瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 ヘラクレスの三度目の妻ははDeianeira(デイアネイラ)と言います。彼女は、河神Achelōos(アケロオス)に求婚されておりました。ヘラクレスはアケロオスに勝負を挑み、アケロオスを倒してデイアネイラを妻にしました。

※ Bartholomeus Spranger(バルトロメウス・スプランヘル、1546~1611年):ブラバント公国(現在のベルギー)の画家。北方マニエリスムの代表的な美術家。

 さて、ヘーラクレースとその妻デーイアネイラは、彼らの子供であるHyllos(ヒュロス)を連れて旅をしていました。ある日のことです。Evenus(エウエノス)川のほとりでヘーにクレースとデイアネイラは途方にくれていました。対岸に行きたいのですが、川の水かさが増し、このままでは渡ることができません。その時、半人半馬のケンタウロス族のNessos(ネッソス)がやってきて言いました。
「大変そうだな。奥さんの方は俺の背に乗せて川を渡ってやるよ」
 ヘラクレスはデイアネイラをネッソスに託し、自分は一人で川を渡りました(他にヘラクレスは息子を抱えて川に入ったという話もあります)。無事川を渡り終えたヘラクレスですが、ふと周囲を見渡すとデイアネイラとネッソスの姿が見当たりません。不審を覚えたとき、突如妻の悲鳴が響き渡りました。驚いて悲鳴のした方を見ると、草むらの奥でネッソスが妻に襲いかかろうとしているではありませんか!

※ Guido Reni(グイド・レーニ):バロック期に活動したイタリアの画家。アンニーバレ・カラッチらによって創始されたボローニャ派に属する画家で、ラファエロ風の古典主義的な画風を特色とします。

 ヘラクレスはヒュドラの毒を浸した矢をつがえて、すぐさまネッソスを射貫きました。

※ Louis Lagrené(ルイ・ラグネル):フランス画家。1744年からローマ王立学校でカール・ファン・ローに学び、1755年、Rアカデミーメンバーとなります。1762年からボザール教授。1781年からローマのフランスアカデミーディレクター。

 ネッソスは息絶える前に、デイアネイラに言いました。


「俺の血を浸した布を持っておくがいい。後にヘーラクレースが心変わりをしてあんたから離れようとしたときに、この布で服をつくりヘーラクレースに着せるんだ。ヘーラクレースはあんたの元に帰ってくるよ」
 デイアネイラは困惑しながらもネッソスの血を浸した布を握りしめました。…… 後に、これがヘーラクレースの命を奪うことになるとは露とも知らずに。
 後に、ヘラクレスは妻デイアネイラをTrachis(トラキス)という国に預け、自分は人を募ってOichalia(オイカリア)に攻め入ります。かつて、弓術試合でEurytos(エリュトス)一家がヘーラクレースとの約束を守らなかったので、その復讐のためです。へーりクレースは王エリュトスと王子たちを殺し、王女Iolē(イオレー)を捕虜として手に入れました。
 オイカリアとの戦を終えたヘーラクレースは、ゼウスに感謝を捧げる儀式を行うことにし、トラキスにいる妻デイアネイラに新しい服を送るように使者を送ります。使者から話しを聞いたデイアネイラ。夫のヘーラクレースが若い王女イオレーに熱を入れているのを知ります。自分はもう若くなく、到底イオレーに叶わないことも判っています。
 そこでデイアネイラはその昔、ケンタウロス族ネッソスの死に際の言葉を思い出します。…… ネッソスの血に浸った布で服をつくり、ヘーラクレースに与えれば彼の心が取り戻せると思ったからです。デイアネイラはネッソスの血が浸った布で礼服を作ります。そして完成した礼服をへーラクレースに送りました。
 ヘーラクレースは妻から送られた礼服を身にまといました。ですが、なんということでしょう‼ 皮膚がただれ、全身を激しい痛みが襲いかかりました。
 …… そうです。ネッソスの血が浸った布で作った礼服が原因だったのです。ネッソスの血そのものが毒であったわけではなく、ヘーラクレースがネッソスを射た時、その鏃にはHydrā(ヒュドラー)の毒が塗られていました。ネッソスはヒュドラーの毒が全身に回って死んだのです。いわば、ネッソスの血はヒュドラーの毒によって犯されており、その血を浸した布は毒布と化していたのです! 当然、ネッソスはそれを承知の上でデイアネイラに勧めた、というわけです。…… 恐るべし。死せるネッソスが英雄ヘラクレスをまさに追い詰めた瞬間でありました。

 ヘラクレスは急遽妻のいるトラキスに搬送されます。事態を知ったデイアネイラは、自分がネッソスに騙されたことを悟りました。
「私はなんて愚かだったのでしょう!」
 デイアネイラは嘆き悲しみ、そしてなんと自害してしまいます‼
 一方ヘラクレスも重体です。己の死期を悟ったヘラクレスはOitē(オイテ)山(バルカン半島部南部にある山地)の山頂に薪を組上げました。そしてその上に横たわると、息子ヒュロスに火をつけるように言いますが、ヒュロスはそれを拒みます。父を生きながら火葬にするなんて、その火付け役などできるはずもありません。
 そこへ羊の群を探して通りかかったPoiās(ポイアース)がヘ-ラクレ-ス親子から話を聞いて哀れと思い、火付け役を買って出てくれました。ヘーラクレースは火付け役を買って出たお礼にポイアースに弓を与えました。Hyginus(ヒュギーヌス、BC64年頃~AD17年頃、ラテン語の著述家)では、Philoktētēs(ピロクテーテース、ポイアースの息子)がヘーラクレースの火葬壇を築き、ヘーラクレースの弓を譲られたとします。この弓は、後に予言者Kalchās(カルカース、、Troia〈トロイア〉戦争のさいにAgamemnōn〈アガメムノーン〉に乞われてギリシア軍に従軍し、予言の術でギリシア軍を助けました)によって、トロイア戦争でギリシア勢が勝利する条件とされました。

※ Guido Reni(グレイド・レニー):7世紀前半、バロック期に活動したイタリアの画家。アンニーバレ・カラッチらによって創始されたボローニャ派に属する画家で、ラファエロ風の古典主義的な画風を特色とする。
Francisco de Zurbarán(フランシスコ・デ・スルバラン):バロック期のスペインの画家。スペイン絵画の黄金時代と言われる17世紀前半に活動した画家であり、宗教画、静物画に優れていました。


 


 ヘーラクレースはヒュロスにイオレーを妻とすることを遺言し、火葬されてオリュンポスに昇り、神となったのです。ヘーラクレースの肉体は灰燼に帰し、魂は天へと登ります。天上ではゼウスが彼を暖かく迎い入れました。そして、女神Hērā(ヘ-ラ-)ともここでようやく和解します。へーラーの娘である青春の女神Hēbē(ヘーべー)を妻に娶り、ヘーラクレースは神の一員として天上で暮らしたのでありました。

 そしてヘーベーとの間にAlexiares(アレクシアレース)とAniketos(アニーケートス)という二柱の息子を儲けたのであります。


 

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