ウェブニュースより
辺野古移設、解けぬ対立 22年度返還一段と困難に ―― 米軍普天間基地(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設を巡る沖縄県民投票は反対票が7割を超えた。2018年9月の知事選で移設反対を掲げた玉城デニー知事が当選したのに続き、辺野古移設に論点を絞っても反対の民意が示された。政府は移設工事を進める構えだが県との対立が解消する見込みはなく、日米両政府が合意した最短で22年度の返還目標の達成は一段と厳しくなった。
玉城氏が県民投票に踏み切ったのは、工事を止める手段が限られつつあるためだ。昨年8月に死去した翁長雄志前知事の県政下で市民団体による署名集めが始まり、玉城氏も9月の知事選で県民投票の必要性を訴えた。辺野古に争点を絞ることで移設反対の民意を明確にする狙いだった。
反対派が反対票の最低ラインに設定したのは投票資格者総数の4分の1に相当する約28万9千票だった。これを大きく上回り、知事選で玉城氏が辺野古移設の反対を訴えて獲得した約39万7千票も超えた。玉城氏はさらに政府に強硬的な手段で対抗しやすくなる。
1996年の米軍基地の整理縮小を巡る県民投票は賛成が89%を占め、投票資格者総数の5割を超えた。当時の大田昌秀知事は投開票の2日後に橋本龍太郎首相と会談。橋本氏は米軍基地の整理・統合・縮小に全力で取り組むことなどを約束した。
反対派は勢いづく。立憲民主党の福山哲郎幹事長は「県民の民意を全く無視する基地建設の強行は許しがたい。直ちに辺野古での工事を中断すべきだ」とのコメントを発表した。
辺野古の移設工事を巡っては、政府が18年12月に土砂投入を始めた。まだ知事の許可が必要な工程が残っており、県側の対応が工事の進捗を左右する。
政府は県民投票に法的な拘束力がないため、移設工事を継続する構えだ。防衛省幹部は「投票結果は移設工事に影響しない。一日も早く辺野古に移設する作業を進めるだけだ」と語った。
大きな火だねになりそうなのが軟弱地盤の存在だ。政府は今後、設計変更を県に申請するが、県は認めない構え。大量のくいを打ち込む必要があり大幅に費用が増えるとの試算を県がまとめ、政府をけん制している。
県は新たな法廷闘争も視野に入れる。県による18年8月の埋め立て承認撤回は石井啓一国土交通相が効力を停止した。これを不服として近く、裁判所に提訴する方針だ。
日米両政府は13年4月、名護市辺野古への移設を前提に早ければ22年度に普天間基地を返還すると合意した。長引く政府と県の対立で「目標達成は難しいところにきている」(岩屋毅防衛相)のが実情だ。
沖縄では4月に玉城氏の衆院議員失職に伴う衆院沖縄3区補欠選挙が予定される。7月には参院選も控える。ともに自民、公明両党が推す候補と、玉城氏ら移設反対派が支援する候補が争う構図になる公算が大きい。県民投票の結果が影響を及ぼす可能性がある。 (日本経済新聞 2019/2/24 23:30)
ドナルド・キーンさん死去 96歳 日本文学研究者、翻訳で国際化に貢献 —― 日本文学の国際化に貢献した文化勲章受章者で米コロンビア大名誉教授のドナルド・キーンさんが24日、心不全のため東京都内の病院で死去したことが分かった。96歳。通夜・葬儀の日程は未定。お別れの会を後日開く。喪主は養子のキーン誠己(せいき)さん。
1922年、米ニューヨークで貿易商の家庭に生まれた。コロンビア大の学生だった18歳の時、英訳された「源氏物語」を偶然手に取り、みやびな世界に魅了された。太平洋戦争中には、米海軍語学将校として日本兵捕虜の尋問・通訳に従事。彼らが残した日記を解読するうちに、日本への関心をより深めていった。
三島由紀夫ら多くの文学者と交流
戦後、大学に戻り、本格的に日本文学研究に打ち込み、53年には京都大大学院へ留学。後の文相で教育社会学者の永井道雄と親交を結ぶ中、中央公論社の嶋中鵬二社長を紹介されたのを機に、谷崎潤一郎や川端康成、三島由紀夫ら多くの文学者と交流。古典から近現代文学まで幅広い日本文学作品に精通し、太宰治や三島、安部公房らの作品を積極的に翻訳、紹介した。谷崎、川端、三島らの名前が候補に挙がったノーベル文学賞の事前選考にも、大学の同僚だった日本文学研究者エドワード・G・サイデンステッカー(2007年死去)とともに関わった。
2012年に日本国籍取得し話題に
11年3月の東日本大震災の津波被害と原発事故を憂えて、「大好きな日本に永住し、日本人になる」と表明。生涯独身で、後に養子に迎える新潟県出身の文楽三味線奏者、上原誠己さんと06年秋に知り合ったことが日本国籍取得(12年)の最大の契機になったという。13年には、研究業績などを紹介する「ドナルド・キーン・センター柏崎」(同県柏崎市)がオープンした。
日記文学を論じた「百代の過客」で読売文学賞と日本文学大賞(85年)、力作評伝「明治天皇」で毎日出版文化賞(02年)を受賞するなど多数の論考を著した。
近年でも評伝「正岡子規」(12年)、同「石川啄木」(16年)を刊行するなど晩年まで創作意欲は旺盛だったが、18年3月の米ニューヨーク訪問後に体調を崩しがちになり、都内の病院で入退院を繰り返していた。公には、同年5月に埼玉県草加市で上演された「幻」の古浄瑠璃「越後国柏崎 弘知法印御伝記(こうちほういんごでんき)」の記念座談会で元気そうな姿を見せたのが最後となった。 (02/24 09:37 毎日新聞)
ドナルド・キーンさん死去、養子のキーン誠己さんが談話「穏やかに永遠の眠りに」 ―― 24日朝死去した国際的な日本文学研究者、ドナルド・キーンさんの養子で喪主のキーン誠己さんは同日、報道機関に向けて「父は苦しむこともなく、穏やかに永遠の眠りにつきました。自ら選んだ母国で日本人として、日本人の家族を持ち、日本に感謝の気持ちをささげつつ、幸せに最後の時を迎えました。日本文学に生涯をささげ、日本人として日本の土となることが父の長年の夢でしたから、この上なく幸せな一生だったと確信しています」との談話を発表した。
キーンさんの遺体はこの日午前、東京・上野の病院から世田谷の葬儀会館へ移り安置された。生前愛したベルディのオペラが流れるなか、安らかに眠っていた。
葬儀は親族のみで執り行い、後日、南青山の青山葬儀所でお別れの会を開く予定。 〔毎日新聞2019年2月24日 15時28分(最終更新 2月24日 17時16分)〕
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