瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 福岡在住のDr.H.Nが、Facebookにコメント付きで、動画を投稿していました。曰く、
 
博多どんたく
 
福岡に40年近く住んでいるが、有名などんたくをほとんど生で見た事なかった。今日すごい観客の中、はじめて30分くらいみてきました。一言で言うならこれは単なるパレードですね。阿波踊りや、ソーラン節と比べたら、面白みに欠けるような気がします。100万人も人を集めるのが不思議だな。ブツブツ言いながらビデオに撮りました。
https://www.facebook.com/nakamura.med.clinic/videos/1528460123946893/

 
博多どんたくは正式名称は「福岡市民の祭り 博多どんたく 港祭り」といい、その源流は、博多松囃子とされています。松囃子(まつばやし)とは小正月(旧暦1月15日)に新年を祝福して行われていた行事ので、松の内に行う囃子なので、松拍子、松拍とも言われます。
 
博多の豪商神屋宗湛の『宗湛日記』によれば、文禄41029日(グレゴリオ暦15951130日)に筑前領主小早川秀秋の居城であった名島城へ博多の町人が松囃子を仕立て年賀の祝いを行ったと記されているのが最古の記録であるといいます。これによれば古くは正月でなく10月の行事だったことになります。

 
この博多松囃子は、貝原益軒の『筑前国続風土記』によると、治承3年(グレゴリオ暦1179年)に病没した平重盛に博多の者が恩(日本で最初の人工港「袖の湊」造営などの)を謝すため始まったと伝えられます。

 
他に異説として、元日節会が平安時代に各地方に伝わりますが、博多にも伝わり現地の人々がそれを発展させたのが始まりという説や、京都の松囃子の習慣が室町時代に博多に伝播したのが始まりという説もありますが、確かな起源は定かではありせん。
 
博多松囃子は明治維新後も同様に続きますが、1872(明治5)年11月になると、「金銭を浪費し、かつ文明開化にそぐわない」という理由から、正月の松囃子は禁止、天長節(天皇誕生日)などを祝うようにという通達が、県から出されます。(※この時、博多祇園山笠や盆踊りも禁止とされています。)
 
再開したのは、1879(明治12)年のことでした。松囃子は「どんたく」と名前を変え、紀元節(建国記念日)などに、街に繰り出しました。
 
1915(大正4)年からは、招魂祭の430日と51日に行われるようになります。 
 
その後、暫く続いた博多どんたくも、1938(昭和13)年を最後に、中断の時期を向かえます。
 
終戦後の1946(昭和21)年5月、「博多復興祭」として松囃子とどんたくが復活します。翌1945(昭和22)年には、花電車(3台)が走り、仮設舞台(16ヶ所)も設置されました。現在の博多どんたくの形が生まれたのは、この時になります。
 
どんたくとは、オランダ語で日曜日を表す「Zondag(ゾンターク)」がなまったものだそうです。この言葉は、明治政府制定の祝日を指す言葉として政府が広めたものと言われ、主に四大節を指していました。
 
博多松囃子は正月の祝いを禁止されると、明治政府が制定した祝日を祝うようになりました。このことから、どんたくという名称が用いられたと考えられています。


ウェブニュースより
 
卓球日本女子、中国に敗れ47年ぶりの世界一ならず ―― <卓球:世界選手権団体戦>◇5日◇第7日◇スウェーデン・ハルムスタード◇決勝トーナメント
 
女子の日本が47年ぶりの世界一を逃した。決勝で最強、中国と対戦し、1-3で敗北。世界ランク7位伊藤美誠(17=スターツ)、同3位石川佳純(25=全農)、同6位平野美宇(18=日本生命)の3人娘は奮闘したが大金星はならなかった。
 
1番手の伊藤が、同10位の劉詩雯に1-2とリードを許したが、フルゲームの末、3-2と逆転勝ちして、先勝した。2番手の平野は、同11位でリオ五輪金メダルの丁寧に0-3で敗れて1-1のタイに。3番手の石川は同2位の朱雨玲に0-3と連敗。1-2と追い込まれた日本は2番手の平野が再登場。劉に0-3とストレート負けし、1-3で中国に敗れた。日本は3大会連続の銀メダルに輝いた。
 
卓球王国に敗れ、47年ぶりの金メダルこそ逃したが、価値ある銀メダルだ。この日はストレート負けしたものの、主将を務めた石川の存在感は光った。経験豊富なキャリアをいかし、10代の選手をリード。3大会連続の銀メダルに導いた。
 
石川がチームの主将を馬場監督から伝えられたのは2月のチームW杯。ただ、その時は心に不安を抱えていた。若手の台頭は伊藤、平野だけじゃない。今回控えに回っている早田や長崎もおり、日に日に勢いを増している。2年後に迫ってきた20年東京五輪出場に向けた選考基準が気がかりだったが、3月中旬に日本連盟が過去の大会のように代表3人のうち2人は20年1月の世界ランキング上位者から選出する方針を決めた。「すっきりした」と自分が強くなることに集中できる環境が整った。
 
練習も変わった。毎日7時間の打ち込み、苦手のカットマン対策にも取り組んだ。高速卓球を求め、フィジカルもさらに強化した。4日の南北合同チーム「コリア」戦では、カットマンでリオ五輪で敗れたキム・ソンイ(北朝鮮)と対戦し3-2で下し、成果を見せた。
 
3大会連続の銀メダル。主将が背中で引っ張った成果でもあった。石川は「内容は最悪、チームに貢献できず、申し訳ない」と涙を流したが、主将としてチームを率いたことに「成長できた」と話した。 
★伊藤の話 (劉に)勝ったことは自信になった。苦しい練習をしてきて良かった。
★平野の話 負けて残念。結局自分のミスで申し訳ない。悔しい。   [日刊スポーツ 201856034]


 


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博多松囃子
「どんたく」と言えば、芸者衆や商工会、子供会などのパレードを指すと思っている人が多いようです。

叔父上が紹介して下さった「松囃子」は、 現在でも行われているようですが、あまり注目されることはありません。ですが今年もお稚児さんの舞などが櫛田神社で行われたようです。

7月の博多山笠もですが、祭りは「博多」のもののようで、「福岡」の武士は参加しなかったのでしょう。

篠山のような小さな城下町でも、武家町と商家町には厳然とした区別があり、最近まで武家町の子どもは(武家出身でなくても)秋祭りには参加できませんでした。

それでは可哀想だというので、ようやく参加できるようになったようです。でも、自前の山車がないので、どこかの山車に加えてもらってるようですが。
(ついでに言えば、女の子が山車に上らせてもらえるようになったのは、またごく最近のようです。)

母方が代々櫛田神社横に住んでいた博多の商家出身の友人は、東京に40年暮らしていても、私と話すときはバリバリの博多弁で、時に歴史や文化を熱く語ります。
どんたくが「面白味にかける」なんぞ言おうものなら・・・

浅草の三社祭もそうですが、心から愛する祭や郷土があるというのは幸せなことですね。
爺の姪 2018/05/06(Sun) 編集
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
86
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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