ウェブニュースより
月・木・金、そろって天体ショー 東京スカイツリー周辺 ―― 月と木星、金星が1月31日の夜明け前、南東の空で「共演」した。東京スカイツリー(東京都墨田区)の周辺では、塔本体を挟んで細い月の下に木星、左に金星が輝く天体ショーが見られた(写真は午前5時54分、佐藤純哉さん撮影)。
国立天文台によると、天気がよければ2月1日未明には金星の下に月が見えるという。 (朝日新聞DIGITAL 1/31(木) 23:04配信)
小山田古墳、最大級方墳と判明 被葬者は天皇か蘇我氏か ―― 2014年に養護学校の建て替え工事に伴って発見され、7世紀中ごろに造られた未知の古墳とされる奈良県明日香村の小山田(こやまだ)古墳について、方形の古墳(方墳)の南辺の長さが80メートル以上になることがわかった。県立橿原(かしはら)考古学研究所(橿考研)が31日発表した。千葉県栄町の岩屋古墳(長辺約78メートル、7世紀)や、各地の天皇陵を上回り、飛鳥時代の国内最大規模を誇る巨大方墳だったとみられる。天皇陵なのか、あるいは豪族・蘇我氏の墓なのか。被葬者像をめぐる議論にも弾みがつきそうだ。
橿考研によれば、昨年12月下旬から古墳の西南端付近にあたる約64平方メートルを発掘調査し、墳丘西端と想定される裾部がみつかった。14年の調査では古墳北辺に石張りの大きな掘割(ほりわり、濠〈ほり〉)が出土。北辺の長さは約70メートルとされたが、今回、南辺の長さは80メートルを超えることが明らかになった。
また、結晶片岩や「榛原(はいばら)石」の板石の破片も多数みつかった。14年の調査でも、北辺の掘割の斜面に結晶片岩と榛原石が階段状に積み上げられた遺構が出土し、西辺でも同じように板石が積み上げられた可能性が高いとみられる。
小山田古墳の規模は、聖徳太子の父、用明(ようめい)天皇陵とされる大阪府太子町の春日向山古墳(長辺66メートル)や、蘇我馬子(うまこ、?~626年)の墓とされる奈良県明日香村の石舞台古墳(一辺約50メートル)などを上回る。
小山田古墳の被葬者像をめぐっては、飛鳥時代前半に即位した舒明(じょめい)天皇(在位629~641年)と、天皇をしのぐほどの権力を持ったとされるが、645年の大化改新で滅ぼされた蘇我蝦夷(えみし)とする見方がある。舒明天皇説は「日本書紀」の記述をもとに、最初に小山田古墳に葬られた後に奈良県桜井市の段ノ塚(だんのづか)古墳(押坂内陵〈おさかのうちのみささぎ〉)に改葬されたと主張。蝦夷説も「日本書紀」が伝える蝦夷と入鹿(いるか)の親子が生前に造ったとされる「双墓(ならびのはか)」のうち、蝦夷の墓とされる「大陵(おおみささぎ)」が小山田古墳だったとみる。
舒明天皇説を主張する木下正史・東京学芸大学名誉教授(考古学)は「飛鳥の中心部から離れた新たな宮殿の百済宮(くだらのみや)や国内最古の国家寺院の百済大寺(くだらのおおでら)を造営するなど、政治の中心にいた舒明天皇にふさわしい大きさだ」。一方、蘇我蝦夷説の立場をとる白石太一郎・大阪府立近つ飛鳥博物館名誉館長(考古学)は「蝦夷が天皇墓より大きな古墳をつくるぐらいの権力を持っていたのでは」とみる。 (朝日新聞DIGITAL 2019年1月31日19時16分)
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