで)大宮人たちが踏みならして通った道は、馬も行かず、人も行かないので、荒れてしまいました。
◎この歌にでてくる枕詞を以下にリストします。
 「やすみしし」は「我が大君(天皇のこと)」を導きます
 「露霜の」は「秋」を導きます
 「群鳥の」は「朝立ち」を導きます
 「春花(はるはな)の」は「うつろひ」を導きます
 「さす竹の」は「大宮人」を導きます
 貌鳥(かほどり)が何の鳥かはわかっていませんが、ホトトギス、カッコウなどの説があります。
 天平12(西暦740)、平城京から恭仁京への遷都がなされました。その際、大極殿(だいこくでん)などが解体・移築されたため、平城京はあっというまに荒廃がすすんだようです。
※田辺福麻呂(たなべのさきまろ、生没年不詳)
 『万葉集』末期の代表歌人です。748年(天平20)橘諸兄(たちばなのもろえ)の使者として越中(えっちゅう)(富山県)の大伴家持(おおとものやかもち)のもとに下っています。ときに造酒司(さけのつかさ)の令史(そうかん)(大初位(だいそい)上相当官)でした。福麻呂作とあるのは短歌13首ですが、ほかに『田辺福麻呂歌集』に長歌10、短歌21首があって福麻呂の作と認められます。政権担当者橘諸兄のもとで宮廷賛歌などを歌い、宴席に奉仕している点からして、柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)や山部赤人(やまべのあかひと)の系統を継ぐ最後の宮廷歌人でしたた。作風は軽快で装飾美に富み、巧妙・華麗ですが、概して平板で迫力に乏しいとされます。


 

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