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杉(すぎ)を詠める歌1
 昔から杉の森には神が寄りつくと考えられてきました。神社には杉がつきものですよね。万葉集には、杉(すぎ)、という言葉から「過ぎ」という言葉を導いて詠んでいる歌もあります。

巻2-0156:みもろの神の神杉已具耳矣自得見監乍共寝ねぬ夜ぞ多き

◎「已具耳矣自得見監乍共」については、昔から色々な読み方が提案されていて、いまだにはっきりとしていません。次に、色々な説をリストしておきます。
 岩波書店の「校本万葉集」には、以下のような訓が紹介されています。({ }で囲んだのは誤字説です。)
契沖『万葉代匠記』 已具耳矣自得 見監乍共
 いくにをしと みけむつつとも(逝くに惜しと 見けむつつとも)
荷田春満『万葉集童蒙抄』 已{}耳矣 自得見監乍共
 いめにのみ みえけんながらも
賀茂真淵『萬葉考』 已{免乃美}耳 {}{管本無}
 いめのみに  みえつつもとな
橘守部『万葉集檜嬬手』 已具耳{}自 影見{}
 すぎしより  かげにみえつつ
鹿持雅澄『万葉集古義』 {如是}{} {}得之監乍  {宿}不寝夜叙多
 かくのみに  ありとしみつつ いねぬよぞおほき
木村正辞『万葉集美夫君志』 已{}耳矣自 {}見監為共
 いめにをし  みむとすれども
※高市皇子(たけちのおうじ、654696年)
 7世紀後半の皇族。天武天皇と宗形君徳善の娘尼子娘の子です。長屋王,鈴鹿王らの父てもあります。壬申の乱(672)に際し、父のもとにかけつけ、全軍を統帥して活躍します。その様子を詠んだ柿本人麻呂の挽歌が『万葉集』巻2にあります。乱後即位した天武には10人の男子が生まれ、皇位継承が問題となります。高市は長子ですが、母親の身分の低さから位置は草壁皇子、大津皇子に次ぎます。天武14(685)1月、浄広弐を授けられ、朱鳥1(686)年8月草壁、大津と同額の封400戸を加増されます。天武死去ののち、大津、草壁が相次いで死去し、持統天皇が即位すると、持統4(690)年7月に太政大臣。同10月に藤原宮(橿原市)の地を視察するなど、皇親の筆頭として天皇を補佐し、朝廷に重きをなしました。封戸も5年1月、2000戸加増、翌年さらに2000戸加増され、5000戸にも達しました。7年1月に浄広壱にまで昇りますが、10年7月死去。草壁皇子に対して 後皇子尊と尊称されました。墓は『延喜式』によれば大和国広瀬郡にある三立岡墓といいます。奈良県広陵町に見立山の地名がありますが,王墓に比定される墓はありません。高階真人、永原朝臣、豊野真人の各氏の祖とされます。近年出土した長屋王家木簡から、その家政機関は高市皇子から継承した可能性が指摘されています。
巻3-0259:いつの間も神さびけるか香具山の桙杉の本に苔生すまでに

※鴨足人(かものたるひと、生没年不詳)
 奈良時代の歌人です。長歌1首と短歌2首が「万葉集」巻3におさめられている。名は「たりひと」ともよみます。
巻3-0422:石上布留の山なる杉群の思ひ過ぐべき君にあらなくに

◎石田王(いはたのおほきみ)が亡くなった時に丹生王(にふのおほきみ)の詠んだ挽歌で、巻3(0420)の長歌に付けられた二首の反歌のうちのひとつ。
「石上(いそのかみ)」は奈良県天理市石上付近のことで、この場合は石上にある布留(ふる)の地にかかる枕詞として使用されています。
 布留の地には石上神宮があることで有名ですが、そんな布留の「杉群(すぎむら)」から同音で「過ぐ」を引き出して続けているわけですね。

 「石上の布留の山にある杉群のように忘れ過ぎてしまうわが君ではないのに」と、決して忘れ過ぎたりするような軽い気持ちで思っているわけでない大切な石田王なのに…との、この歌もまた石田王を亡くした丹生王無念の思いがよく伝わってくる一首ですよね。
※丹生女王(にうのおおきみ、生没年未詳)
天平十一年(739)正月、従四位下より従四位上に昇叙されています。天平勝宝二年(750)八月、正四位上。万葉巻三に石田王卒時の挽歌を残す丹生王とおそらく同一人。
巻4-0712:味酒を三輪の祝がいはふ杉手触れし罪か君に逢ひかたき

※丹波大女娘子(たにはのおほめのをとめ、生没年不詳)
 伝不詳。丹波国(京都府北部、及び兵庫県の一部)出身の女性か。ただし丹波は氏名ともとれます。大女は字(あざな)か。万葉集に三首。
 巻7-1403:御幣取り三輪の祝が斎ふ杉原薪伐りほとほとしくに手斧取らえぬ

巻9-1773:神なびの神寄せ板にする杉の思ひも過ぎず恋の繁きに


ウェブニュースより
 藤井聡太王位 完敗の叡王戦から一夜明け、王位防衛へ前日検分で徳島へ移動 ―― 将棋の最年少2冠、藤井聡太王位(棋聖=19)が豊島将之竜王(叡王=31)の挑戦を受ける、第62期王位戦7番勝負第5局が2425日に徳島市「渭水苑」で行われる。対局を翌日に控えた23日、両者は現地入りし、対局会場の検分などを行った。シリーズの対戦成績を3勝1敗と王手をかけている藤井が勝てば、棋聖に続き、ダブル防衛を果たす。豊島は3期ぶりの王位奪取を狙う。

 名古屋市で行われた叡王戦5番勝負第4局から一夜明けた23日、両者は徳島市へ移動。ハードなスケジュールが続くが、藤井は「全力を尽くし、将棋ファンに楽しんでもらいたい」と意気込んだ。叡王戦第4局は完敗したが、気持ちを切り替えて臨む。
 豊島は「かど番だが、普段通りに指したい」と平常心を強調した。王位戦は1局を2日かけて戦う持ち時間各8時間の7番勝負。先に4勝を挙げた方がタイトルを獲得する。    [日刊スポーツ 20218231954]


 

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1932/02/04
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くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
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