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 今朝のウェブニュースより
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57dcaa9b.JPG 検事総長:大林総長、きょう辞任決定 検察改革、ツートップで 苦心の布陣 <追跡>
 ◇たたき上げ+法務省本流 ―― 検察トップの大林宏・検事総長〈63〉の辞任が24日午前、閣議で正式決定される。任期を1年半残した異例の人事で、後任は東京地検特捜部長経験者としては17年ぶりとなる笠間治雄・東京高検検事長〈62〉。同日午後には最高検が、郵便不正と証拠改ざん・隠蔽(いんぺい)事件の検証結果と再発防止策を公表する。未曽有の危機に検察が直面する中、総長はなぜ辞任を決断し、特捜OBを抜てきしたのか。水面下の動きを追った。/師走の東京・霞が関。大林総長は笠間検事長を検察庁舎19階の総長室に呼び、決意を告げた。「総長をやってくれ。君が適任だ」/検察官の定年は63歳だが、総長だけは65歳。来月2日に定年を迎えるはずだった笠間検事長は、突然の申し出に「勘弁してください」と固辞する姿勢を見せたという。大林総長はたたみかけた。「組織としての決定事項だ」/「改革策を講じ、失われた信頼を取り戻すことが私の責務」。10月21日、大阪地検特捜部の元主任検事による証拠改ざんを隠蔽したとして、前大阪地検特捜部長らを起訴した際の会見で、大林総長は語っていた。/だが、大林総長は会見時から「どうすれば改革がスムーズにいくか」と考えていた。その答えがトップ交代だった。「改革案をまとめた上で身を引く方がいい」。水面下で周到に準備を進めた。/11月に入ると「片手で足りるほどの幹部」に、ひそかに打ち明けた。「小手先の手直しでは立ち直れないことを職員に知らせたい」。検証結果の公表と同時に「辞任カード」を切ることで組織内部に検察の危機を訴える――。それが狙いだった。/総長ポストには法務省勤務の長い「赤レンガ派」(旧法務省庁舎に由来する呼称)の検事が就くことが多い。大林総長の後任として本命視されていたのも、事務次官など法務省の本流を歩んできた小津博司・札幌高検検事長〈61〉だった。/だが、逆風の中、最高検の検証がまとまらないうちに、法相の私的諮問機関「検察の在り方検討会議」が発足。取り調べの全面可視化など、現場が強く反発するテーマが議論されることも予想された。/かじ取りに失敗すれば、法務省の「虎の子」である小津検事長が傷つくことにもなりかねない。「火消し役は誰か」。特捜部経験が10年を超す笠間検事長しかいなかった。法務省勤務経験がない、たたき上げの「現場派」だ。/17年まえ、ロッキード事件などを手掛けた吉永祐介氏が総長になったのも、5億円の闇献金を受領した金丸信・元自民党副総裁を略式起訴ですませ、検察への信頼が失墜したことを受けた流れだった。/赤レンガ派と現場派は捜査方針を巡り時に対立してきた。しかし、ある検察OBは「今回の人事はワンセット。最高検を最強布陣にするにはどうしたらいいか考えた結果だ」と解説した。現場の信頼も厚い笠間検事長をトップに据える一方、本命の小津検事長を本省と検察のパイプ役として最高検の次長検事に起用する。行政手腕が未知数の新総長を経験豊富な次長が支え、ツートップで危機を乗り切ろうという体制だ。/笠間検事長を総長にするには年内の閣議決定が必要だった。12月に入ると法務省幹部は官邸に足を運び、法相兼務の仙谷由人官房長官らに「笠間・小津新体制」を提案、了承された。ある検察関係者は「官邸の圧力で総長のクビを差し出すわけにはいかなかった。それが検察のプライドだった」と振り返る。(毎日新聞 2010年12月24日 北海道朝刊)

9c605750.JPG 淮南子に曰く、「乱世の法では、標準は高く、これにおよばぬ者を罰する。責任は重く、その任に堪えぬ者を罰する。艱難の事多く、これをなし遂げぬ者を誅する。民この三(みっつ)に苦しむときは、巧智をめぐらして上を詐(いつわ)り、邪を犯して誅罰を免れんとする。故に峻法(しゅんぽう)・厳刑あるも、民の姦邪を禁じ得ず。何となれば、力およばねばこそ。諺にいう。『鳥窮すれば噣(つつ)き、獣窮すれば角突き、人窮すれば詐る』とはこのこと」(中国古典文学大系6、淮南子 斉俗訓第十一より)

 昼食後、言問橋を渡り、東武橋から北十間川沿いに京成橋に出て、桜橋通りから桜橋に出る。向島のテラスを南下して、枕橋から吾妻橋を渡って、テラスを北上。言問橋東詰めでテラスを上がり、帰宅した。
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 天気は上々であるが、風が強く冷たい。何度も鼻水を拭きながら吹き飛ばされそうになる帽子を抑え抑え歩いた。スカイツリーは現在549m。東武橋~京成橋は撮影者でごった返している。
 向島のテラスでは寒木瓜が咲き始めていた。実が瓜に似ており、木になる瓜で「木瓜(もけ)」とよばれたものが「ぼけ」に転訛(てんか)したとも、「木瓜(ぼっくわ)」から「ぼけ」に転訛したも言われる。木瓜は平安時代に中国から来た帰化植物であるという。
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1932/02/04
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