5時に家を出ると爺の足は北に向かった。桜橋を渡り、何時もの高速6号線の騒音の下を明治通りまで北上。これを横切ると東白鬚公園に入る。何時もは前を素通りするだけの隅田川神社だが、何となく境内に入ってみた。
隅田川神社
本殿
水神の森跡説明板
隅田川の総鎮守であり、水上安全の守護神として崇敬を集め、古くは「水神」又は「水神宮」と称していたが、明治5年に隅田川神社と改称したという。
治承(1177~1180年)の頃、源頼朝が関東に下った折、暴風雨に逢い、当社に祈願したと伝えられている。
現在の御社殿は嘉永元年造営のものが、安政2年の大地震で倒潰したため、安政5年に再建されたものである。関東大震災及び太平洋戦争などで被害を受けたがその都度修理を加え、現在の位置より北約25mに南面して鎮座していたが、高速道路が神域を掠めることとなって御社殿に大修繕を加え、昭和50年6月現在の位置に遷座したという。
江戸時代での奥州路は千住大橋経由となっていて、当地は江戸庶民の観光地となっていたために水神という 古典的な形を残したのかもしれない。江戸名所図会に隅田堤(墨堤)は1574年に小田原北条氏が三圍神社から木母寺の間に築き、堤の左右に桃、桜、柳を植え、スミレなどの野草も絨毯の如くで賞するに壮観であると記されている。
江戸・東京の重ね地図を記しておこう。
江戸の地図
図会1の風景
図会2の風景
江戸の地図の中の図会1・図会2の風景もあったので合わせて掲載しておこう。
東京の地図
左の東京の地図は上の江戸の地図辺りの現在の様子である。
太田道灌(1432~1486年)が下総の千葉氏を攻めるために長橋三条を構えたという文の紹介と、1750年頃の文献の引用で、隅田川の渡しより一町ほど川上に昔の橋の古杭が水底に残っていて船の通行の障害になっていたとあるが、ここでいう隅田川の渡しがどこかは不詳である。当社のある中洲などを利用した飛び石伝いの橋だったのであろう。これが隅田川に最初に架けられた橋とみえるが、江戸時代にそれが修復されなかったのは軍事的な意味があったからであろう。
現在は高架道路に遮られて隅田川を見ることはできず、当時の面影は全く失われているのだろう。
梅若橋 公園内で
うめわかはし 水神大橋東詰で
梅若橋を潜(くぐ)り、水神大橋を渡って、汐入公園の遊歩道を通って、帰宅した。
隅田川神社
本殿
水神の森跡説明板
隅田川の総鎮守であり、水上安全の守護神として崇敬を集め、古くは「水神」又は「水神宮」と称していたが、明治5年に隅田川神社と改称したという。
治承(1177~1180年)の頃、源頼朝が関東に下った折、暴風雨に逢い、当社に祈願したと伝えられている。
現在の御社殿は嘉永元年造営のものが、安政2年の大地震で倒潰したため、安政5年に再建されたものである。関東大震災及び太平洋戦争などで被害を受けたがその都度修理を加え、現在の位置より北約25mに南面して鎮座していたが、高速道路が神域を掠めることとなって御社殿に大修繕を加え、昭和50年6月現在の位置に遷座したという。
江戸時代での奥州路は千住大橋経由となっていて、当地は江戸庶民の観光地となっていたために水神という 古典的な形を残したのかもしれない。江戸名所図会に隅田堤(墨堤)は1574年に小田原北条氏が三圍神社から木母寺の間に築き、堤の左右に桃、桜、柳を植え、スミレなどの野草も絨毯の如くで賞するに壮観であると記されている。
江戸・東京の重ね地図を記しておこう。
江戸の地図
図会1の風景
図会2の風景
江戸の地図の中の図会1・図会2の風景もあったので合わせて掲載しておこう。
東京の地図
左の東京の地図は上の江戸の地図辺りの現在の様子である。
太田道灌(1432~1486年)が下総の千葉氏を攻めるために長橋三条を構えたという文の紹介と、1750年頃の文献の引用で、隅田川の渡しより一町ほど川上に昔の橋の古杭が水底に残っていて船の通行の障害になっていたとあるが、ここでいう隅田川の渡しがどこかは不詳である。当社のある中洲などを利用した飛び石伝いの橋だったのであろう。これが隅田川に最初に架けられた橋とみえるが、江戸時代にそれが修復されなかったのは軍事的な意味があったからであろう。
現在は高架道路に遮られて隅田川を見ることはできず、当時の面影は全く失われているのだろう。
梅若橋 公園内で
うめわかはし 水神大橋東詰で
梅若橋を潜(くぐ)り、水神大橋を渡って、汐入公園の遊歩道を通って、帰宅した。
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無題
江戸時代ってとても興味深いです。 風景を見ているだけで、なんだか不思議な気持ちになります。以前、会社に勤めていたときも、オフィス(その会社は個人個人にオフィスがあったので)に安藤広重の冬の浅草寺の浮世絵を飾ってました。 時々、ジーと眺めては、江戸の時代をイメージしたりしてリラクゼーションに使ってました。:) 最近は、友達から“江戸のしきたり”なんていう本を借りたので、少しずつですが、よんでみてます。 先生の図解1の風景もきれいですね。
Re:無題
蔵前橋と両国橋の間に隅田川テラスギャラリーというのがあって、安藤広重や葛飾北斎の風景画が掲示されています。今度江戸東京博物館でボストン美術館の浮世絵展が開かれるそうです。海外へ流出した浮世絵が集められたものなんでしょうね。是非言ってみたいと思っています。病気しないようご自愛くださいね。ご主人にもよろしく。
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1932/02/04
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sechin@nethome.ne.jp です。
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