瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
今日の朝日新聞によれば、来年早々「北京故宮博物院」の中国美術の至宝を集めた特別展が、上野の東京国立博物館で開催されるらしい。来年のことを言うと鬼が笑うというが、生きていれば是非参観して見たい。出展される文物について少し調べてみた。
荀子 臣道篇 第十三 より 〔暴虎馮河〕
仁者必敬人。凡人非賢、則案不肖也。人賢而不敬、則是禽獸也;人不肖而不敬、則是狎虎也。禽獸則亂、狎虎則危、災及其身矣。《詩》曰:「不敢暴虎、不敢馮河。人知其一、莫知其它。戰戰兢兢、如臨深淵、如履薄冰。」此之謂也。故仁者必敬人。敬人有道、賢者則貴而敬之、不肖者則畏而敬之;賢者則親而敬之、不肖者則疏而敬之。其敬一也、其情二也。若夫忠信端愨、而不害傷、則無接而不然、是仁人之質也。忠信以為質、端愨以為統、禮義以為文、倫類以為理、喘而言、臑而動、而一可以為法則。《詩》曰:「不僭不賊、鮮不為則。」此之謂也。
恭敬、禮也;調和、樂也;謹慎、利也;鬥怒、害也。故君子安禮樂利、謹慎而無鬥怒、是以百舉而不過也。小人反是。
〔訳〕
仁徳のある人は必ず人を敬う。一般に人は賢くなければ、愚かなものである。賢い人がいてもこれを敬わなければ、鳥や獣とおなじである。愚かな人がいてもこれを敬わなければ虎を侮るようなもので、必ず害を受けることになる。鳥や獣と変わりがなければ混乱し、虎を侮れば危害を受け、その災害は自分の身までおよんでくる。『詩経』(小雅・小旻篇)に「ことさら素手で虎をなぐらず、河を歩いてわたらず、人はこの危険をしっているけれども、その他の危険はしらない」とは、このことをいっているのである。
だから仁徳ある人は必ず人をうやまうのである。人を敬うのにやり方がある。賢者には尊敬し、愚かなものには警戒して敬う。賢者には親しんでそんけいし、愚かなものには疏遠にして敬う。その敬うことにあっては同じであっても、その意味はちがっている。敬う意味がちがっていてもまことで正しくまじめであって、危害を加えられず誰に対しても同じように敬うようになれば、これこそ仁徳ある人の本質なのである。まことを本質とし、ただしくまじめであることを本領とし、礼義を文飾に用い、人間関係や同類によって類推することを道理とするので、ほんの少しの言葉でもほんの少しの動きにもすべて法則とすることが出来るのである。『詩経』(大雅・抑篇)に「僭越にふるまわず危害を加えざれば、法則とならざること少なし」とあるのはこのことを言っているのである。
恭しく敬うのは礼義であり、調和するのは音楽である。謹み慎重であるのは利益であり、たたかい怒るのは損害である。だから君子は礼義に安んじ音楽を楽しみ、謹み慎重であることを利としてたたかい怒ることをしない。こういうわけであらゆる挙止動作には過ちがないのである。小人はこれと反対である。
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
sechin@nethome.ne.jp です。
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