瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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af43175f.jpg 昨日は横浜駅西口で神奈川県在住のYS、IN、MY諸氏と待ち合わせ、高島屋の地下街にある「銀座 ハゲ天」というマッコトわが拙痴无にふさわしき名前の店で会食。その後、拙痴无にはトンと不案内の地下街を巡って「一番館」というコーヒーショップでお駄弁り。最後はIN氏が京急の改札まで送ってくれた。帰り際に3人からのお土産といって、肉まん・餡まん・しゅうまいを頂いた。

10f63869.JPG 先生も陶淵明のように早く歸去來を賦しなさい、故郷の石ころの畑や茅葺の家が青苔に埋もれてしまわぬうちに、儒術など何の役にも立ちませぬ、孔丘だ盜跖だといってもどちらも塵芥と等しくはかないものです。こんなことを聞いたとて意気消沈などせずに、せっかく出会えたことを喜びあい、杯を飲み干しましょうよ。

31ca0e21.JPG ここにいう先生とは鄭虔(てい けん、生没年不詳)。唐代玄宗朝の学者。詩、書、画に長け、多くの著書をものしたが、貧困にあえいだ。のち、安史の乱において燕に降伏し、官職を受けたため、乱後に左遷された。杜甫と特に親交があったという。ともに遊んだ廣文先生こと鄭虔は、杜甫が心を許した友であったらしい。当時の杜甫は、科挙に落ちて前途の望みを絶たれ、就職活動もうまくゆかず、鬱々たる毎日を過ごしていた、鄭虔はそんな杜甫にとって、自分の境遇に似たものを感じさせた。鄭虔は廣文館博士という官職についていたが、単に名誉職的なものだったようである。ほかの官吏が次々と出世し、豪勢な生活をしているというのに、先生はその日の食べ物にも事欠く有様。後世に名を垂れるほどの立派な学識を持っていながら、このように不遇なのは自分とよく似ているではないか。自分もまた貧乏にあえぎ、粗末ななりをして、人々の笑いものになっている。こんな世の中では、才能など何の役にも立たない。まして儒教など学んだとて、それが何の役に立つのだ。孔子でさえ、その無用なことは盗賊と異ならない。こんな激しい憤りを吐いているのである。

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目高 拙痴无
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92
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1932/02/04
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くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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