瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
昨日は朝食後言問橋西詰から隅田公園に入り、早咲きの大寒桜の咲く花川戸を通って吾妻橋西詰に出る。雷門通りを通って仲見世に入り、新仲見世通りから東武浅草駅北口前にあるbarberに行く。
いやはや、いまや隅田川を挟んで墨田区・台東区はすっかりスカイツリーに振り回されている観だ。それでなくてもせせこましい隅田公園にスカイネストやツリー見学用のベンチなんて如何なものか? 雷門のまん前には奇を衒ったとしか思えない異様な建造物が出現した。聞くところに拠るとこれもスカイツリー開業に便乗しての客集め狙いの代物だと言う。淺草の古き佳き伝統が破壊されていくように思えて仕方ない。
先だって福岡在住の甥と電話で話した時、「叔父さんのブログに英語のコメントがついていて、ベタ褒めだったですよ」と言うことだったので、調べてみると、2010年1月11日(月)のブログ「黄金漬けになった王様」についたコメントであった。随分以前のブログに付いたコメントであるが、おそらく外人の方だと思うが、どうやら日本語を英語に訳しながらご覧になっていると見える。マッコト、嬉しい限りではある。
Its Pleasure to understand sechin.blog.shinobi.jp .
The above articles is pretty extraordinary、 and I really enjoyed reading your blog and points that you expressed. I really like to appear back over a typical basis、post a lot more within the topic. Thanks for sharing…keep writing!!! appliance repair Huntington Beach URL 2012/03/18(日)
アメリカ・カリフォルニア州のハンティントビーチにあるカーティス・クレーター・アブライアンスという家電の修理を専門とする会社の方からのコメントらしい。
若かりし頃、もっと英語の勉強をしておれば、連絡の方法もあるのだろうが、何せ英語が不得手ときては、連絡が取れても話す手段(てだて)を知らぬ。誠に情けないことではある。
眠れぬ夜のために、枕元に『東坡志林』を置く。
蘇軾〔1036~1101年)は字を子瞻(しせん)といい、東坡居士と号す。眉山の人。21歳のときに父洵(じゅん)に従って弟轍(てつ)と共に上京し、翌年進士に及第して文名一時にあがったという。中年以降は王安石の新法に反対したため中央を終われて地方の知事を歴任、神宗に代わって哲宗が即位したときに一時中央に呼び戻されて翰林学士から兵部尚書、礼部尚書になったが、59歳のときに再び失脚して海南島に流される。後に赦されて帰還する途中病死、文忠と謚(おくりな)された。
『東坡志林』は宋代の大詩人蘇軾〔1036~1101年、東坡居士と号した〕の撰といわれ、この種のものでは古来もっとも有名である。しかし、その成立事情や内容性質などについては必ずしもはっきりしない点が多い。東坡は詩文・書画といわず往くところ可ならざるはなしの大才、字を書くのが大好きで、紙さえ見ればすぐに筆をとって思いつくままを書いた人であったらしい。東坡の文集には史論や政論などの堂々たる大文章が並べられ壮観を呈しているのであるが、志林は気随気儘に書き散らした作品で、東坡にじかに接するような近親感を覚えさせられる。まさに蘇軾はBloggerの始祖のようなものと言うべきや。
いやはや、いまや隅田川を挟んで墨田区・台東区はすっかりスカイツリーに振り回されている観だ。それでなくてもせせこましい隅田公園にスカイネストやツリー見学用のベンチなんて如何なものか? 雷門のまん前には奇を衒ったとしか思えない異様な建造物が出現した。聞くところに拠るとこれもスカイツリー開業に便乗しての客集め狙いの代物だと言う。淺草の古き佳き伝統が破壊されていくように思えて仕方ない。
先だって福岡在住の甥と電話で話した時、「叔父さんのブログに英語のコメントがついていて、ベタ褒めだったですよ」と言うことだったので、調べてみると、2010年1月11日(月)のブログ「黄金漬けになった王様」についたコメントであった。随分以前のブログに付いたコメントであるが、おそらく外人の方だと思うが、どうやら日本語を英語に訳しながらご覧になっていると見える。マッコト、嬉しい限りではある。
Its Pleasure to understand sechin.blog.shinobi.jp .
The above articles is pretty extraordinary、 and I really enjoyed reading your blog and points that you expressed. I really like to appear back over a typical basis、post a lot more within the topic. Thanks for sharing…keep writing!!! appliance repair Huntington Beach URL 2012/03/18(日)
アメリカ・カリフォルニア州のハンティントビーチにあるカーティス・クレーター・アブライアンスという家電の修理を専門とする会社の方からのコメントらしい。
若かりし頃、もっと英語の勉強をしておれば、連絡の方法もあるのだろうが、何せ英語が不得手ときては、連絡が取れても話す手段(てだて)を知らぬ。誠に情けないことではある。
眠れぬ夜のために、枕元に『東坡志林』を置く。
蘇軾〔1036~1101年)は字を子瞻(しせん)といい、東坡居士と号す。眉山の人。21歳のときに父洵(じゅん)に従って弟轍(てつ)と共に上京し、翌年進士に及第して文名一時にあがったという。中年以降は王安石の新法に反対したため中央を終われて地方の知事を歴任、神宗に代わって哲宗が即位したときに一時中央に呼び戻されて翰林学士から兵部尚書、礼部尚書になったが、59歳のときに再び失脚して海南島に流される。後に赦されて帰還する途中病死、文忠と謚(おくりな)された。
『東坡志林』は宋代の大詩人蘇軾〔1036~1101年、東坡居士と号した〕の撰といわれ、この種のものでは古来もっとも有名である。しかし、その成立事情や内容性質などについては必ずしもはっきりしない点が多い。東坡は詩文・書画といわず往くところ可ならざるはなしの大才、字を書くのが大好きで、紙さえ見ればすぐに筆をとって思いつくままを書いた人であったらしい。東坡の文集には史論や政論などの堂々たる大文章が並べられ壮観を呈しているのであるが、志林は気随気儘に書き散らした作品で、東坡にじかに接するような近親感を覚えさせられる。まさに蘇軾はBloggerの始祖のようなものと言うべきや。
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
sechin@nethome.ne.jp です。
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