瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 秋風辞
 漢 武帝 劉轍
  秋風起兮白雲飛     秋風起って 白雲飛び
  草木黄落兮雁南歸    草木黄落して 雁南に歸る
  蘭有秀兮菊有芳     蘭に秀有り 菊に芳有り
  懷佳人兮不能忘     佳人を懷うて 忘るる能はず
  泛樓船兮濟汾河     樓船を泛べて 汾河を濟り
  橫中流兮揚素波     中流に橫たはりて 素波を揚ぐ
  簫鼓鳴兮發棹歌     簫鼓鳴りて 棹歌を發す
  歡樂極兮哀情多     歡樂極りて 哀情多し
  少壯幾時兮奈老何    少壯幾時ぞ 老いを奈何せん
 
47fa44d8.JPG〈訳〉秋風が立って白雲が飛び、
   草木は黄ばみ落ちて雁が南に歸る、
   蘭(ふじばかま)や菊が香るこの季節、
   佳人が思い起こされて忘れることができない。
   樓船(2階建ての船)を泛べて汾河を渡り、
   中流に横たわって白い波をあげる、
   船内は弦歌が鳴り響いて歓楽が極まるうちにも、なぜか憂いの感情が起こってくる。
   若いときはいつまでも続かぬ、老いていく身をどうすることもできない。
 
1b11bf1b.JPG 前漢の武帝(BC156~87年〉は第7代皇帝。諱は徹。廟号は世宗。正式な諡号は孝武皇帝。BC141年に即位。BC87年に退位。前漢最盛期の皇帝で郷挙里選の法と呼ばれる官吏任用法を採用したことで有名。また、董仲舒(BC176?~104年?)の献策により五経博士を設置し、儒教を官学とした。外征では匈奴や衛氏朝鮮などの周辺諸国と戦った。
 この秋風賦は武帝44歳のときの作。この年、武帝は山西省の汾陰に行幸して后土(土地神)を祭り、群臣とともに汾河に船を浮かべて行楽した。
 
 汾上驚秋   汾上、秋に驚く
   蘇頲      蘇頲(そてい)
北風吹白雲  北風白雲を吹き
萬里渡河汾  萬里河汾(かふん)を渡る
心緒逢揺楽  心緒(しんしょ)揺落(ようらく)に逢い
秋聲不可聞  秋聲(しゅうせい)聞く可(べ)からず
 
3845d80a.JPG〈訳〉今や、秋風が白雲を吹き流す日。
   我は万里を隔てた遠くに在り、この汾河を渡ろうとしている。
   旅の思いに沈む我に、万物の枯れ凋む季節に巡り合っては、
   秋の悲しい声には、とても聞くに堪えられぬのである。
 
c265fc13.JPG蘇頲(670~727)
 字は廷碩。雍州武功の人。調露二年(680)、進士に及第した。武則天に認められて、左司禦率府冑曹参軍となり、監察御史・給事中・中書舎人などを歴任した。また玄宗の信任もあつく、工部侍郎・中書侍郎に昇進。開元四年(716)には宰相となり、許国公に封ぜられて玄宗を補佐した。
 
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