原文 若草乃 新手枕乎 巻始而 夜哉将間 二八十一不在國
訓読 若草の 新手枕を まきそめて 夜をや隔てむ 憎くあらなくに
作者不詳 万葉集巻十一 2542
現代語訳 新妻と手枕を交わしてから、一夜も逢わないで居られようか、憎くもないものを
この歌の表記が「憎く」という語を「二八十一」と書いているところが興味深いです。作者は明らかに掛け算の「九九」をしていたはずです。「八十一」は「九九」、したがって「二八十一」で「憎く」というのです。
『万葉集』には、その他に、鹿や猪を表す語「しし」を「十六」、十五夜の「望月」を「三五月」と書いたり、助詞の「し」あるいは助動詞「き」の連体形「し」を「二二」と書いた例もあります。
原文 …… 萬代 如是二二知三 三芳野之 蜻蛉乃宮者 ……
訓読 …… 万代(よろづよ)に 斯(か)く二二(し)知(し)ら三(さむ) 三(み)吉野の 秋津(あきづ)の宮は …… 笠朝臣金村 万葉集巻六 907
現代語訳
…… 継ぎ継ぎと万代までにこのように統治なされる吉野の秋津の宮は、……
ここには意識的に数字が列挙されています。
ミという和語の数詞、サムという漢語の数詞、「二二が四」の掛け算など、あたかも万葉知識人の数知識を展示したような表記であります。
「一一が一、二二が四」と数えながら、この数え方を「九九」と呼んでいます。「いろはにほへと……」を「いろは」と略称せずに「せすん」と呼んでいるようなもので、いささか奇妙ではありませんか。「一一が一」に始まる数え方がなぜ「九九」なのでしょうか?
古い形式の「九九」は文字通り「九九=八十一」から数え起こしました。「九九=八十一、八九=七十二、七九=六十三……三九=二十七、二九=十八。八八=六十四、七八=五十六、六八=四十八……二八=十六」と数えてきて、最後が「……二二=四、一一=一」で終わります。さればこそ、「九九」だったのです。十世紀の「口遊(くちづさみ)」という書物に、上の順序を列挙し、「之を九九と謂ふ」と注記した明証があります。十五世紀の『拾芥抄』所載の「九九」の表も順序は同じです。
「九九」はもともと中国の算法で、古来「九九八十一」に始まる方式が行われていたといいます。万葉人の習い覚えた「九九」も当然この方式でした。中国では元・明の算書に「一一」と下から数える順序を載せているということであるが、日本では十五世紀になってもなお「九九八十一」型であったことは『拾芥抄』所載の「九九表」によって明らかです。江戸時代の算書には既に「九九八十一」から始まる方式は載っていませんから、およそ十五世紀後半以降江戸時代初期あたりまでに新しい「一一が一」型の普及を見たのでしょう。
狂言に『二九十八』というのがあります。
ここの「九九」は「九九八十一」型であったのでしょうか、「一一が一」型であったのでしょうか?
sechin@nethome.ne.jp です。
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