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現代の世界七不思議⑥ペルーのインカ帝国遺跡マチュ・ピチュ
 
マチュ・ピチュ(スペイン語:Machu Picchu)は、15世紀のインカ帝国の遺跡で、アンデス山麓に属するペルーの尖った絶壁の山々がそびえるウルバンバ谷に沿った山の尾根(標高2,430m)にあります。
 
 
当時、インカ帝国の首都はクスコで、標高3,400mに位置します。標高2,430mのマチュ・ピチュから、さらに約千メートル高い場所にその首都がありました。現在のクスコはペルー有数の都市でその市街地は世界遺産(文化遺産)です(1983年に登録されました)。
 
なお、インカ帝国は1533年にスペイン人による征服により滅亡しましたが、アンデス文明は文字を持たないため、マチュ・ピチュの遺跡が何のために作られたのか、首都クスコとの関係・役割分担など、その理由はまだ明確に分かっていません。
 
マチュピチュとは老いた峰を意味します。山裾からはその存在を確認できないことから“空中都市”とも呼ばれるこの遺跡は、スペイン人から逃れるために、あるいは復讐の作戦を練るために、インカの人々が作った秘密都市だったともいわれています。
 
「太陽の神殿(the Temple of the Sun)」は、マチュピチュ遺跡観光の人気スポットです。高さ5mのカーブした石壁に囲まれ、東の窓からは冬至の朝、南の窓からは夏至の朝、日が差し込む太陽信仰に基づいた造りをしています。
 
インカ帝国の太陽信仰では、王は太陽の子孫だとされていたのです。
 
 
「3つの窓の神殿(Temple of the Three Windows)」に開けられた台形の窓も、夏至の日の出の方向を示し、インティワタナ(Intihuatana)の石柱は、正確に東西南北を示しています。
 
マチュピチュの総面積は5平方km、その約半分の斜面には段々畑が広がり、西の市街区は神殿や宮殿、居住区などに分かれ、周囲は城壁で固められています。16世紀半ば、インカの人々は高度な文明が栄えたマチュピチュを残し、さらに奥地へと消えてしまいます。
 
その後400年以上にわたって人の目に触れることなく、1911年にアメリカ人歴史学者ハイラム・ビンガムが初めて見た時には、草に覆われた廃虚となっていたといいます。マチュピチュにまつわる多くの謎は、未だに解明されていません。


 

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