瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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49d0c286.JPG  荀子の学は誰から承け伝えられたものかということについては、「非十二子篇」などでは孔子とともに子弓を誉めているところから、子弓から承けたという説もあるが、はっきりしたことは判っていない。劉向(りゅうきょう)の『収録』には「詩・礼・易・春秋の学に特に造詣が深い」と述べていることから、ひとりの先生に限ったわけではなく、いろいろな場所で多くの先生についたものと思われる。
 荀子の弟子としては、韓非・李斯・浮丘伯の3人が知られる。このうち浮丘伯を通じて、荀子の思想は漢代の儒学に大きな影響を与えた。韓非や李斯は、外的規範である「礼」の思想をさらに進めて「法」による人間の制御を説き、韓非は法家思想の大成者となり、李斯は法家の実務の完成者となった。ただし、「法家思想」そのものは孔子や韓非子の生まれる前から存在しており、荀子の思想から法家思想が誕生した、というのは誤りであるとされる。
 荀子の学を伝えたものについても李斯(りし)・韓非(かんぴ)・浮丘伯・陳囂(ちんごう)以外は明らかでないが、漢代の経学の中で特に詩、礼・春秋の学に影響を与えたと言われる。詩では毛詩と魯詩に、春秋では穀梁伝と左氏伝の伝承の系譜の中に荀子の名が挙げられているという。
 「成相篇」では楽曲に合わせた定型詩十節前後のものが五章もある。この篇は「相」という楽曲の形式を借りて、君臣・治乱に関する意見を述べたものである。「相」とは労役をするときに力をつけるために音頭を取って歌うもの、あるいは杵をあげて穀物を搗くときの歌ということから、楽曲の名になったものだと言う。各節は、第一句3字、第二句3字、第三句7字、第四句11字とし、各句は韻を踏んでいる。
たとえば、「成相篇」の原文一章、第一節は 「請成相/世之殃/愚闇愚闇墮賢良/人主無賢、如瞽無相、何倀倀」の四句からなり、各句の終わりの文字 相・殃・良・倀 が押韻している。
「賦篇」では 礼・知・雲・蚕・箴の5篇の賦(韻文)と佹詩(変調詩)2篇を集めたものである。この5つのものは人生に切実なものであるのに、これを意識する人が少ないので、その意味を明らかにしたものであるという。
 これらはともに韻文で思想内容よりは、文学作品であり、特に文体上興味あるものとされ、荀子の学の幅の広さを表わすものであり、他の諸子には見られない特徴である。
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