櫨(はじ)を詠んだ歌
櫨(はじ)は、ウルシ科落葉小高木の山黄櫨(やまはぜ)のことです。関東以西の山地で見る事が出来ます。高さは、5メートル程度ですが、10メートルくらいまでのものもあります。5~6月に黄緑色の小さな花をつけます。
梓(あづさ)と同様に弓の材料とされていました。
万葉集には、1首だけに詠まれています。
巻20-4465: 久方の天の門開き高千穂の岳に天降りし皇祖の.......(長歌)
標題:喩族謌一首并短謌
標訓:族(やから)に喩(さと)せる謌一首并せて短謌
原文:比左加多能 安麻能刀比良伎 多可知保乃 多氣尓阿毛理之 須賣呂伎能 可未能御代欲利 波自由美乎 多尓藝利母多之 麻可胡也乎 多婆左美蘇倍弖 於保久米能 麻須良多祁乎々 佐吉尓多弖 由伎登利於保世 山河乎 伊波祢左久美弖 布美等保利 久尓麻藝之都々 知波夜夫流 神乎許等牟氣 麻都呂倍奴 比等乎母夜波之 波吉伎欲米 都可倍麻都里弖 安吉豆之萬 夜萬登能久尓乃 可之[波]良能 宇祢備乃宮尓 美也[婆]之良 布刀之利多弖氏 安米能之多 之良志賣之祁流 須賣呂伎能 安麻能日継等 都藝弖久流 伎美能御代々々 加久左波奴 安加吉許己呂乎 須賣良弊尓 伎波米都久之弖 都加倍久流 於夜能都可佐等 許等太弖氏 佐豆氣多麻敝流 宇美乃古能 伊也都藝都岐尓 美流比等乃 可多里都藝弖氏 伎久比等能 可我見尓世武乎 安多良之伎 吉用伎曽乃名曽 於煩呂加尓 己許呂於母比弖 牟奈許等母 於夜乃名多都奈 大伴乃 宇治等名尓於敝流 麻須良乎能等母
万葉集 巻20-4465
作者:大伴家持
よみ:久方の 天の門開き 高千穂の 岳(たけ)に天降りし 皇祖(すめろぎ)の 神の御代より 櫨弓(はじゆみ)を 手握り持たし 真鹿子矢(まかこや)を 手挟み添へて 大久米の ますら健男(たけを)を 先に立て 靫(ゆき)取り負ほせ 山川を 岩根さくみて 踏み通り 国(くに)覓(ま)ぎしつつ ちはやぶる 神を言向け まつろはぬ 人をも和(やは)し 掃き清め 仕へまつりて 蜻蛉島(あきつしま) 大和の国の 橿原の 畝傍の宮に 宮柱 太知り立てて 天の下 知らしめしける 天皇(すめろぎ)の 天の日継と 継ぎてくる 大王(きみ)の御代御代 隠さはぬ 明き心を 皇辺(すめらへ)に 極め尽して 仕へくる 祖(おや)の官(つかさ)と 辞(こと)立(た)てて 授けたまへる 子孫(うみのこ)の いや継ぎ継ぎに 見る人の 語り継ぎてて 聞く人の 鏡にせむを 惜しき 清きその名ぞ おぼろかに 心思ひて 虚言(むなこと)も 祖(おや)の名絶つな 大伴の 氏と名に負へる 大夫(ますらを)の伴
意訳:遥か彼方の天の戸を開き高千穂の岳に天降りした天皇の祖の神の御代から、櫨弓を手に握り持ち、真鹿児矢を脇にかかえて、大久米部の勇敢な男たちを先頭に立て、靫を取り背負い、山川を巖根を乗り越え踏み越えて、国土を求めて、神の岩戸を開けて現れた神を平定し、従わない人々も従え、国土を掃き清めて、天皇に奉仕して、秋津島の大和の国の橿原の畝傍の宮に、宮柱を立派に立てて、天下を統治なされた天皇の、その天皇の日嗣として継ぎて来た大王の御代御代に、隠すことのない赤心を、天皇のお側に極め尽くして、お仕えて来た祖先からの役目として、誓いを立てて、その役目をお授けになされる、われら子孫は、一層に継ぎ継ぎに、見る人が語り継ぎ、聴く人が手本にするはずのものを。惜しむべき清らかなその名であるぞ、おろそかに心に思って、かりそめにも祖先の名を絶つな。大伴の氏と名を背負う、立派な大夫たる男たちよ。
左注:(右縁淡海真人三船讒言出雲守大伴古慈斐宿祢解任 是以家持作此歌也)
(以前歌六首六月十七日大伴宿祢家持作)
注訓:(右は、淡海〈あふみ〉真人三船讒〈よこ〉し言〈まを〉すことに縁〈よ〉りて、出雲守大伴古慈宿禰任を解かえき。ここを以ちて家持この歌を作れり)
(以前の歌六首は、六月十七日、大伴宿禰家持作れり)
◎「~皇祖の」は、天皇の先祖である天照大御神の孫神、邇邇芸命(ににぎのみこと)が日向の高千穂に天降ったことを指します。「はじ弓」はハジの木(山漆)で出来た弓のことです。「真鹿子矢(まかごや)」は鹿を射る狩り用の矢だが、ここでは人との戦闘に使われる征矢(そや)のことを指しています。
「大久米」は、家持が4094番歌で「大伴の遠つ神祖のその名をば大久米主と負ひ持ちて~」と記しています。つまり、「大伴家は由緒正しい家柄」という意味の歌になります。「岩根さくみて」は「岩根を踏み分けて」、「国求(ま)ぎしつつ」は「国を求めて」です。「隠さはぬ」は「隠し事のない」もしくは「曇りのない」という意味で、「おぼろかに」は「おろそかに」もしくは「ぞんざいに」という意味となります。
この歌は、都で専横を極めていた藤原仲麻呂の時代の756年(天平勝宝8)、大伴家持の同族である出雲守、大伴古慈斐宿祢(おおとも こじひすくね)が淡海真人三船(あふみの まひと みふね)という人物の讒言により解任、拘禁された折、一族に諭す歌として詠まれたもので天孫降臨の時代から現在に至るまで天皇にお仕えした由緒と名誉ある家柄、気を引き締めて守れと鼓舞する内容です。
当時、家持の後ろ盾となっていた橘諸兄左大臣が失脚、続いて頼みの綱聖武天皇の崩御と続き、大伴家は孤立無援。一族にこれ以上事態が悪くならないよう、行動、言動を慎むよう注意を促したものです。
このような叱咤奨励にもかかわらず、大伴家は凋落の一途をたどりやがて家持は因幡国(いなばのくに:鳥取市)の国司に左遷、最後は陸奥国でその生涯を終えます。
家持が万葉集に残した歌は479首、他の歌人を圧倒する多さです。しかも、そのジャンルは歴史、自然、動物、植物、心象、生活など全て網羅し、当時の様子をあますことなく伝えてくれており、その功績は永遠に讃えられることでしょう。
ウェブニュースより
藤井聡太2冠が順位戦21連勝!無キズB級1組昇級 ―― 将棋の藤井聡太2冠(棋聖・王位=18)が10日、大阪市の関西将棋会館で行われた第79期名人戦順位戦B級2組の最終戦で、中村太地七段(32)を下し、10戦全勝で同1組に昇級した。すでにB級1組への昇級は決めていたが、これで順位戦は21連勝、公式戦は16連勝と異次元の強さを見せている。
先手の藤井が相掛かりの戦型を選択した。序盤戦はかなり速いペースで進んだ。藤井が積極的に攻め、中村も正確な受けから反撃に転じた。激しい攻め合いとなったが、藤井が激戦を制した。
https://www.youtube.com/watch?v=lxhILjsrxqo&t=104s
これで藤井は、20年度の将棋の記録全4部門で、勝率8割4分3厘、勝利数は43勝、連勝は16連勝と3部門で単独トップに立った。残る対局数51対局で3位。トップ棋士との対戦が多くなった中でも、驚異的な数字を残している。
藤井が昇級するB級1組は実力者が名を連ね、「鬼の住処(すみか)」の異名を持つ。同組には13人が所属し、総当たりで戦い、上位2人がA級に昇級する。 谷川浩司九段が持つ名人獲得の史上最年少記録は21歳2カ月。順位戦は最上位のA級からC級2組までの5クラスに分かれて戦い、A級の優勝者が名人挑戦者となる。レジェンドを超えるには、藤井は今後、B級1組、A級の順位戦を1期で昇級する必要がある。 [日刊スポーツ 2021年3月10日23時53分]
sechin@nethome.ne.jp です。
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