瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
[979] [978] [977] [976] [975] [974] [973] [972] [971] [970] [969]
荀子 勧学篇 第一 より(積水成淵・駑馬十駕)
 積土成山、風雨興焉;積水成淵、蛟龍生焉;積善成德、而神明自得、聖心備焉。故不積蹞步、無以致千里;不積小流、無以成江海。騏驥一躍、不能十步;駑馬十駕、功在不舍。鍥而舍之、朽木不折;鍥而不舍、金石可鏤。
 螾無爪牙之利、筋骨之強、上食埃土、下飲黃泉、用心一也。蟹八跪而二螯、非蛇蟺之穴、無可寄託者、用心躁也。是故無冥冥之志者、無昭昭之明;無惛惛之事者、無赫赫之功。行衢道者不至、事兩君者不容。目不能兩視而明、耳不能兩聽而聰。螣蛇無足而飛、梧鼠五技而窮。《詩》曰:“尸鳩在桑、其子七兮。淑人君子、其儀一兮。其儀一兮、心如結兮。”故君子結於一也。

〔訳〕
 土が積もって高い山になると、そこに風雨がおこり、水がたまって深い淵になると、そこに蛟龍が棲むようになる。人も善行を積んで立派な徳を身につければ、自然と不思議な英知が得られ、聖人のような心が備わってくる。だから一歩ずつ歩み続けなければ千里の遠くへ行くことは出来ず、小さな流れを沢山集めなければ江海の大をなすことは出来ない。いかなる名馬でもひと躍(と)びで十歩を進むことは出来ないが、駄馬だとて十日もかければ千里の道程を行くことができる。成功は途中で止めないところにある。切りかけて中途で止めれば腐った木さえ折れないが、刻み続けてやめなければ、堅い金石にさえ彫刻できる。
73475eb6.JPG 螾(みみず)には鋭い爪も強い筋肉もないのに、地表の泥土を食らい、地中に潜って地下水を飲むことも出来るのは、心を一つの事に向けるからである。蟹には八本の足と、二本のはさみがあるのに、蛇や蟺(うなぎ)の穴を借りなければ、わが身を寄せる所がないのは、心ぜわしく散漫だからである。こういうわけで人知れぬ努力を続けない者には、華々しい成果はあがらない。二また道を行く者は目的地に到達できず、二人の主君に仕える者はどちらにも信用されない。目は二つのものを同時に視ることは出来ないけれども、よく視えるし、耳も二つのものを同時に聴くことは出来ないけれど、よく聞こえる。螣蛇(とうだ)は足がなくても大空を飛べるのに、鼫鼠(せきそ)はは五つのわざを持ちながら、こころを専一にしないので窮地に陥ってしまう。『詩経』(曹風・尸鳩篇)に、「桑の木に巣くう尸鳩(きじばと)のその子は七羽。〔七羽の子の育て方が一様なこの鳥のように〕立派な君子は、威儀が一定している。威儀が一定していれば、心は専一である」と言っている。だから君子は心を一事に集中させるのである。
 
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
URL
コメント
パスワード Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


小冊子の紹介
カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 3 4 5 6
7 8 10 11 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 26 27
28 29 30
最新コメント
[m1WIN2024Saulp 04/22]
[DavidApazy 02/05]
[シン@蒲田 02/05]
[нужен разнорабочий на день москва 01/09]
[JamesZoolo 12/28]
[松村育将 11/10]
[爺の姪 11/10]
[爺の姪 11/10]
[松村育将 11/09]
[松村育将 11/09]
最新トラックバック
ブログ内検索
カウンター
Powered by ニンジャブログ  Designed by ゆきぱんだ
Copyright © 瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り All Rights Reserved
/