巻8-1423: 去年の春いこじて植ゑし我がやどの若木の梅は花咲きにけり
巻8-1426: 我が背子に見せむと思ひし梅の花それとも見えず雪の降れれば
巻8-1434: 霜雪もいまだ過ぎねば思はぬに春日の里に梅の花見つ
巻8-1436: 含めりと言ひし梅が枝今朝降りし沫雪にあひて咲きぬらむかも
巻8-1437: 霞立つ春日の里の梅の花山のあらしに散りこすなゆめ
巻8-1438: 霞立つ春日の里の梅の花花に問はむと我が思はなくに
巻8-1445: 風交り雪は降るとも実にならぬ我家の梅を花に散らすな
巻8-1452: 闇ならばうべも来まさじ梅の花咲ける月夜に出でまさじとや
巻8-1640: 我が岡に盛りに咲ける梅の花残れる雪をまがへつるかも
巻8-1641: 淡雪に降らえて咲ける梅の花君がり遣らばよそへてむかも
巻8-1642: たな霧らひ雪も降らぬか梅の花咲かぬが代にそへてだに見む
※安倍奥道(あへの おきみち)=原文は、「安倍朝臣奥道」。「『続日本紀』には<息道>と記す。天平宝じ六年(762)正月従五位下。若狭守、大和介、左兵衛督、内蔵頭などを歴任。宝亀五年(774)三月、但馬守従四位で没。歌はこの一首のみ。」
巻8-1644: 引き攀ぢて折らば散るべみ梅の花袖に扱入れつ染まば染むとも
※三野 石守(みの の いしもり、生没年不詳)は旅人の従者。天平2年(730年)大宰帥大伴旅人が大納言に任ぜられて帰京する際、別に海路をとって上京しました。『万葉集』に2首の歌が採録されています。
天平2年冬11月に帰京の旅を悲しみ痛んだ際の一首
わが背子(せこ)をあが松原よ見渡せば海人(あま)をとめども玉藻刈る見ゆ (巻17・3890)
巻8-1645: 我が宿の冬木の上に降る雪を梅の花かとうち見つるかも
sechin@nethome.ne.jp です。
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