瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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ある特定の地域において不思議な現象として取り上げられる7種の事柄です。一般に地名が冠せられて「何々の七不思議」と称されます。広く知れ渡っているものに越後(えちご)(新潟県)の七不思議があります。『北越奇談』によると、「燃ゆる土、燃ゆる水、白兎(はくと)、海鳴り、胴(ほら)鳴り、火井(かせい)、無縫塔」があげられています。このうち燃ゆる土、燃ゆる水、火井は、それぞれ石炭、石油、天然ガスのことであり、海鳴り、胴鳴りとは天気の変わり目に遠くから聞こえてくる海潮音、怪奇な轟音(ごうおん)のことである。白兎は冬季に真白な体毛をもつ越後の兎(うさぎ)のことで、無縫塔とは奇岩の呼称である。これらはいずれも自然現象に関することであるが、科学的な説明の十分ではない当時において、これを怪異な現象とみなし七不思議と名づけて喧伝(けんでん)したものなのでしょう。

 
信濃(しなの)(長野県)の諏訪(すわ)の七不思議も古くから伝えられているものです。『信濃奇勝録』によれば、「湖水神幸(こすいみわたり)、元旦蛙猟(がんたんのかえるがり)、五穀筒粥(ごこくつつがゆ)、高野鹿(こうやしか)の耳割(みみわれ)、御作田(みさくだ)、葛井清池(くずいのせいち)、宝殿点滴(ほうでんてんてき)」があります。これらは諏訪神社の祭祀(さいし)行事と深く関連するものです。人々の素朴な信仰心が、このような特異な神事に対して七不思議と称し崇(あが)めたのであろう。同様のことは仏教に関してもいえます。

 
幸若舞(こうわかまい)の「敦盛(あつもり)」に天王寺の七不思議ということばが出てきますが、これは同寺の三水(さんすい)・四石(しせき)の七不思議についてのことです。三水とは「荒陵池水、亀井(かめい)、閼伽井(あかい)」をいい、四石とは「転法輪石、影向石(ようごうせき)、礼拝石、引導石」のことです。天王寺は聖徳太子の創建と伝えられているので、あるいは太子の奇跡にかかわったものでしょうか。

https://www.youtube.com/watch?v=2UQPxDOwexw
というのは、貴人・高僧にかかわる七不思議はほかにもあります。越後に親鸞(しんらん)の七不思議というのがあり、秋田には弘法大師(こうぼうだいし)の七不思議があります。後者は由利(ゆり)郡鳥海(ちょうかい)町百宅(ももやけ)に伝えられるもので、百宅の七不思議とよんでいます。それには「大師の名づけた地名、虱(しらみ)のない猫、虫のつかない稲穂、先のとがらない田螺(つぶ)、水のない川、鳴かない一番鶏(どり)、寝泊まりした洞窟(どうくつ)」があります。これらはすべて弘法大師に関係したものであり、こうした七不思議ができる背景には弘法伝説の伝承があることはいうまでもないことです。人々の信仰心に支えられた神仏の奇特を説く七不思議が一方に存在したのです。


江戸にも民間説話を題材にした七不思議があります。有名な本所(ほんじょ)の七不思議、麻布(あざぶ)の七不思議がそれです。本所の七不思議には、「真夜中にどこからともなく聞こえてくる馬鹿囃子(ばかばやし)、追いかけるとどんどん向こうに行ってしまうという深夜の道の送り提灯(ちょうちん)、一ひらの落葉もないという松浦家の落葉なき椎(しい)の木、太鼓の音がするという火の見櫓(やぐら)の津軽家の太鼓、両国橋近くに生える片葉の芦(あし)、消えたことのない二八のそば屋の消えずの行灯(あんどん)、釣った魚を持ち帰ろうとすると置いてけと声がかかるおいてけ堀」があります。怪談仕立てに構成されてはいるが、妖怪(ようかい)変化の話であり、先行する伝説や世間話を再構成したものです。麻布の七不思議も同じような性質のものであり、そこには「善福寺の逆さ銀杏(いちょう)、六本木、かなめ石、釜(かま)なし横丁、狸穴(まみあな)の古洞、一本松、広尾ヶ原の送り囃子」があげられています。

 
七の数は聖なる数を示すことばであって、七不思議とは本来、自然界、神仏界における霊的な現象をさす意味があったように思われます。それが時代の流れのなかで信仰心が希薄になるにつれて、怪異な現象、不可解な事柄をもさすようになってきたと考えられます。


 

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学生時代、福岡の近世文学の先生方に同行して、大江町まで見に行きました。
地元の保存会の方が、少年から大人の組へと、順々に神社の舞台に出てきて歌いながら舞われるのですが、、、。

一本調子の曲にのせた詞は意味が解らないし、動きといえば、どの曲も同じ振り付けで直垂(ひたたれ)の袖をバタバタするくらい。
小雪が降る中、野外で立って二三時間鑑賞しましたか。体の芯まで冷えました。

田舎の神社で喫茶店なども近くになく、震えながら駅まで歩きつつ、「それでも日本で唯一この地に残り、遺された「幸若舞」を拝見できたと有り難く思わねば」と思っていたら、先生の一人が「あれじゃ、滅びるのも仕方ないなぁ」と仰ったのです。
「ひどいこと言うなぁ」 と思う一方「確かに」と笑いがこみ上げたのを覚えています。

記事を読んで、40年前のエピソードを思い出しました。詞に込められた故事来歴などを予習して、幸若舞を見に行っていたら、少しは興味ももてたかもしれません。ブログの詞を読んでななかなか面白いなぁと今さらながら知りました。

でも、幸若舞がブログに取り上げられ懐かしく思い出せたのですから、あの寒い時間も無意味ではなかったと、叔父上に感謝でございます。
爺の姪 2019/02/22(Fri) 編集
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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