万葉集第八巻には「スミレ」の歌が三つあり、「すみれ」もしくは「つほすみれ」と詠まれています。
①原文: 春野尓 須美礼採尓等 来師吾曽 野乎奈都可之美 一夜宿二来
作者:山部宿禰赤人(やまべのすくねあかひと)
よみ: 春の野にすみれ摘みにと来しわれそ、野を懐かしみ一夜(ひとよ)寝にける
意味: 春の野にすみれを摘もうと思ってやってきたのに、懐かしくて一晩寝てしまいました。
②原文: 山振之 咲有野邊乃 都保須美礼 此春之雨尓 盛奈里鶏利
作者: 高田女王(たかだのおおきみ)
よみ: 山吹(やまぶき)の、咲きたる野辺(のへ)の、つほすみれ、この春の雨に、盛りなりけり
意味: 山吹(やまぶき)の咲いている野のすみれが、この春の雨のなか沢山咲いていますね。
③原文: 茅花拔 淺茅之原乃 都保須美礼 今盛有 吾戀苦波
作者: 大伴田村家の大嬢(おおいらつめ)
よみ: つばな抜く、浅茅が原のつほすみれ、今盛りなりわが恋ふらくは
意味: 浅茅(あさぢ)が原のすみれは、私の恋のように盛りです。
すみれは、花が大工道具の墨入れに似ていることから、そう呼ばれていると言われています。
菫はスミレ科スミレ属の多年草です。日本の山野に広く自生します。菫は三月から五月のかけて濃い紫色の小さな花をさかせます。花は、ラッパのような形の花をやや下向きにつけます。五枚の花びらは大きさが同じでなく、下側の一枚が大きく他の四枚は左右対称になります。繁殖力が強く、都会のアスファルトのひび割れなどからも顔を出すことがあります。
菫は、単なる野草の一種にしかすぎませんでした。いまの「ペンペン草」みたいなものでした。贔屓目にみても「たんぽぽ」程度のものでした。たとえばそれが証拠に、江戸期の俳句に「小便の連まつ岨(そば)の菫かな」(松白)があったりして、小便の先にも当然菫は咲いていたでしょう。菫が珍重されはじめたのは明治期になってからのことで、それまではただの草だったということです。詩歌の「星菫派」といい、宝塚の「菫の花咲くころ」という歌といい、菫が特別視されだしたのは、つい最近のことなのです。
※ 星菫派とは:天の星や地の菫(すみれ)に託して恋愛をうたった浪漫派詩人の一派のことです。明治30年代の与謝野鉄幹・晶子を中心にした明星派の人たちをさします。明治30年代、与謝野鉄幹・晶子夫妻を中心に「明星」によった浪漫派詩人の一派。星や菫すみれによせて恋をうたう、という表現傾向から命名されました。
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だからこそ、「山路来て何やらゆかしすみれ草」という芭蕉の句は新鮮だったのでしょう。つまらない「野の花」に、なにやら「ゆかしさ」を覚えた人がいるという驚きを詠んだものなのでしょう。
明治30年の2月、子規へ送った句稿の中に不思議な句があります。
菫程な小さき人に生れたし
菫のような可愛さにあこがれる女性の句と思われるような句ですが、まぎれもなく、夏目漱石の句です。小説『草枕』(明治39年)の世界とつなげて、面倒な人の世を離れて、ひっそりと菫のように生きたいという気持ちと解されることが多いようです。
スミレ(菫)にまつわるギリシャ神話は幾つかあるようです。
フィリシアに羊飼いの婚約者を持つ美しい娘イアがいました。この娘に太陽神アポロンが恋をし彼女を追い求めました。婚約者を持つイアは、アポロンの愛をを受け入れようとしませんでした。怒ったアポロンが、イアをスミレ(菫)に変えてしまったのです。スミレ(菫)の花が可憐なのは、イアの面影を残しているからだといいます。また、イアは神であるアポロンの求愛を拒否すれば、怒りのため復讐するに違いないと思い、婚約者への愛との板挟みにあったイアは、貞操の女神アルテミスに、私を人間以外の姿に変えてくれるように祈ります。その祈りを聞き入れてくれた女神アルテミスが、彼女をスミレ(菫)の花に変えてくれたとも神話では伝えています。
オリンポスの全能の神ゼウスは巫女であるイオを見初めます。イオはたいそう美しく気立ての優しい娘でした。ある時、二人が楽しく語り合っていると、ゼウスの妻ヘラが通りかかりかります。ヘラはことのほか嫉妬深く、逆上すると見境がつかなくなります。そのことをよく知っていたゼウスは、動転して慌ててイオを雌牛に変えました。牛となったイオは哀しみに暮らします。辺りには食べる草さえない。憐れに思ったゼウスはイオのまわりにスミレ(菫)を沢山生やします。ところが、このことをヘラの知ることとなります。妻の仕打ちを恐れたゼウスはイオを星にして天へ昇らせた。ゼウスは哀しみを抑えながら、イオの瞳と同じ紫色をスミレ(菫)の花につけたのでした。ギリシャではスミレ(菫)のことをイオンと呼ぶそうです。
また、スミレ(菫)の色が何故、紫色なのかというのにもエピソードがあります。
ある時、ヴィーナスが乙女達の踊っている姿を見て、息子のキューピットに乙女達と自分とどちらが美しいかを訊ねたところ、彼は乙女達と答えます。怒ったヴィーナスは乙女達を紫色になるまで殴ったといいます。気の毒に思ったキューピットが乙女達を紫のスミレ(菫)の花にしました。ギリシャ神話から、白は『無垢』、紫は『移ろいやすい』と言われています。
スミレ(菫)の花言葉は、「誠実で控えめな愛」、野辺の道にひっそりと「私を思って」と咲く花であるといわれています。
sechin@nethome.ne.jp です。
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