瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 良岑の宗貞の少將、物へ行くみちに、五條わたりにて雨いたう降りければ、荒れたる門にたち隱れてみいるれば、五間ばかりなる檜皮屋のしもに土屋倉などあれど、ことに人などもみえず。歩みいりてみれば、階の間に梅いとおかしう咲きたり。鶯も鳴く。人ありともみえぬ御簾のうちより、薄色の衣濃き衣うへにきて、たけだちいとよきほどなる人の、髪、たけばかりならんと見ゆるが、よもぎ生ひて荒れたるやどをうぐひすの人來となくや誰とかまたんとひとりごつ。少將、
  きたれどもいひしなれねば鶯の君に告げよとをしへてぞなく
と聲おかしくていへば、女驚きて、人もなしと思ひつるに、物しきさまをみえぬることとおもひて物もいはずなりぬ。男、縁にのぼりて居ぬ。「などか物のたまはぬ。雨のわりなく侍つれば、やむまではかくてなむ」といへば、「大路よりはもりまさりてなむ、こゝは中々」といらへけり。時は、正月十日のほどなりけり。簾のうちより茵(しとね)さしいでたり。引き寄せて居ぬ。簾もへりは蝙蝠にくはれてところどころなし。内のしつらひ見いるれば、昔おぼえて畳などよかりけれど、口惜しくなりにけり。日もやうやうくれぬれば、やをらすべりいりてこの人を奧にもいれず。女くやしと思へど制すべきやうもなくて、いふかひなし。雨は夜一夜ふりあかして、またのつとめてぞすこし空はれたる。男は女のいらむとするを「たゞかくて」とていれず。日も高うなればこの女の親、少將に饗応すべきかたのなかりければ、小舎人童ばかりとゞめたりけるに、堅い塩さかなにして酒をのませて、少將には、ひろき庭に生ひたる菜を摘みて、蒸し物といふものにして丁わんにもりて、はしには梅の花さかりなるを折りて、その花辨(はなびら)にいとおかしげなる女の手にて書けり。
  君がため衣の裾をぬらしつゝ春の野にいでてつめる若菜ぞ
 男これをみるにいとあはれに覺えてひきよせて食ふ。女わりなう恥しとおもひて臥したり。少將起きて、小舎人童を走らせて、すなはち車にてまめなるものさまざまにもてきたり。迎へに人あれば、「いま又もまいり來む」とて出でぬ。それより後たえず身づからもとぶらひけり。よろづの物食へども、なを五條にてありし物はめづらしうめでたかりきとおもひいでける。
 年月を經て、つかうまつりし君に、少將後れたてまつりて、かはらむ世を見じとおもひて、法師になりにけり。もとの人のもとに袈裟あらひにやるとて、
  霜雪のふるやのもとにひとりねのうつぶしぞめのあさのけさなり
となむありける。


 
現代語訳
 良峯の宗貞の少将が、あるところに行く途中、五条近辺で雨がひどく降ったので、荒れた門の下に身を隠して(家の中を)覗きこんでみますと、5間ほどの檜皮屋の家の裏手に、土蔵などがあるけれど、特に人なども見えません。(邸内に)入ってみると、階段のほとりに梅がたいそう美しく咲いています。鶯も鳴いています。(すると)人がいるとも思われない御簾の中から、薄紫色の衣を濃い紅色の衣の上に着て、背丈もたいそう格好のよい人で、髪が背丈ほどもあろうと見える人が、
  (蓬が生えて荒れている家なのに、鶯は人が来る人が来ると鳴いていることよ。けれど、誰をあてにして待てばよいかしら。)
と独り言を言いました。(そこで)少将は、
  (先ほどからやって来ているのに、(女の方には)物言いなれていませんので、鶯が訪ねてまいっていることを、(あなたに)告げなさいと教えて鳴いているのです。)
と声も美しく言いましたので、女は驚いて「誰もいないと思っていたのに、見苦しいさまを見られてしまったことよ」と思って、何も言わなくなってしまいました。男は縁に上がって座りました。「どうして何もおっしゃらないのですか。雨がひどく降っておりますので、雨が上がるまで、こうして(お邪魔させて下さい)」と言いますと、(女は)「大路よりもふる雨が漏って、ここはかえって(お濡れになるでしょう)」と答えたのでした。時は正月十日ごろであった。(女は)御簾の中から敷物を差し出しました。(少将は)引き寄せて座りました。御簾も縁もこうもりに食われて所々なくなっていました。屋内のしつらいは、覗きこむと、昔の暮らしが思われて、畳などもよかったけれど、(今は)見る影もなくなっていました。日も次第に暮れてきたので静かに(部屋の中に)入り込んで、この人を奥にも入らせません。女は悔しいと思ったけれど、止めるすべもなく、どうしようもありません。雨は一晩中降り続いて、空は早朝少し晴れてきました。男は、女が(部屋の奥に)入ろうとするのを、「ただこのままにして」と言って、入れません。日も高くなって、この女の親は、少将をもてなしようもなかったので、(少将が)小舎人童だけ残しておきましたが、その者には堅塩を酒の肴にして飲ませ、少将には広い庭に生えていた若菜を摘んで、蒸物というものに作って、茶碗に盛って、箸には梅の花の盛りの枝を折って、その花びらに、たいそう美しい女の筆跡で、次のように書き付けました。
  (あなたのために衣の袖をぬらしながら、春の野に出て摘んだ若菜ですよ。)
 男は、この歌を見ると、しみじみ心打たれて引き寄せて食べました。女はとても恥ずかしく思って伏していました。少将は起きて、小舎人童を(邸に)走らせて、早速車で、生活の足しになる品々を持って来させました。(少将は)「迎えの者が来たので(帰りますが)、すぐに再び戻ってきましょう」と言って出て行きました。それからのちも、絶えず少将自身も訪れました。(少将は)「(ここまで)いろいろなものを食べたが、やはり五条で食したものは、めったにないもので素晴らしかった」と思い出しました。
 年月が経って、お仕えした帝に、少将は先立たれ、「二君にはお仕えすまい」と思って、法師になりました。以前の妻のところに、袈裟を洗いに出すと言って、
  ((これは)霜や雪の降り込んでくる古い荒れた家の中で、ひとり寝をして(修行している)私のうつぶし染めの麻の袈裟ですよ。)
と書いてありました。


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目高 拙痴无
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1932/02/04
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くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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