瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 昨日は、二十四節気の「清明」であった。
547e6e44.jpeg 中国では、毎年、春暖かく、花が咲いて、万物が蘇った時、伝統的な祭日・清明節を迎えることになる。清明の日は毎年4月の上旬である。この日になると、人々は祖先を祭ったり、墓参りをしたり、郊外へ遠足に行ったりする。一部の地方では、清明節を『鬼節』と言う。清明節の前後にどの家も墓参りをし、祖先を祭る。お墓の雑草を取ったり、新しい土を添えて、蝋燭と線香を立て、紙銭を焼いたり、お礼と黙祷を捧げる。
 清明節の起源は漢の時代で、明の時代になるとお墓参りの風俗はピークに達した。紙銭を焼くばかりではなく、多くのおかずを作ってお墓の前に供えて祭ることだった。
 清明節の墓参りの風習は今日にも残されているが、形式は簡単になり、家族のほか、人々は集団で、革命烈士の墓地へ花輪や花束と松の枝を捧げて、哀悼の意を表しているようだ。
 清明節は大地が春を迎える季節で、人々は祖先を祭るほか、郊外へ遠足に行ったりするが、これは「踏青」と呼ばれている。清明節の前後、女性達は野良で自生する野菜を取って、餃子や、饅頭の餡(あん)にする。新鮮で、美味しいものらしい。一部の女性は野生の小花を取って、髪に挿す習慣もあるという。この他、凧揚げをしたり、ブランコをやったりする慣わしもあるらしい。
 清明は春の耕す季節に当たる。これについて多くの諺が言い伝えられている。例えば、「清明前後、種瓜種豆」は清明節の前後には、瓜や豆を栽培するという意味で、また「栽樹莫要過清明、種上棒槌也発青」は清明の前には植樹の一番良い季節だと言う意味だという。
※「踏青(青き踏む)」は俳句で春の季語ともなっている。
   踏青と いふは闘う 一歩かな  大木あまり
 
 淸明   唐 杜牧
淸明時節雨紛紛  淸明の時節 雨 紛紛(ふんぷん),
路上行人欲斷魂  路上の行人 魂を斷たんと欲(ほっ)す。
借問酒家何處有  借問(しゃもん)す 酒家 何れの處にか 有る,
牧童遙指杏花村  牧童 遙かに指さす 杏花(きょうか)の村。
19a2bd0a.jpeg〔訳〕清明の時節であるのに小雨がしきりに降っている。
その雨は路地を歩いている私の心を滅入らせる。
何処かに酒店がないものかと〔子供に〕尋ねると、
その牛飼いの少年は遠くに見える杏の花が咲き誇っている村を指差した。
 
e7dd7c80.jpeg※杜牧(803~852年):晩唐の詩人。字は牧之。京兆萬年(現・陝西省西安)の人。進士になった後、中書舍人となる。杜甫を「老杜」と呼び、杜牧を「小杜」ともいう。李商隠と共に味わい深い詩風で、歴史や風雅を詠ったことで有名である。
 
  4月1日に結婚した恵理ちゃんの旦那のカズ君は一橋大学のラクロス部のOBであるという。
fbf8f501.jpeg 今年の2月に逝去した塾友マイチが病床のうちに作成した年賀状に二人の息子がラクロスに夢中になっている話が書いてあったのを思い出し、ラクロスとはいったいどんな競技であるかを調べてみた。
 


 ラクロスの起源は17世紀に遡る。原型は、北米インディアンが戦闘用の訓練に用いていた格闘球技で、これをカナダに入植してきたフランス系移民が発見し、彼らの手でルールなどが定められ、スポーツ化したものという。「ラクロス」の語源はフランス語で、当時、インディアンが使用していた道具が、僧侶が持つ杖(Crosse)に似ていたことから「La-Crosse」と呼ぶようになったと聞く。19世紀後半にカナダの国技となり、以降、各国へと普及していったらしい。カナダ、アメリカ、オーストラリア、イギリス、日本などを中心に盛んに行なわれ、近年ドイツ、スウェーデン、中国、韓国、アルゼンチンなどにも普及し、現在14カ国が国際連盟に加盟し、世界の競技人口は約60万人にのぼっているそうだ。
 アメリカのfrontier spirit(フロンティアスピリット)を考えるに、一攫千金を夢見て西へ向かった人々が競馬や闘鶏などに熱中したのも無理からぬこと。スポーツにおけるチャレンジ精神もこの辺りの行動と深くつながっているらしく、リスクを恐れず果敢に立ち向かうアメリカ人の気質がこの時代から現代まで続いているのだということが判る。塾友であり、現在コアラ体育クラブの御大であるM先生がマイチの二男D君に「アメリカにいって勉強して来なさいよ」と助言していたのももっともなことだと思う。
 ラクロスという競技がアメリカ大陸で発展してきたのも、こうした背景があったに違いない。時には人々に突拍子もないと思わせる行動に駆り立つことも頷けるのである。
 
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d48bcd7a.jpeg 結婚式場内を褌姿でこの場狭しと駆け巡り、新郎をピラミッドの上に担ぎ上げた一橋大学ラクロス部OBの面々の図を思い浮かべながら、マイチの息子たち――東大ラクロス部の長男Y君と日体大ラクロス部の二男D君をインターネットで探してあてた。
  姉の形見の携帯を持つことになったが、何せマニュアルを見ることの嫌いな瘋癲爺はその使い方に慣れることに追われている。それに、4月1日は甥の娘の結婚式とついつい、昨日4月2日は母の命日であったことを忘れていたが、家の婆様が、1日に新婦の母から頂いた博多名物「通りもん」を箱から取り出し、母と姉の遺影の前に供えているのを見て思い出した。
 昭和49(1974)年、爺は42歳の厄年であった。今年と同じように冬の長い年で、3月末に東京は銀世界に覆われた。母はオトンボの爺の家に前の年の暮から遊びに来ていたのだが、脳梗塞で倒れ、淺草は聖愛病院で、5人の息子・娘とその家族に見守られながら息を引き取った。今年は38回忌に当たる。浅草寺の五重塔に父と一緒に位牌を納めた。
 昨年暮れに亡くなった姉は、母と下界を見下ろしながら、「お母さん、あれが私の孫、お母さんの曾孫になるのよ」と喜んでいてくれることだろう。
ac808e8d.jpeg 姉の追悼文集を作ることにして、ごく身近の人に追悼の文(ふみ)を書いてもらい、すでにゲラが出来上がった。最後の1頁が空白になっているので、姉の孫に当たる新婦の結婚式の写真を入れるべく、新婦にメールしてみた。曰く、「おばあちゃんは恵理ちゃんの結婚式をとても楽しみにしておりました。/二人の写真をおばあちゃんの追悼文集の1ページ(A5版)に入れたいと思います。/私の撮った二人の写真を貼付しておきます。他によいものがありましたら、送信してください。/この写真に天国のおばあちゃんに恵理ちゃん(またはお二人)の短いコメントを添えたいと思いますので、それもよろしくお願いします。/追悼文集の発行はおばあちゃんの誕生日の4月15日としたいので、できるだけ早くお願いします。/忙しい中無理なお願いで誠に申し訳ありません。/日高 節夫」
218a9638.jpeg 早速、携帯のメールに恵理ちゃんからの返事がきた。曰く、「「ブログ、夫婦で読みました! 素敵にまとめていただきありがとうございます。パソコンのメールもありがとうございます。せっかくなので、おじさんに参加してただいた鏡開きの写真を使おうと思いますので、誰かにもらいますね。(プロのカメラマンの写真は一ヶ月後にしかもらえないんです)。締め切りも了解です。―END―」
  昨日は三田の三井クラブで甥の娘の結婚式。
 『一つ年上の女房は、金(かね)のわらじを履いてでも探せ』と言うことらしいが、交際4年、一万キロを乗越えて、スーダンにまででかけ、ナイル川の夕日の中でプローポーズしたという新郎に応えて佳き嬶(かかあ)になって欲しい。
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232880b4.jpeg 嬉しいことに披露宴の席に新婦からの直筆のメッセージが置かれていた。
「恵理ちゃんのお祖父ちゃん・お祖母ちゃんの代わりができ、その上鏡開きまでさせていただいて、カズくん・恵理ちゃん本当にありがとう。きのうのうちに、チー姉ちゃん(叔母さんだか姉ちゃんと呼んでいるらしい)より僕の使い始めの携帯に写真を送ってたよ。携帯の使い道には慣れていないのだが、何とかパソコンに取り入れることができたので、貼り付けておきます。これからも楽しく健やかに過してください」
 品川で篠山に帰る姪と、福岡に帰る甥を送って帰宅したときは午後6時に近かった。二人とも忙しい合間を縫っての結婚式であったらしい。
  本日(4/1)の甥の娘の結婚式出席のため、篠山市在住の姪が上京。
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6ddaf73c.jpeg 姉(甥と姪の母親)の形見だと言うことで、一昨日(3/30)夜、携帯電話を持参してくれた。よく理解できないが、ポイントが貯まっていたからと、新しい携帯電話で、姉が使っていた電話番号をそのまま引き継いだものと言う。持参してくれた携帯の使用法を習ったが、理解できたのかどうか自分でもよく判らない。まあ、こんなもの理屈より慣れというから、持つからには使用して慣れるしかない。携帯を持っている方々に時ならぬ電話を掛け迷惑をお掛けしたと思うが、お許しあれ。
 
  今朝のウェブニュースより
4e749527.jpeg  特捜部長有罪―検察の体質も裁かれた
  特捜部の威信や自らの地位を守るための犯行であり、刑事司法に悪影響をもたらした――。 /大阪地検特捜部で起きた証拠改ざん事件で、当時の大坪弘道(ひろみち)部長と佐賀元明(もとあき)副部長に対し、大阪地裁は懲役1年6カ月執行猶予3年の判決を言い渡した。その際の裁判所の指摘である。/巨悪を暴くはずの特捜検察の組織ぐるみの犯罪であり、それを身内の最高検が摘発するという例を見ない不祥事だった。/ 判決によると、厚生労働省の村木厚子さんの無罪が確定した郵便不正事件で、部長らは主任検事が証拠を検察に有利なように書き換えたのを知りながら、その事実を隠していた。それが犯人隠避の罪に問われた。/証拠改ざんの疑惑が表面化する発端は、村木さんの初公判だった。問題の証拠が検察の主張と矛盾することを弁護側が指摘したのだ。/その直後に改ざん疑惑は副部長に伝わり、部長にも報告された。しかし証拠に手をつけたことを知りながら、それを解明することなく公判を続けた。/立ち止まれる機会は幾度かあった。だが、捜査と公判にかかわったほかの検事らも目をつぶってしまった。/改ざんがわかった時点で誠実に対応していれば、村木さんの無実はもっと早く証明されたはずだ。/この事件を検証した最高検が、報告書で「引き返す勇気」の大切さを説いたのは、そうした反省からだった。/一方で最高検は、部長が村木さんの摘発を強く求め、捜査に消極的な意見を嫌ったことが改ざん事件の背景にあると指摘してきた。/だが、個人の資質のせいにして済ませられる話ではない。問題は検察の体質そのものにもあったのではないか。/不都合な証拠に目をくれず、あらかじめ描いた構図に沿って捜査を進め、否認しても聴く耳をもたない。村木さんの冤罪(えんざい)を生んだ背景には、そんな捜査手法があった。/判決は量刑を述べる中で「検察組織の病弊ともいうべき特捜部の体質が生んだ犯行」と指摘して、執行猶予をつけた理由にあげた。/検察の体質そのものが裁かれたと受け止めるべきだ。大阪だけの話ではない。/最高検は再発防止策として、内部監査や決裁体制を強化し、取り調べの録音・録画の範囲拡大などを打ち出している。/そうした改革を実質の伴うものにするしか、国民の信頼を取り戻すことはできない。
 
 本日はこれから、甥の娘の結婚式。朝10時までに三田の会場まで行かねばならない。
 先日、順番待ちの際Barber で読んだ週刊誌の記事をウェブニュースから探してみた。
c941e611.jpeg 大相撲 「強行突入」試みる朝青龍を5人の親方必死に止めた ―― 把瑠都の綱獲り、鶴竜の大関昇進が話題となった大阪場所での最大の注目は、昨年の八百長問題による中止で受けた大打撃からの回復を、相撲協会が角界改革を掲げる最年少理事・貴乃花親方に委ねたことだった。/その4日目、貴乃花を激怒させる「大事件」が起きていた。原因を作ったのはあの「悪童横綱」だった。若手親方が振り返る。/「この場所の敢闘賞は玉ノ井親方(元大関・栃東)かもね。あの朝青龍を“送り出し”たんだから(笑い)」/この日は、来日中のバトボルト・モンゴル首相の観戦が予定されていた。ところが、直前になって元横綱・朝青龍(ドルゴルスレン・ダグワドルジ氏)が同行することが判明。関係者は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。/「事前に来場者の名簿は提出されていたが、朝青龍が本名で登録していたためか、協会側が見落としていたようだ」(同前)/昨年11月の九州場所では、9日目に朝青龍が来場。許可なく支度部屋に闖入(ちんにゅう)して、日馬富士ら後輩モンゴル力士を激励した。八百長騒動以降、支度部屋への関係者以外の立ち入りは禁止されており、大問題になった“前科”がある。/しかもこの日は、着物女性の来場を呼びかけるという、大阪場所担当の貴乃花親方の肝煎り企画「和装デー」当日。出迎えに景子夫人も動員した目玉企画は、地元呉服店団体の賛同も得て、華々しく行なわれていた。/折角のイベントを傍若無人の問題児に台無しにされてはたまらない。貴乃花親方は、大慌てで警戒を指示。午後5時過ぎに首相一行が到着すると、周囲を5人の親方衆で取り囲んで徹底監視する態勢で臨んだのだ。/会場の大阪府立体育会館には国技館のような貴賓席がないため、一行は3階の椅子席へ。/席に着いて20分もすると、早速朝青龍が素早い出足を見せた。モンゴルの後輩、横綱・白鵬の激励のため、1人だけ席を離れて階段を下り、東の支度部屋方向へ移動を始めたのだ。/警備担当の親方が無線で連絡を入れると、玉ノ井親方は支度部屋に急行。ズンズン進む朝青龍。入り口で警備を担当する若者頭が、決死の形相で通せんぼすると、朝青龍は一瞬ムッとした表情になる。/手の早い悪童が爆発したらど突き合いになる、そう思われた次の瞬間、玉ノ井親方ら5人の親方衆が駆けつけてきた。それに気づいた朝青龍は苦笑いしながら、ニコリともせずに立ちはだかる玉ノ井親方の表情を見て、自席へ引き揚げた。しかし、来賓同行という立場でなければ、あっさり引き下がったかどうか……、一触即発の土俵下だった。/席に戻った朝青龍は何事もなかったかのように、歓声に応えて愛嬌を振りまき、結びの一番まで観戦。帰り際、報道陣に囲まれると「いやあ、朝青龍コールが起こったな。よかった、よかった」と満面の笑みを浮かべて帰っていった。/「気持ちはわかるが、お客さんは土俵そっちのけで朝青龍を追いかけていた。貴乃花親方は表情こそ変えなかったが、内心は苦々しい思いだっただろう。和装イベントの出迎えの時から、浮かない表情だったからね」(別の若手親方)    (週刊ポスト2012年4月6日号)
  昨日は朝食後言問橋西詰から隅田公園に入り、早咲きの大寒桜の咲く花川戸を通って吾妻橋西詰に出る。雷門通りを通って仲見世に入り、新仲見世通りから東武浅草駅北口前にあるbarberに行く。
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3abed80c.jpeg いやはや、いまや隅田川を挟んで墨田区・台東区はすっかりスカイツリーに振り回されている観だ。それでなくてもせせこましい隅田公園にスカイネストやツリー見学用のベンチなんて如何なものか? 雷門のまん前には奇を衒ったとしか思えない異様な建造物が出現した。聞くところに拠るとこれもスカイツリー開業に便乗しての客集め狙いの代物だと言う。淺草の古き佳き伝統が破壊されていくように思えて仕方ない。
 
4474724d.jpeg 先だって福岡在住の甥と電話で話した時、「叔父さんのブログに英語のコメントがついていて、ベタ褒めだったですよ」と言うことだったので、調べてみると、2010年1月11日(月)のブログ「黄金漬けになった王様」についたコメントであった。随分以前のブログに付いたコメントであるが、おそらく外人の方だと思うが、どうやら日本語を英語に訳しながらご覧になっていると見える。マッコト、嬉しい限りではある。
 
Its Pleasure to understand sechin.blog.shinobi.jp .
The above articles is pretty extraordinary、 and I really enjoyed reading your blog and points that you expressed. I really like to appear back over a typical basis、post a lot more within the topic. Thanks for sharing…keep writing!!!   appliance repair Huntington Beach URL 2012/03/18(日)
 
 アメリカ・カリフォルニア州のハンティントビーチにあるカーティス・クレーター・アブライアンスという家電の修理を専門とする会社の方からのコメントらしい。
 若かりし頃、もっと英語の勉強をしておれば、連絡の方法もあるのだろうが、何せ英語が不得手ときては、連絡が取れても話す手段(てだて)を知らぬ。誠に情けないことではある。
 
 眠れぬ夜のために、枕元に『東坡志林』を置く。
 蘇軾〔1036~1101年)は字を子瞻(しせん)といい、東坡居士と号す。眉山の人。21歳のときに父洵(じゅん)に従って弟轍(てつ)と共に上京し、翌年進士に及第して文名一時にあがったという。中年以降は王安石の新法に反対したため中央を終われて地方の知事を歴任、神宗に代わって哲宗が即位したときに一時中央に呼び戻されて翰林学士から兵部尚書、礼部尚書になったが、59歳のときに再び失脚して海南島に流される。後に赦されて帰還する途中病死、文忠と謚(おくりな)された。
f68ee928.jpeg 『東坡志林』は宋代の大詩人蘇軾〔1036~1101年、東坡居士と号した〕の撰といわれ、この種のものでは古来もっとも有名である。しかし、その成立事情や内容性質などについては必ずしもはっきりしない点が多い。東坡は詩文・書画といわず往くところ可ならざるはなしの大才、字を書くのが大好きで、紙さえ見ればすぐに筆をとって思いつくままを書いた人であったらしい。東坡の文集には史論や政論などの堂々たる大文章が並べられ壮観を呈しているのであるが、志林は気随気儘に書き散らした作品で、東坡にじかに接するような近親感を覚えさせられる。まさに蘇軾はBloggerの始祖のようなものと言うべきや。
 
  マイチの四十九日忌の志が届いた。カタログ帖になっていて、そのなかから品物を選ぶようになっているのだが、いつまでもマイチを偲ぶことができるようにと、イギリス製のペアマグカップを選んだ。
8fa9f093.jpeg 仏(ぶつ)に関する志には「礼状」を出すものではないと言うことだが、ついつい奥さんにメールしてしまった。曰く、「その後、ご無沙汰していますが、いかがお過しですか。/本日は四十九日忌のお志を戴きいたみいります。/さっそく、ぺアのマグカップ(写真貼付)を申し込みました。/毎日大切に使用し、Y君を偲ぶことが出来ればと、またY君の所縁(ゆえん)の方が見えたときには、これでお茶なり、コーヒーなりを飲みながら、思い出話に花を添えようかとも思います。/お彼岸の中(うち)に満中陰を迎え、祐二君は無事彼岸に達したことだと思います。Y君の永眠の場所は決まりましたか。何かの時にはお参りしたいものと思っています。よろしければお教え下さい。/私事になりますが、私の3月22日のブログでY君に触れてみました。宜しければ、ご覧下さい。下のURLをクリックしてカレンダーの日付をクリックすれば、ご覧になれます。/日高節夫」
 本日マイチの奥さんからメールがはいた。曰く、
「日高先生 メールありがとうございました。
 携帯にメール頂いておりますが、
携帯からの返信では文字化けしたように思い、PCから返信いたします。
 主人を偲んでカップをお選んでいただいたとのお話し、うれしいかぎりです。
 いつも『先生の最後は自分が看取る』と口癖だったのに、その本人が先に逝ってしまうなんて、本当に困ってしまいます…
 主人のお墓の件ですが、なんと浅草田原町、それも仁丹塔のところの墓地になりました。兄曰く、浅草近辺には墓地の宣伝のチラシが入っていとのことです。
 仏壇並みの小ささですが、
『浅草の商売人の家はみんな小さかったんだから、小さいのには慣れているよ。大丈夫。大丈夫。』という兄の言葉に後押しされ、決めました。
cfd75d91.jpeg お寺の名前は浄土宗S寺です。
田原町駅から雷門に向かって、MDの少し手前に「M」という喫茶店があるんですが、そこを入ったところです。
四十九日の法要からお世話になりましたが、墓石は5月中に出来上がる予定です。
Yさんにとってはこれ以上のところはない! とご縁を感じつつ、家族親族ともにとても喜んでいます。
いや、Yさんが一番喜んでいることと思いますが。
 納骨が済みましたら、ご連絡いたします。ついでの際は、ぜひ、会いに行ってやってください。
 では、おやすみなさい。           KM 」
 早速、KMさんの パソコンのメールアドレスを爺のパソコンに搭載することにした。
 久し振りに足を引きずりながら言問橋~桜橋間を川沿いに歩いてみた。
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 いやはや、東武の業平橋駅が「とうきょうスカイツリー」駅になるし、大相撲の夏場所(5月場所)ではスカイツリー開業に合わせてその高さ634mにあやかって639円の席を設けると言う。ここのところスカイツリー便乗があまりにも多く、煩わしささえ感じているのだが、言問橋の西詰下になにやら工事をしている。なんでも、ここにスカイネストなんていう建造物ができるらしい。工事の防禦壁にある説明板によると三日月形の鳥かごで中には大小さまざまな鳥が置かれると言う。説明板を読んでいると、耳元で工事現場の警備員の小父さんが「おえらい芸術家さんは何をしでかすのか理解できませんわ」とぼやいていた。言問橋の燈柱の上ではカラスが工事を見下ろしながら「カア、カア」と笑っていた。
49af9cc3.jpeg ウェブニュースに次のような記事を見つけた。
 夏木マリのカーネーション ネタ尽きてもはや「蛇足」との指摘 ―― 主演交代で話題となったNHK朝ドラの「カーネーション」。74歳の糸子が自分のブランドをバタバタと立ち上げ、糸子の孫・里香はヤンキーの設定……。だが、そんなテレビ画面に「蛇の足」を見ている視聴者は少なくないはずと、作家で五感生活研究所の山下柚実氏は指摘する。以下は、山下氏の視点である。
         * * *
79ab30c0.jpeg NHK連読テレビ小説「カーネーション」。3月3日放送分から主人公・糸子の役が、夏木マリに代わって2週間以上がたちました。/「今さら主人公を変えるな」、「続投させよ」という声もあがった交代劇。今、お茶の間の人々はどのような気持ちでテレビ画面を眺めているのでしょうか?/延々と続いてきた連続テレビ小説の最後の1ヶ月だけを演じよ、と言われた夏木マリもプレッシャーがあったはず。その分、演技にかける必死な「思い」は伝わってきます。/でも、役者の力量というよりは、むしろ全体のドラマ構成として、なんだか間延びしている感じが否めない。もはや、描くテーマは限られています。74歳の糸子が自分のブランドをバタバタと立ち上げる、というエピソード以外には、もうネタはほとんど尽きている。/だからなのか、糸子の孫・里香をヤンキーの設定にしたり、ジャージ姿で道を歩かせてみたり。突然改心させてみたり。糸子が階段から落ちてみたり。どこかで見たような、凡庸で安っぽいエピソードのつなぎあわせに終始しています。/ 実は、ヤンキーの設定をめぐっては現実との間で波紋も起きています。孫にあたる実在のデザイナー、コシノ・ユマも困惑、とのこと。/「劇中にて主人公・糸子の孫が登場しましたところ、皆様から数多くのお声が寄せられておりますが、ドラマはフィクションであり、実際の事実とは異なります」と、「ユマ・コシノ」公式ウエブサイトにもわざわざ書いてあるほど。その母・コシノヒロコも、NHKのトーク番組で、「ヤンキーではなかった」と念を押していました。/ひとことでいえば、3月からの放映分は「蛇足」に過ぎないのではないか。そう見えてしまうのです。/「蛇足」の意味は、ご存じのように「余計なもの」。でもその言葉の背後に、実に味わい深い物語が横たわっていました。戦国時代、中国の楚の国。一人で飲むには充分だがみんなで分けるには足りないお酒。村人たちは、「一番早く蛇の絵を描いた人が、酒を飲んでいい」と取り決め、競争を始めた……。/一番早く描きあげた人は大喜び。お酒の入った杯を手にして、他の人が絵を描くのを眺めていたけれど、余った時間をもてあましたのか。「蛇の足も加えておこうか」と足を描き加えてしまったのです。/村人たちからは「蛇には足なんてない」とダメ出しをくらって、結局失格となり、お酒も飲めなかった。そんな顛末が、『戦国策』の中の故事にあります。/蛇に足は生えていない。なのに、時間があると、ついつい余計なことをしてしまう。それをいましめる寓話が、実に奥深く鋭い指摘として感じられてしまいます。テレビ画面に映る「蛇の足」を見ている気分なのは、きっと私だけではないはずです。   (Newsセブン・ポスト2012.03.18 16:00)
 
戦国策 《齊策》 齊二 《昭陽為楚伐魏》
 昭陽為楚伐魏、覆軍殺將得八城、移兵而攻齊。陳軫為齊王使、見昭陽、再拜賀戰勝、起而問:「楚之法、覆軍殺將、其官爵何也?」昭陽曰:「官為上柱國、爵為上執珪。」陳軫曰:「異貴於此者何也?」曰:「唯令尹耳。」陳軫曰:「令尹貴矣!王非置兩令尹也、臣竊為公譬可也。楚有祠者、賜其舍人卮酒。舍人相謂曰:『數人飲之不足、一人飲之有餘。請畫地為蛇、先成者飲酒。』一人蛇先成、引酒且飲之、乃左手持卮、右手畫蛇、曰:『吾能為之足。』未成、一人之蛇成、奪其卮曰:『蛇固無足、子安能為之足。』遂飲其酒。為蛇足者、終亡其酒。今君相楚而攻魏、破軍殺將得八城、不弱兵、欲攻齊、齊畏公甚、公以是為名居足矣、官之上非可重也。戰無不勝而不知止者、身且死、爵且後歸、猶為蛇足也。」昭陽以為然、解軍而去。
〔訳〕昭陽(しょうよう)が、楚のために魏を伐ち、軍を覆滅して将軍を殺し、八城を奪うと、矛先を転じて、斉を攻めた。陳軫〔ちんしん、説客〕が、斉王〔威王〕のために使者にたち、昭陽に会って、再拝して戦勝を祝い、体を起こして問うよう、
「楚の法では、軍を覆滅して将軍を殺した場合、官爵はどうなります?」
 昭陽はいった。
「官は上柱国、爵は上執珪(しっけい)となるでしょう」
 陳軫がいうには、
「別してそれより貴いのは何でしょう?」
こたえて、
「ただ令尹〔れいいん、上卿で宰相に任ずるもの。楚特有の官名〕だけです」
 そこで、陳軫はいった。
「令尹は貴い位です。ですから、王さまは令尹を二人お置きになることはありません。臣が内々、公のためにたとえ話をいたしましょう。よろしゅうございますか?
e38fdc00.jpeg 《楚に祠者〔ほこらの司祭者〕がおりまして、近侍たちに大杯にもった酒をふるまいました。近侍たちは互いに『何人もで飲んだら足りぬが、一人で飲む分にはあり余る。ひとつ、地面に蛇を描き、最初に描きあげた者が飲むとしよう』と話し合いました。ひとりの蛇がまずでき上がり、酒をひきよせて飲みかけながら、左手(ゆんで)に杯を持ち、右手(めて)に蛇をなぞって、『俺にゃ足だってかけるぞ』と言いました。しかし、まだ書き上げぬ内に、もうひとりの蛇が仕上がり、その杯をうばいとると、『もともと蛇にゃ足がないんだ。足を描いちゃぶちこわしだ』といって、その酒を飲んでしまいました。蛇の足を描いた者は、とうとう酒を飲み損ねてしまったということでした》
 さて、あなたは楚の宰相となって魏を攻め、軍を破り、将軍を殺し、八城を取られた上、勢いに乗じて斉を攻めようとしていらっしゃる。斉では、それこそ公を恐れておりまして、これだけで、公が名をおあげになるには十分。公の官位の上に、さらに重ねるべき官位はありません。戦って敗れることなく、しかも止まることを知らぬ者は、早晩、その身は死に、その爵位は後任の者となりましょう。蛇の足を描くのとおなじこと」
 昭陽は、なるほどと思い、軍を解いて引き揚げたのだった。
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
93
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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