瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
[729] [728] [727] [726] [725] [724] [723] [722] [721] [720] [719]
7f8e418c.JPG 12月18日(土)、先日の塾友忘年会の写真をまとめて冊子にしてみた。婆様が「これを出席者全員に作ってあげたら… 」というので、30部ほどプリント編集した。どうやらプリントの出来がよくない。いやはや、爺の技術がつたないことを棚に上げて、全てはプリンターの所為にすることしきり。
 夜は、早めに布団に潜り込むが、なかなか寝付かれない。何度も寝返りを打っても眠れない。灯りを付け枕元にある本を開くがすぐにうとうと。灯りを消して眠りに入るが、なかなか寝付けない。又灯りをつけて本を開く。すぐにうとうと、灯りを消して、…… そんなことを繰り返しているうちに朝が来て、何時もの徘徊に出かける。隅田川を一巡して帰宅。玄関の鍵穴に鍵がはまらず困惑しているうちに目が覚めた。はてさて、どこまでが現で、何処からが夢であったのか? 枕もとの目覚ましを見ると7時を過ぎている。日曜日でもあるし、徘徊は取り止め。

fe846180.JPG 荘子に曰く、「夢のなかで酒を飲んで楽しんでいた者が、朝になると不孝な現実に泣き悲しみ、夢のなかで泣き悲しんでいた者が、朝になると楽しく狩に出掛けるということがある。夢を見ているときはそれが夢であることは分からず、夢の中でまた夢占いをしたりして、目が覚めてから初めてそれが夢であったことが分かるのである。(人生もおなじことだ。)本当の目覚めがあってこそこの人生が大きな一場の夢であったことが分かるのだ。それなのに愚か者は自分で目が覚めていると自惚れて、あれこれと穿鑿しては物知り顔をして、君主だといっては貴び、牧人だといっては賤しんで差別をする。固陋(かたくな)なことだ。孔丘もお前もみな夢を見ているのだ。そして、わしがお前に夢の話をしているのもまた夢だ。こうした話こそ、それを名付けて弔詭(てきき、とても変わった話)という。この話の意味の分かる大聖人に〔巡り会うことはむずかしいことで、〕万代もの後に一度巡り会ったとしても、それは朝晩に会っているほど〔の幸運〕なのだ」(岩波文庫 荘子 第一冊 より)と。

 12月19日(日)、婆様は長野から従姉妹が上京するということで、午前から出掛け、テレビを見ながらお留守番。お昼は婆様が準備してくれたビーフカレーをチンして食った。

 今朝は目覚めると既に午前7時。
 昼食後、吾妻橋~白鬚橋間をぶらり徘徊。途中、旧水戸下屋敷の日本庭園に立ち寄る。
1fed821f.jpg
511c57ba.jpg
bafa0434.jpg







この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
URL
コメント
パスワード Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


小冊子の紹介
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
最新コメント
[EugenePum 04/29]
[m1WIN2024Saulp 04/22]
[DavidApazy 02/05]
[シン@蒲田 02/05]
[нужен разнорабочий на день москва 01/09]
[JamesZoolo 12/28]
[松村育将 11/10]
[爺の姪 11/10]
[爺の姪 11/10]
[松村育将 11/09]
最新トラックバック
ブログ内検索
カウンター
Powered by ニンジャブログ  Designed by ゆきぱんだ
Copyright © 瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り All Rights Reserved
/