瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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  今日はブログ集18のプリント・製本で1日を過した。
168a870b.JPG 西宮のYK氏から、例年の通り、朝倉の志波柿を送ってきた。かれは、朝倉の地が斉明天皇崩御の地であることに因んで、この志波柿を「斉明柿」と名付けている。
  斉明天皇6年(660年)7月に百済が唐と新羅によって滅ぼされると、斉明天皇は難波などを経て斉明天皇7年(661年)3月25日に娜大津(現在の福岡市博多区)の磐瀬行宮(いわせのかりみや)に入り、5月9日に朝倉橘広庭宮に遷して、百済復興の戦に備えた。しかし、7月24日に朝倉宮で崩御。朝倉橘広庭宮に都が置かれたのはわずか2か月余りということになる。
4864981d.JPG 朝倉橘広庭宮の所在地は、現在の福岡県朝倉市とされるが、具体的な場所は特定されていない。朝倉市大字須川には、奈良時代の寺院跡である長安寺廃寺跡が残っており、「橘廣庭宮之蹟」の碑が建てられている。
 『日本書紀』は、朝倉橘広庭宮の建設に際して、朝倉社の木を切って用いたために、神が怒って宮殿を壊し、宮中では鬼火が目撃され、大舎人らに病死者が続出したと伝え、皇太子の哀悼歌を載せている。
 「是(ここ)に、皇太子、一所(あるところ)に泊(は)てて、天皇を哀慕(しの)ひたてまつりたまふ。乃(すなわち)口號(くちうた)して曰(のたま)はく、
   君が目の 恋(こほ)しきからに 泊(は)てて居(ゐ)て かくや恋ひむも 君が目を欲(ほ)り〔ただあなたの目が恋いしいばっかりにここに舟泊りしていて、これ程恋しさに耐えないのも、あなたの目を一目みたいばかりなのです〕」(日本書紀より)
 
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