瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
[2686] [2685] [2684] [2683] [2682] [2681] [2680] [2679] [2678] [2677] [2676]

現代の世界七不思議⑥ペルーのインカ帝国遺跡マチュ・ピチュ
 
マチュ・ピチュ(スペイン語:Machu Picchu)は、15世紀のインカ帝国の遺跡で、アンデス山麓に属するペルーの尖った絶壁の山々がそびえるウルバンバ谷に沿った山の尾根(標高2,430m)にあります。
 
 
当時、インカ帝国の首都はクスコで、標高3,400mに位置します。標高2,430mのマチュ・ピチュから、さらに約千メートル高い場所にその首都がありました。現在のクスコはペルー有数の都市でその市街地は世界遺産(文化遺産)です(1983年に登録されました)。
 
なお、インカ帝国は1533年にスペイン人による征服により滅亡しましたが、アンデス文明は文字を持たないため、マチュ・ピチュの遺跡が何のために作られたのか、首都クスコとの関係・役割分担など、その理由はまだ明確に分かっていません。
 
マチュピチュとは老いた峰を意味します。山裾からはその存在を確認できないことから“空中都市”とも呼ばれるこの遺跡は、スペイン人から逃れるために、あるいは復讐の作戦を練るために、インカの人々が作った秘密都市だったともいわれています。
 
「太陽の神殿(the Temple of the Sun)」は、マチュピチュ遺跡観光の人気スポットです。高さ5mのカーブした石壁に囲まれ、東の窓からは冬至の朝、南の窓からは夏至の朝、日が差し込む太陽信仰に基づいた造りをしています。
 
インカ帝国の太陽信仰では、王は太陽の子孫だとされていたのです。
 
 
「3つの窓の神殿(Temple of the Three Windows)」に開けられた台形の窓も、夏至の日の出の方向を示し、インティワタナ(Intihuatana)の石柱は、正確に東西南北を示しています。
 
マチュピチュの総面積は5平方km、その約半分の斜面には段々畑が広がり、西の市街区は神殿や宮殿、居住区などに分かれ、周囲は城壁で固められています。16世紀半ば、インカの人々は高度な文明が栄えたマチュピチュを残し、さらに奥地へと消えてしまいます。
 
その後400年以上にわたって人の目に触れることなく、1911年にアメリカ人歴史学者ハイラム・ビンガムが初めて見た時には、草に覆われた廃虚となっていたといいます。マチュピチュにまつわる多くの謎は、未だに解明されていません。


 

この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
URL
コメント
パスワード Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


小冊子の紹介
カレンダー
10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
最新コメント
[m.m 10/12]
[爺の姪 10/01]
[あは♡ 09/20]
[Mr.サタン 09/20]
[Mr.サタン 09/20]
[ままだいちゅき 09/20]
[ままだいちゅき 09/20]
[ままだいちゅき 09/20]
[爺 09/20]
[ままだいちゅき 09/20]
最新トラックバック
ブログ内検索
カウンター
Powered by ニンジャブログ  Designed by ゆきぱんだ
Copyright © 瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り All Rights Reserved
/