瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
[842] [841] [840] [839] [838] [837] [836] [835] [834] [833] [832]
 曇り空の中、桜橋から川沿いにテラスを南下、吾妻橋を渡り、旧水戸藩下屋敷を通って、白鬚橋を渡ると、橋場・今戸のテラスを南下して、帰宅した。
403570d1.jpg
677f8150.jpg アジサイの花蕾が随分大きくなってきた。まもなく、隅田公園いっぱいにアジサイが彩りを添えてくれることであろう。

 中国語の「紫陽花」は、中国の招賢寺という寺にあった名の知れぬ山樹に咲く花で、色は紫、芳香を放つ仙界の麗花であった、と言われ、日本のアジサイとは何の関係もないものであるという。

eed16700.JPG[口語訳]
 いつの頃に仙人のもとに植えたのだろうか
 いつ移植をしてこの寺にまでたどり着いたのだろうか
 人間世界に在るというのに人は誰もその名を知らない
 あなたに「紫陽花」という名をあげよう

f5e6254a.JPG 魏の武帝がある時曹蛾の碑の下を通り過ぎたことがあるが、楊脩もお供をしていた。碑の裏に「黄絹幼婦外孫齏臼(せいきゅう)」の八字が書かれているのを見て、魏の武帝は楊脩に言った。「判るか? どうかね?」
 楊脩は言った。「わかります」
 魏の武帝は言った。「お前はまだ言ってはいかん。わしが思いつくまで待て」
 三十里ほど言ったところで、魏の武帝は言った。「わしには判ったぞ」
 楊脩が理解したことを別に書かせた。楊脩の答えは次のとおりである。
「黄絹とあるのは色の糸の意で、文字にすると『絶』になる。幼婦は少女であり、文字にすると『妙』になる。外孫とは女(むすめ)の子であり、文字にすると『好』になる。齏臼とは辛子を受け入れるものであるから文字にすると『辤(辞)』となる。つまり『絶妙好辞』ということである」
 魏の武帝も自分の解答を書いたが、楊脩のものと同じであったので、感嘆していった。
「わしの才能はお前におくれること、三十里であることがやっと判ったぞ」
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
URL
コメント
パスワード Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


小冊子の紹介
カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 3 4 5 6
7 8 10 11 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
最新コメント
[DavidApazy 02/05]
[シン@蒲田 02/05]
[нужен разнорабочий на день москва 01/09]
[JamesZoolo 12/28]
[松村育将 11/10]
[爺の姪 11/10]
[爺の姪 11/10]
[松村育将 11/09]
[松村育将 11/09]
[松村育将 10/11]
最新トラックバック
ブログ内検索
カウンター
Powered by ニンジャブログ  Designed by ゆきぱんだ
Copyright © 瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り All Rights Reserved
/