昨日は節分、グレゴリオ暦での最初の節分となった1873年から22世紀初頭までの具体的な日付は表のようになります(重複している年はどちらの欄を使っても正しい日付が出ます)。節分の日付は数十年のスケールで徐々に前倒しになってきますが、4で割り切れても閏年とならない1900年、2100年、2200年……の翌年に1日遅れて帳消しとなるようです。
江戸時代以降からは「節分」といえば立春(毎年2月4日ごろ)の前日を指す場合が多く、これは旧暦の新年の始まりに相当する「立春」の前日にあたる節分がもっとも重要視されたためだと考えられています。
1984年までは、4年に1度の閏年は2月4日が節分でしたが、2025年から(2021年からになる可能性あり)は閏年の翌年に2月2日が節分になります。
立春は太陽黄経が315度となる日てす。したがって、天体の運行に基づいているので、日付は年によって異なり、また未来の日付は軌道計算に基づく予測しかできないようです。
因みに、私は1932(昭和7)年2月4日の生まれです。1932年2月4日は節分だったので、節夫なんて名前を付けられました。お袋は、學校へ行くようになったら皆から「セッチン」なんて呼ばれるから可哀想だと反対したそうですが、全くその通りになりました。
節分に豆をまく「豆まき」の行事は、「追俄(ついな)」と呼び、中国から伝わっ た風習です。魔(マ)を滅(メっ)するから、マメを撒くのだといいます。
「追俄(ついな)」の行事は、俗に「鬼やらい」「なやらい」「鬼走り」「厄払い」「厄おとし」「厄神送り」と呼ばれ、疫病などをもたらす悪い鬼を追い払う儀式で、日本では文武天皇の慶雲3年 (706) に宮中で初めて行われたといわれています。
豆は「煎った大豆」でなければなりません。生の豆は、そこから芽が出てきます。「魔」から目が出てくるということで、大変、縁起が悪いとされています。
鰯(いわし)の頭を、柊(ひいらぎ)の小枝に刺して戸口に挿す風習いわゆる「柊いわし」は、近世以降行われるようになったものです。西日本では、節分に鰯を食べる習慣があるようです。
鰯を焼くと出る激しい煙と臭いで邪気を追い払い、そして柊の針で鬼の眼を刺すという魔よけの意味があります。主に西日本では鰯を食べる習慣がありますが、これは節分いわしに由来しています。
節分に「恵方巻」を食べる風習は、福を巻き込むという意味と、縁を切らないという意味が込められ、恵方(えほう)に向かつて巻寿司を丸かぶりします。
願い事をしながら恵方巻を食べる場合には、恵方巻を食べている間は願い事がかなうように祈り続けるために恵方巻を食べている間はしゃべってはいけない事になっているようです。主に大阪の船場で行われていた風習のようですが、大阪海苔問屋協同組合が道頓堀で行っ た「巻き寿司のまるかぶり」のPRイベントがマスコミに取り上げられて関西地方に広まり、のちにコンビニ等でも販売され全国ヘ広まっていきました。
恵方巻の名称は1998年(平成10年)にセブン-イレブンが全国発売にあたり、商品名に採用したことによるとされています。それ以前は「丸かぶり寿司」などと呼ばれておりました。
「恵方巻」の認知度も年々上がってきており、いまやほとんどの人が知っており、「豆まき」よりも「恵方巻を食べる」ほうが、上回っています。
いまや、「恵方巻」市場は150億円を超える市場になっており、スーパーやコンビニエンスストアでも無視できない商品になっているようです。
「恵方巻」は、ネーミングの多様化、高級ネタ化、スリム化、キャラクター使用そして、変わり種として「恵方ロールケーキ」「恵方ロールサンド」「恵方飲み(日本酒)」など更に、ヒートアップしそうである。
恵方巻を食べる時に向く方角は、その年の福徳を司っている歳徳神(としとくじん)という神様がいる方向に向かって行います。この歳徳神が居る方向は、基本的には、4つの方角になるようです。
sechin@nethome.ne.jp です。
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