瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
昨日は、二十四節気の「清明」であった。
中国では、毎年、春暖かく、花が咲いて、万物が蘇った時、伝統的な祭日・清明節を迎えることになる。清明の日は毎年4月の上旬である。この日になると、人々は祖先を祭ったり、墓参りをしたり、郊外へ遠足に行ったりする。一部の地方では、清明節を『鬼節』と言う。清明節の前後にどの家も墓参りをし、祖先を祭る。お墓の雑草を取ったり、新しい土を添えて、蝋燭と線香を立て、紙銭を焼いたり、お礼と黙祷を捧げる。
清明節の起源は漢の時代で、明の時代になるとお墓参りの風俗はピークに達した。紙銭を焼くばかりではなく、多くのおかずを作ってお墓の前に供えて祭ることだった。
清明節の墓参りの風習は今日にも残されているが、形式は簡単になり、家族のほか、人々は集団で、革命烈士の墓地へ花輪や花束と松の枝を捧げて、哀悼の意を表しているようだ。
清明節は大地が春を迎える季節で、人々は祖先を祭るほか、郊外へ遠足に行ったりするが、これは「踏青」と呼ばれている。清明節の前後、女性達は野良で自生する野菜を取って、餃子や、饅頭の餡(あん)にする。新鮮で、美味しいものらしい。一部の女性は野生の小花を取って、髪に挿す習慣もあるという。この他、凧揚げをしたり、ブランコをやったりする慣わしもあるらしい。
清明は春の耕す季節に当たる。これについて多くの諺が言い伝えられている。例えば、「清明前後、種瓜種豆」は清明節の前後には、瓜や豆を栽培するという意味で、また「栽樹莫要過清明、種上棒槌也発青」は清明の前には植樹の一番良い季節だと言う意味だという。
※「踏青(青き踏む)」は俳句で春の季語ともなっている。
踏青と いふは闘う 一歩かな 大木あまり
淸明 唐 杜牧
淸明時節雨紛紛 淸明の時節 雨 紛紛(ふんぷん),
路上行人欲斷魂 路上の行人 魂を斷たんと欲(ほっ)す。
借問酒家何處有 借問(しゃもん)す 酒家 何れの處にか 有る,
牧童遙指杏花村 牧童 遙かに指さす 杏花(きょうか)の村。
〔訳〕清明の時節であるのに小雨がしきりに降っている。
その雨は路地を歩いている私の心を滅入らせる。
何処かに酒店がないものかと〔子供に〕尋ねると、
その牛飼いの少年は遠くに見える杏の花が咲き誇っている村を指差した。
※杜牧(803~852年):晩唐の詩人。字は牧之。京兆萬年(現・陝西省西安)の人。進士になった後、中書舍人となる。杜甫を「老杜」と呼び、杜牧を「小杜」ともいう。李商隠と共に味わい深い詩風で、歴史や風雅を詠ったことで有名である。
中国では、毎年、春暖かく、花が咲いて、万物が蘇った時、伝統的な祭日・清明節を迎えることになる。清明の日は毎年4月の上旬である。この日になると、人々は祖先を祭ったり、墓参りをしたり、郊外へ遠足に行ったりする。一部の地方では、清明節を『鬼節』と言う。清明節の前後にどの家も墓参りをし、祖先を祭る。お墓の雑草を取ったり、新しい土を添えて、蝋燭と線香を立て、紙銭を焼いたり、お礼と黙祷を捧げる。
清明節の起源は漢の時代で、明の時代になるとお墓参りの風俗はピークに達した。紙銭を焼くばかりではなく、多くのおかずを作ってお墓の前に供えて祭ることだった。
清明節の墓参りの風習は今日にも残されているが、形式は簡単になり、家族のほか、人々は集団で、革命烈士の墓地へ花輪や花束と松の枝を捧げて、哀悼の意を表しているようだ。
清明節は大地が春を迎える季節で、人々は祖先を祭るほか、郊外へ遠足に行ったりするが、これは「踏青」と呼ばれている。清明節の前後、女性達は野良で自生する野菜を取って、餃子や、饅頭の餡(あん)にする。新鮮で、美味しいものらしい。一部の女性は野生の小花を取って、髪に挿す習慣もあるという。この他、凧揚げをしたり、ブランコをやったりする慣わしもあるらしい。
清明は春の耕す季節に当たる。これについて多くの諺が言い伝えられている。例えば、「清明前後、種瓜種豆」は清明節の前後には、瓜や豆を栽培するという意味で、また「栽樹莫要過清明、種上棒槌也発青」は清明の前には植樹の一番良い季節だと言う意味だという。
※「踏青(青き踏む)」は俳句で春の季語ともなっている。
踏青と いふは闘う 一歩かな 大木あまり
淸明 唐 杜牧
淸明時節雨紛紛 淸明の時節 雨 紛紛(ふんぷん),
路上行人欲斷魂 路上の行人 魂を斷たんと欲(ほっ)す。
借問酒家何處有 借問(しゃもん)す 酒家 何れの處にか 有る,
牧童遙指杏花村 牧童 遙かに指さす 杏花(きょうか)の村。
〔訳〕清明の時節であるのに小雨がしきりに降っている。
その雨は路地を歩いている私の心を滅入らせる。
何処かに酒店がないものかと〔子供に〕尋ねると、
その牛飼いの少年は遠くに見える杏の花が咲き誇っている村を指差した。
※杜牧(803~852年):晩唐の詩人。字は牧之。京兆萬年(現・陝西省西安)の人。進士になった後、中書舍人となる。杜甫を「老杜」と呼び、杜牧を「小杜」ともいう。李商隠と共に味わい深い詩風で、歴史や風雅を詠ったことで有名である。
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目高 拙痴无
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1932/02/04
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