博多櫛田神社 祇園山笠
京都祇園祭 長刀鉾
小倉八坂神社 祇園太鼓
15日は博多の祇園山笠、17日には京都八坂神社の祇園山鉾巡行、18日には小倉祇園太鼓と立て続けに祇園祭が行われている。
飯能市竹寺 牛頭天王
松江市八重垣神社
スサノオ壁画
そも、祇園信仰(ぎおんしんこう)は、牛頭天王(ごずてんのう)・スサノオに対する神仏習合の信仰であるという。
牛頭天王はもともとはインドの神で、疫病を流行らす悪神であったが、後に仏教に取り入れられてからは祇園精舎の守護神の一人となったものであるという。スサノオは日本神話に登場する神であるが、「スサ」は、荒れすさぶの意として嵐の神、暴風雨の神とする説(高天原でのスサノオの行いは暴風雨の被害を示すとする)や、「進む」と同根で勢いのままに事を行うの意とする説などがある。牛頭天王もスサノオもどちらも災疫をもたらす神行疫神(疫病をはやらせる神)とされていたためである。本地仏は東方浄瑠璃世界の教主である薬師如来さんとされたそうじゃ。こんなことから、スサノオを祀る神社は祇園神社と呼ばれるようになったのじゃ。祇園神社の総本社は八坂神社(京都市東山区)とされるが、廣峯神社(兵庫県姫路市)も総本社を名乗っているそうじゃ。かつては祗園社という名前であったのが、明治の神仏分離の時に現在(いま)の名前になったものだそうじゃ。
行疫神を慰め和(なご)ませることで疫病を防ごうとしたのが祇園信仰の原形で、その祭礼を「祇園御霊会(ごりょうえ)」といい、10世紀後半に京の市民によって祇園社(現在の八坂神社)で行われるようになったのだそうじゃ。祇園御霊会は祇園社の6月の例祭として定着し、天延3年には朝廷の奉幣を受ける祭となり、後の祇園祭となったもの。山車や山鉾は行疫神を楽しませるための出し物であり、また、行疫神の厄を分散させるという意味もあるという。中世までには祇園信仰が全国に広まり、牛頭天王を祀る祇園社あるいは牛頭天王社が作られ、祭列として御霊会(あるいは天王祭)行われるようになったそうじゃ。明治の神仏分離令で、神社での仏式の行事が禁止され、また、祭神の名や社名に「牛頭天王」「祇園」のような仏教語を使用することが禁止されたことから、祇園社・牛頭天王社はスサノオを祀る神社となり、社名を改称したそうじゃ。総本社である京都の祇園社は、鎮座地の地名から八坂神社とされた。その他の神社では、京都にならった八坂神社のほか、祭神の名前から素盞嗚神社、かつての社名から祇園神社、また地名を冠したものや牛頭天王を祀る以前の旧社名などに改称したものだそうじゃ。
「旅の途中で宿を乞うた武塔神(むとうしん)を裕福な弟の巨丹将来は断り、貧しい兄・蘇民将来は粗末ながらもてなした。後に再訪した武塔神は、弟将来の妻となっていた蘇民の娘には茅の輪を付けさせ、それを目印として娘を除く弟巨丹将来の一族を滅ぼした。武塔神は速須佐雄能神(スサノオ)を名乗り、以後、茅の輪を付けていれば疫病を避けることができると教えた」という蘇民将来伝説というのが近畿を中心に日本各地にあり、これを起源とする民間信仰がある。
水沢市黒石寺ポスター
荒川区スサノオ神社の茅の輪
岩手県内を始め各地に伝わる蘇民祭(水沢市黒石《こくせき》寺の宣伝ポスターがJR東日本から拒否されて話題を呼んだのう)を始め、京都の八坂神社や伊勢・志摩地方の年中行事で厄除け祈願として、茅(ち)の輪潜(くぐ)りや蘇民将来護符の頒布、注連(しめ)飾りなどの祭祀が盛んに行われているそうじゃ。
しかしながら、祇園祭にかぎらず祭の目的が時代の変化によって参加者達の利害とは離れてしまったものが多く、行事の内容も社会環境の変化等により変更を余儀なくされた祭もあんじゃ。それらの結果、祭を行うことそのものが目的に成り代わっているような、目的から考えると形骸化した状況の祭がほとんどとなってしもうた。このため、全くの部外者や、見物する者や参加する者という当事者にとっても「祭=楽しいイベント(お祭り騒ぎ)」という程度の認識しか持たれないことが多く、祭のために仕事を休むということは、例えば葬儀のためにということなどと比べると遥かに理解が得られにくい状況になったんじゃのう。
まあ、国民の祝祭日など設けて、法令でいくらその日の意義などほざいた所で、国民は休みが多いほど喜ぶもので、その祝祭日の意義など考えている方はどれだけござらっしゃるのやら。
京都祇園祭 長刀鉾
小倉八坂神社 祇園太鼓
15日は博多の祇園山笠、17日には京都八坂神社の祇園山鉾巡行、18日には小倉祇園太鼓と立て続けに祇園祭が行われている。
飯能市竹寺 牛頭天王
松江市八重垣神社
スサノオ壁画
そも、祇園信仰(ぎおんしんこう)は、牛頭天王(ごずてんのう)・スサノオに対する神仏習合の信仰であるという。
牛頭天王はもともとはインドの神で、疫病を流行らす悪神であったが、後に仏教に取り入れられてからは祇園精舎の守護神の一人となったものであるという。スサノオは日本神話に登場する神であるが、「スサ」は、荒れすさぶの意として嵐の神、暴風雨の神とする説(高天原でのスサノオの行いは暴風雨の被害を示すとする)や、「進む」と同根で勢いのままに事を行うの意とする説などがある。牛頭天王もスサノオもどちらも災疫をもたらす神行疫神(疫病をはやらせる神)とされていたためである。本地仏は東方浄瑠璃世界の教主である薬師如来さんとされたそうじゃ。こんなことから、スサノオを祀る神社は祇園神社と呼ばれるようになったのじゃ。祇園神社の総本社は八坂神社(京都市東山区)とされるが、廣峯神社(兵庫県姫路市)も総本社を名乗っているそうじゃ。かつては祗園社という名前であったのが、明治の神仏分離の時に現在(いま)の名前になったものだそうじゃ。
行疫神を慰め和(なご)ませることで疫病を防ごうとしたのが祇園信仰の原形で、その祭礼を「祇園御霊会(ごりょうえ)」といい、10世紀後半に京の市民によって祇園社(現在の八坂神社)で行われるようになったのだそうじゃ。祇園御霊会は祇園社の6月の例祭として定着し、天延3年には朝廷の奉幣を受ける祭となり、後の祇園祭となったもの。山車や山鉾は行疫神を楽しませるための出し物であり、また、行疫神の厄を分散させるという意味もあるという。中世までには祇園信仰が全国に広まり、牛頭天王を祀る祇園社あるいは牛頭天王社が作られ、祭列として御霊会(あるいは天王祭)行われるようになったそうじゃ。明治の神仏分離令で、神社での仏式の行事が禁止され、また、祭神の名や社名に「牛頭天王」「祇園」のような仏教語を使用することが禁止されたことから、祇園社・牛頭天王社はスサノオを祀る神社となり、社名を改称したそうじゃ。総本社である京都の祇園社は、鎮座地の地名から八坂神社とされた。その他の神社では、京都にならった八坂神社のほか、祭神の名前から素盞嗚神社、かつての社名から祇園神社、また地名を冠したものや牛頭天王を祀る以前の旧社名などに改称したものだそうじゃ。
「旅の途中で宿を乞うた武塔神(むとうしん)を裕福な弟の巨丹将来は断り、貧しい兄・蘇民将来は粗末ながらもてなした。後に再訪した武塔神は、弟将来の妻となっていた蘇民の娘には茅の輪を付けさせ、それを目印として娘を除く弟巨丹将来の一族を滅ぼした。武塔神は速須佐雄能神(スサノオ)を名乗り、以後、茅の輪を付けていれば疫病を避けることができると教えた」という蘇民将来伝説というのが近畿を中心に日本各地にあり、これを起源とする民間信仰がある。
水沢市黒石寺ポスター
荒川区スサノオ神社の茅の輪
岩手県内を始め各地に伝わる蘇民祭(水沢市黒石《こくせき》寺の宣伝ポスターがJR東日本から拒否されて話題を呼んだのう)を始め、京都の八坂神社や伊勢・志摩地方の年中行事で厄除け祈願として、茅(ち)の輪潜(くぐ)りや蘇民将来護符の頒布、注連(しめ)飾りなどの祭祀が盛んに行われているそうじゃ。
しかしながら、祇園祭にかぎらず祭の目的が時代の変化によって参加者達の利害とは離れてしまったものが多く、行事の内容も社会環境の変化等により変更を余儀なくされた祭もあんじゃ。それらの結果、祭を行うことそのものが目的に成り代わっているような、目的から考えると形骸化した状況の祭がほとんどとなってしもうた。このため、全くの部外者や、見物する者や参加する者という当事者にとっても「祭=楽しいイベント(お祭り騒ぎ)」という程度の認識しか持たれないことが多く、祭のために仕事を休むということは、例えば葬儀のためにということなどと比べると遥かに理解が得られにくい状況になったんじゃのう。
まあ、国民の祝祭日など設けて、法令でいくらその日の意義などほざいた所で、国民は休みが多いほど喜ぶもので、その祝祭日の意義など考えている方はどれだけござらっしゃるのやら。
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久し振り!!
最近忙しくて、開けていませんでした。ゴメンナサイ!
今日久し振りに全部読んだら、1時間以上も掛かりましたよ。このサイトは とても勉強になりますね。
それにしても よく書くし、よく歩きますね。是非 続けて下さい。
ワンさんやトオルちゃんにも 会いたいです。それじゃー!!(^し^)
今日久し振りに全部読んだら、1時間以上も掛かりましたよ。このサイトは とても勉強になりますね。
それにしても よく書くし、よく歩きますね。是非 続けて下さい。
ワンさんやトオルちゃんにも 会いたいです。それじゃー!!(^し^)
Re:久し振り!!
1時間以上もかけて、このブログを読んでくださる方がいらっしゃるのかと思うと、この爺も張り合いが出てきます。本当に有難う。
無題
祇園祭りの由来、勉強になりました。 それにしても、”旅の途中で宿を乞うた武塔神(むとうしん)を裕福な弟の巨丹将来は断り、貧しい兄・蘇民将来は粗末ながらもてなした。”こういうストーリーではじまる話って色々なところにあるんですね。 祭りの意味も改めて勉強になりました。
Re:無題
孔子様は「衣食足りて礼節を知る」とおっしゃいました。でも、それ以上のことは望まぬことですね。人間貧しいときは他人様の傷みがよく判りますが、裕福になればなるほど他人様の傷みが判らなくなってしまうものです。
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目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
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くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
sechin@nethome.ne.jp です。
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