萩を詠める歌4
巻8-1431:百済野の萩の古枝に春待つと居りし鴬鳴きにけむかも
◎奈良県広陵町百済は、奈良盆地の西寄りを南北に流れる葛城川と曽我川にはさまれた地域で、かつては百済野と呼ばれていました。百済野は万葉の時代、移り住んだ渡来人がすぐれた文化や技術を伝えたところで、一種の文化センターとして発展したようです。山部赤人は、昔よくかよった百済野で、萩の古枝にウグイスがとまっていた光景を思い出しながら、この歌を詠んだのでしょうか。
巻8-1468:霍公鳥声聞く小野の秋風に萩咲きぬれや声の乏しき
※広瀬王(ひろせおう、?-722年)
飛鳥(あすか)-奈良時代の官吏です。天武天皇10年(681)川島皇子、忍壁(おさかべ)皇子らと帝紀(ていき)や上古諸事(本辞(ほんじ)・旧辞(きゅうじ)など)の編修に参加しました。新都造営地を視察し、持統(じとう)天皇伊勢(いせ)行幸の留守官、同太上天皇葬儀の御装司副(みよそおいのつかさのすけ)をつとめ、和銅元年大蔵卿(おおくらきょう)となりました。小治田(おわりだの)広瀬王の名で「万葉集」に1首載ります。養老6年1月28日死去。広湍王ともかきます。
巻8-1514:秋萩は咲くべくあらし我がやどの浅茅が花の散りゆく見れば
※穂積皇子(ほずみのみこ、?‐715(霊亀1))
藤原京末から奈良時代初期の万葉歌人です。天武天皇の第5子。母は蘇我赤兄の娘大蕤娘(おおぬのいらつめ)。705年(慶雲2)知太政官事。715年正月、一品に叙され、同年7月没。40歳未満か。
《万葉集》に短歌4首を残す。異母妹但馬皇女(たじまのひめみこ)と恋愛し、皇女没後の墓を望む悲傷歌〈降る雪はあはにな降りそ吉隠(よなばり)の猪養(いかい)の岡の寒からまくに〉(巻二)があります。晩年,大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)を愛しました。
巻8-1530:をみなへし秋萩交る蘆城の野今日を始めて万世に見む
◎「蘆城(あしき)」は、今の福岡県筑紫野市阿志岐(あしき)と言われています。
巻8-1532:草枕旅行く人も行き触ればにほひぬべくも咲ける萩かも
◎「伊香山(いかやま)」は、現在の滋賀県伊香郡(いかやぐん)にある山にあたります。
巻8-1533:伊香山野辺に咲きたる萩見れば君が家なる尾花し思ほゆ
巻8-1534:をみなへし秋萩折れれ玉桙の道行きづとと乞はむ子がため
※石川朝臣老夫(いしかわあそみのおきな、生没年不詳)
くわしいことは、何一つ不明です。蘇我石川麻呂に繋がりかあるか?
ウェブニュースより
自民党総裁選 河野氏きょう立候補を表明 各陣営の動き活発に ―― 自民党総裁選挙は告示まで1週間となり、10日、河野規制改革担当大臣が立候補を表明します。すでに表明している岸田前政務調査会長、高市前総務大臣と、少なくとも3人による選挙戦が確実となり、各陣営の動きがさらに活発になる見通しです。
菅総理大臣の後継を選ぶ自民党総裁選挙は9月17日の告示まで、10日で1週間となりました。
河野規制改革担当大臣は、所属する麻生派会長の麻生副総理兼財務大臣らと連日、会談を重ねるなどして調整を進めた結果、総裁選挙に臨むことに派内の一定の理解が得られる見通しが立ったとして、10日午後、記者会見で立候補を正式に表明することにしています。
これにより、すでに立候補を表明している岸田前政務調査会長、高市前総務大臣と、少なくとも3人による選挙戦が確実となります。
これを受けて岸田氏は、9日、財務省を訪れて麻生氏と会談するなど河野氏の動向を警戒する動きを見せていて、みずからが率いる岸田派に加え細田派や麻生派、竹下派など、ほかの派閥への浸透に力を入れる方針です。
また、高市氏は、かつて所属していた細田派の有志議員が開いた会合に出席するなど、細田派の所属議員を中心に支持拡大を図りたいとしていて、各陣営の動きがさらに活発になる見通しです。
一方、立候補を検討している石破元幹事長と、意欲を示す野田幹事長代行は、必要となる推薦人20人の確保に向けてみずからに近い議員に加え、二階派などにも働きかけを続けています。
ただ、二階派は両氏と個人的な関係のある所属議員が支援することは容認するものの、派閥としてまとまった支援は行わない方針で、これまでのところ立候補のめどは立っていません。 (NHK WEB NEWS 2021年9月10日 4時38分)
米欧など200人退避、アフガンから 米軍撤収後初 チャーター便でカタールへ ―― アフガニスタンの首都カブールの空港から米欧などの外国人約200人を乗せたカタール航空のチャーター便が9日出発し、目的地であるカタールの首都ドーハに到着した。8月末に米軍がアフガンから撤収して以来、同国から外国人の大規模な国外退避が実現するのは初めて。
イスラム主義組織タリバンが出国を認めた。ホワイトハウスは同日の声明で、カタール航空のチャーター便がドーハに到着したことを確認し、カタール政府やタリバンの協力に謝意を示した。
タリバンは8月15日までにカブールなどアフガン全土をほぼ制圧した。米軍は8月末に撤収する方針を変えず、国外に米国人やアフガン人など約12万人の退避を進めた。空港周辺はテロによる治安悪化で混乱し、退避を希望する米国人などが現地に取り残されていた。
タリバンの報道担当者は9日、中東の衛星放送局アルジャズィーラのインタビューで「空港は商業目的を含む全ての用途で飛行できる準備が整った」と話した。カタールの政府関係者も「カタール航空がカブールからドーハへの国際便を飛ばす」と明らかにしていた。
タリバンは米軍撤収後に空港運営を引き継いだが、空港内の一部施設が破壊されるなどしたため飛行再開に時間がかかっていた。
カタールなどがタリバンの空港の復旧に協力し、滑走路や電波装置の修理を急いでいた。タリバンの報道担当者は「空港で働いてくれたカタールの技術者に感謝している」と述べた。 【日本經濟新聞 2021年9月9日 23:00 (2021年9月10日 5:34更新)】
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