瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
荀子 正論篇 第十八 より 〔井底之蛙〕
世俗之為說者曰:「湯武不善禁令。」曰:「是何也?」曰:「楚越不受制。」是不然。湯武者、至天下之善禁令者也。湯居亳、武王居鄗、皆百里之地也、天下為一、諸侯為臣、通達之屬、莫不振動從服以化順之、曷為楚越獨不受制也!
彼王者之制也、視形埶而制械用、稱遠邇而等貢獻、豈必齊哉!故魯人以榶、衛人用柯、齊人用一革、土地刑制不同者、械用、備飾不可不異也。故諸夏之國同服同儀、蠻、夷、戎、狄之國同服不同制。封內甸服、封外侯服、侯衛賓服、蠻夷要服、戎狄荒服。甸服者祭、侯服者祀、賓服者享、要服者貢、荒服者終王。日祭、月祀、時享、歲貢、終王、夫是之謂視形埶而制械用、稱遠近而等貢獻;是王者之制也。
彼楚越者、且時享、歲貢、終王之屬也、必齊之日祭月祀之屬、然後曰受制邪?是規磨之說也。溝中之瘠也、則未足與及王者之制也。語曰:「淺不足與測深、愚不足與謀智、坎井之蛙、不可與語東海之樂。」此之謂也。

〔訳〕
世の中で色々説を述べている者の中で、「湯王・武王は天下に普く禁令をゆきわたらせることができなかった」と言っているが、これはどういうことであるかと問うと、「それは楚と越の二つの国が命令に従わなかったからである」と述べているが、これはそうではなくて誤っている。湯王・武王はきわめてうまく天下に禁令をゆきわたらせた人たちである。湯王は亳(はく)という所に居り、武王は鄗(こう)という所に居たが、ともに百里四方の土地に過ぎなかった。しかし天下は一になり、諸侯は臣として仕え、舟や車の通ずる所に住んでいる者たちは、恐れおののき服従し、その徳に感化され従順に使えないものはなかった。どうして楚と越だけが命令に服さないということがあろうか。
王者が天下を治める制度は、土地の形勢(ようす)を見てその使用する器械を定め、習慣にかなわせ、国の遠近をはかってその貢ぎ物の差別をした。決してすべてを同じようにはしなかったのである。だから魯の国の人は榶〔とう・わん〕を献じ、衛の国の人は柯〔か・わん〕を献じ、斉の国の人は皮革を献じた。土地の形勢が違っているとそれに使う器械や服飾もまた違わなければならない。だから中原の諸国は王者に同じように仕え、その制度も同じようにするが、蕃夷戎狄〔ばんいじゅうてき・四方の野蛮国〕の国は、同じように王者に仕えるが、その制度は異なるものである。
都を中心とした五百里四方以内の土地は、王の田を耕すことで仕え〔甸服(でんぷく)〕、方五百里以外の諸侯の土地は、王のために四方をうかがって、思いがけない災難に備えることによって仕え〔侯服〕、侯衛の地の諸侯は、お客の格式で仕え〔賓服〕、蕃夷の国は、好信(よしみ)を結ぶことで仕え〔要服〕、戎狄の国は、何の定めもなく仕える〔荒服〕。甸服の者は祭りごとに物を献じ、侯服の者は祀りごとに物を献じ、賓服の者は享(まつ)りごとに物を献じ、要服の者は歳毎に物を献じ、荒服の者はただ王として仕えるだけで何も献じない。
祭りごとに物を献ずるのは、朝廷の日々の祭に献ずることであり、祀りごとに献ずるのは、朝廷の月々の祀りに献ずることであり、享(まつ)りごとに献ずるのは、朝廷の四季の享りに献ずることであり、歳毎に献ずるのは、朝廷の歳ごとの祀りに献ずることであり、王として仕えるだけなのは、前の王がやめて新しい王が位に即くときに来朝することである。このようなことを土地の形勢を見てその使用する器械を定め習慣に従わせ、遠近を計ってその貢ぎ物を差別するというのである。これが王者の天下を治める制度である。
あの楚と越の国は、四季の享りごとに物を献ずる賓服の国か、歳ごとに物を献ずる要服の国か、新王の即位するときにだけ来朝する荒服の国かのいずれかに属している国である。それをこの二国は必ず日々の祭りに献ずる甸服の民とか、月々の祀りにけんずる侯服の国に属するものとして、王の命令を受けるべきものと考えているようである。これは自分勝手に押し付けた理論である。ことわざに「浅薄な者とは、ともに深く大きいことは測れない。愚かな者とは、ともに思慮深いことは謀れない。壊れた井戸の蛙とはともに東海の広く大きい楽しみを語ることは出来ない。知慮の浅い乞食とともに王者の制度を語ることは出来ない」とあるが、まことにこの論者のことを言っているのである。
世俗之為說者曰:「湯武不善禁令。」曰:「是何也?」曰:「楚越不受制。」是不然。湯武者、至天下之善禁令者也。湯居亳、武王居鄗、皆百里之地也、天下為一、諸侯為臣、通達之屬、莫不振動從服以化順之、曷為楚越獨不受制也!
彼王者之制也、視形埶而制械用、稱遠邇而等貢獻、豈必齊哉!故魯人以榶、衛人用柯、齊人用一革、土地刑制不同者、械用、備飾不可不異也。故諸夏之國同服同儀、蠻、夷、戎、狄之國同服不同制。封內甸服、封外侯服、侯衛賓服、蠻夷要服、戎狄荒服。甸服者祭、侯服者祀、賓服者享、要服者貢、荒服者終王。日祭、月祀、時享、歲貢、終王、夫是之謂視形埶而制械用、稱遠近而等貢獻;是王者之制也。
彼楚越者、且時享、歲貢、終王之屬也、必齊之日祭月祀之屬、然後曰受制邪?是規磨之說也。溝中之瘠也、則未足與及王者之制也。語曰:「淺不足與測深、愚不足與謀智、坎井之蛙、不可與語東海之樂。」此之謂也。
世の中で色々説を述べている者の中で、「湯王・武王は天下に普く禁令をゆきわたらせることができなかった」と言っているが、これはどういうことであるかと問うと、「それは楚と越の二つの国が命令に従わなかったからである」と述べているが、これはそうではなくて誤っている。湯王・武王はきわめてうまく天下に禁令をゆきわたらせた人たちである。湯王は亳(はく)という所に居り、武王は鄗(こう)という所に居たが、ともに百里四方の土地に過ぎなかった。しかし天下は一になり、諸侯は臣として仕え、舟や車の通ずる所に住んでいる者たちは、恐れおののき服従し、その徳に感化され従順に使えないものはなかった。どうして楚と越だけが命令に服さないということがあろうか。
王者が天下を治める制度は、土地の形勢(ようす)を見てその使用する器械を定め、習慣にかなわせ、国の遠近をはかってその貢ぎ物の差別をした。決してすべてを同じようにはしなかったのである。だから魯の国の人は榶〔とう・わん〕を献じ、衛の国の人は柯〔か・わん〕を献じ、斉の国の人は皮革を献じた。土地の形勢が違っているとそれに使う器械や服飾もまた違わなければならない。だから中原の諸国は王者に同じように仕え、その制度も同じようにするが、蕃夷戎狄〔ばんいじゅうてき・四方の野蛮国〕の国は、同じように王者に仕えるが、その制度は異なるものである。
都を中心とした五百里四方以内の土地は、王の田を耕すことで仕え〔甸服(でんぷく)〕、方五百里以外の諸侯の土地は、王のために四方をうかがって、思いがけない災難に備えることによって仕え〔侯服〕、侯衛の地の諸侯は、お客の格式で仕え〔賓服〕、蕃夷の国は、好信(よしみ)を結ぶことで仕え〔要服〕、戎狄の国は、何の定めもなく仕える〔荒服〕。甸服の者は祭りごとに物を献じ、侯服の者は祀りごとに物を献じ、賓服の者は享(まつ)りごとに物を献じ、要服の者は歳毎に物を献じ、荒服の者はただ王として仕えるだけで何も献じない。
祭りごとに物を献ずるのは、朝廷の日々の祭に献ずることであり、祀りごとに献ずるのは、朝廷の月々の祀りに献ずることであり、享(まつ)りごとに献ずるのは、朝廷の四季の享りに献ずることであり、歳毎に献ずるのは、朝廷の歳ごとの祀りに献ずることであり、王として仕えるだけなのは、前の王がやめて新しい王が位に即くときに来朝することである。このようなことを土地の形勢を見てその使用する器械を定め習慣に従わせ、遠近を計ってその貢ぎ物を差別するというのである。これが王者の天下を治める制度である。
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