今朝のウェブニュースより
国内で初、奈良に大型ピラミッド方墳 蘇我稲目の墓? ―― 奈良県明日香村の都塚(みやこづか)古墳(6世紀後半ごろ)が、石を階段状に積み上げた、国内では類例のない大型方墳とみられることがわかった。村教委と関西大が13日発表した。ピラミッドのような特異な構造や天皇陵にも迫る規模から、多くの渡来人を配下に置き、天皇の外戚(がいせき)となって台頭した権力者、蘇我稲目(そがのいなめ、?~570)ら、蘇我一族の有力者の墓との見方が出ている。/1967年の関西大の調査で2~3段に土を盛った一般的な方墳(一辺約28メートル)か円墳の可能性が指摘されていたが、今回、墳丘部の発掘で拳大~人頭大の川原石を積み上げた階段状遺構が出土し、東西約41メートル、南北約42メートルの方墳と判明した。/2段目以上は高さ30~60センチ、幅約1メートルの平坦(へいたん)部を計5段以上、階段状に石と土を盛り重ねた構造(高さ4.5メートル以上)とみられる。同様の構造は、中国東北部から朝鮮半島北部を支配した高句麗(こうくり)の古墳との類似性が指摘されている。/稲目は娘を天皇に嫁がせるなどして馬子(うまこ)、蝦夷(えみし)、入鹿(いるか)と続く蘇我氏全盛期の礎を築き、孫同士から聖徳太子(厩戸皇子〈うまやとのみこ〉)が生まれた。都塚の一帯は、一辺約50メートルの方墳とみられ、被葬者として馬子が有力視されている石舞台古墳(特別史跡、7世紀前半)があるなど蘇我氏の本拠地のひとつとされる。白石太一郎・大阪府立近つ飛鳥博物館館長(考古学)は「こんな特殊な構造の方墳は国内で見たことがない。蘇我一族の有力者の墓だろう」と話す。/現地説明会は16日午前10時~午後3時。問い合わせは村教委文化財課(0744・54・2001)。
〈都塚古墳〉 7世紀の飛鳥京の中心部から南東に約1キロ離れた尾根の先端部にある。横穴式石室(全長約12メートル)に凝灰岩をくりぬいた家形石棺が納められているが、盗掘されたとみられ、石棺内に人骨は確認されていない。67年の関西大の調査では木棺も安置されていた痕跡が見つかった。副葬品には土師器(はじき)や須恵器、鉄鏃(てつぞく)などの鉄製品があった。 (朝日新聞 2014年8月14日05時51分)
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