瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 初期の東京語が真に国語として学ばれるためには、それ自身の進化も必要であり、リードするだけの資格を持たなければなりません。一口で言えば明治の国語は政治の流れと常に一体であると言っても過言ではありません。明治七(1874)年、板垣退助らは、「民選議院設立建白書」を政府に出し、人民は国の本であり政治は人民の召使でなければならないと主張しました。
 
 この自由民権の思想は急速にインテリ層に広がっていきます。明治維新とその後にうたれた数々の藩閥政治――天皇絶対政治につながるもの――に見える反近代的なものへの憤りは激しいものでした。明治十四年、民主主義革命をめざす全国的政党として〈自由党〉が出来上がります。しかしこの運動も明治二十年〈保安条例〉の一片によって消えてしまいます。

 明治二十二年、大日本帝国帝国憲法がだされ、天皇ハ神聖ニシテオカスベカラズと、絶対天皇制が確立されます。

 翌年、教育ニ関スル勅語が発布され、学問・思想の方向も、天皇とこれを取り巻く人々の手に収められました。東京を中心にすべてが管制の規格品で送り出されました。



 東京語の確立という点からも明治二十年前後は重要な時期であって、この辺りを以って国民・国語という観念も確立されてくるのです。次にその実態を示しておきましょう。
○東京語の見本二つ
a ソコデ不図(ふと)考え付き上野の書籍館へ参り色々と捜索してヤット見付けましたから数日筆耕者を頼んで先づ雪中梅丈を写し取らせました。文章も中々面白い上に談話の模様をありの儘に書いたものですから能く人情を写し出して明治二十三年前の政治社会を眼前に見る様であります。(「雪中梅」明治十九〈1886〉年)

b 生「御病気は如何で御座います(中略) 江「お万さんが御病気だと云ふことを今朝チラリと聞きましが、何う云ふ御様子です 生「面目次第もない訳で……愚妻は義理ある中だとて誠に心配して居りますから何うかお聞済みを願います。 江「実は僕はねへ、お万さんに恋煩いをして居るのです……合口を何にするのです。 生「御前と約束した事を破るやうで済みませんから若しお叱りがあれば割腹する覚悟で御座いました。(欧州小説「黄薔薇」明治二十〈1887〉年)

 aははしがきであって会話ではありませんが、いわゆる言文一致体のよくこなれた文章です。〈書籍館〉のように多少聞き馴れない単語もありますが、汽車を陸蒸気というよりはむしろ適訳でしょう。新しい文物が入って来て新しくコトバができるのですが、これもその一つです。bの江は江沼実といって旧旗本で今は官吏である秀才です。生は矢張り生馬忠右衛門という武士です。共に中流階級の知識人と考えてよいでしょう。円朝の講談ですが、ほとんど現代東京語に近く、異様に響くところはありません。用語を別とすれば表現において問題になるところはなく、~ジャ・~ナンジャという類の上方語も影を潜めています。
 明治八(1875)年すでに「最モ能ク通行スル東京言葉」という言い方があり、明治十三年には「東京ノ言葉ハ広ク通ジマス」と言われています。そして、ほぼ明治二十年前後には上の実例で挙げたような東京語が話されるのです。二葉亭四迷や山田美妙の言文一致体の文章もこうした東京語の確立する頃にこれを土台として試作されたわけです。

 弥次喜多を描くには江戸語が必要だったように新しい東京の知識人を描くには東京語が必要でした。そうした東京語を土台にした文章語は東京語の確立からさらに二十年を経た明治四十年代に確立されます。漱石が、「〈文明を代表する文章を書くために〉今日より東京語を以って本位とする言文一致体を以って可成り簡潔に書き示す事が最も必要の事なり」(明治四十一・八・三)と述べている通りなのであります。明治に入ると教育ある知識人が一つのタイプとして登場し、それが東京の中流階級という一つの層を形成するのです。江戸時代の武士~町人という対立ではなく、教養ある人(○)とそうでない人(△)とが対立します。
   ○あのお方はどちらで食事をいたしますか。
   △あれはどこで飯を食うか。        (明治四年、アストンの記録)
 この二つのタイプが対立していくのです。ある意味では、普通語と敬譲語(丁寧語)の対立が明確になっても来ます。社会組織の反映なのでしょうか? これを次に示しておきます。


 


羽生永世七冠の震える指 魂震わす偉業 茂木健一郎さん ――  将棋の羽生善治竜王(47)が竜王通算7期の条件を満たして「永世竜王」の資格を獲得し、史上初の「永世七冠」を達成した。

 同じ勝負の世界に生きるプレーヤーや将棋界をよく知る著名人らに、その凄さなどについて聞いた。
◆     脳科学者・茂木健一郎さん

 
羽生善治さんが永世七冠を達成されたこと、まことに素晴らしい。
 将棋でも囲碁でも、人工知能が人間を上回るようになった。しかし、本来、条件が違うので比較するのがおかしい。生身の人間が闘う姿にこそ意義がある。
 100m走で人間と自動車を比較するのは意味がない。アスリートが練習を重ね、走り方を工夫し、精神力を鍛えて記録を更新するからこそ感動がある。
 将棋も同じことだ。人工知能は処理速度が速く、記憶容量も大きい。集中力にも限界がなく、何十時間でも膨大な計算を繰り返すことができる。人間は体調も変動するし、生活の苦労や心配もある。それでも将棋という目標に傾注する姿こそが、見る者の心を動かす。
 ログイン前の続き羽生さんがプロになったのは15歳。19歳で初タイトルの竜王獲得。七冠達成が19歳で25歳。以来、25歳47歳になる現在まで、将棋界のトップを走ってきた。今回の竜王獲得でタイトルは通算47歳に99期となった。くしくも、初タイトルと同じ竜王を28年後に獲得し、永世七冠となったのである。99期とかくも長きにわたる、日々の鍛錬と継続する意思。羽生さんの偉業は、人類にとっての誇りである。勝利を確信した時の羽生さんは、駒を置く指が震えることがある。今回の永世七冠達成の報に、私は魂が震えた。(寄稿)
◆七冠の囲碁棋士・井山裕太名人


 
  私が初めて囲碁の名人に挑戦した2008年からまだ10年もたっていないが、振り返って自分自身、ここまでよくタイトル戦を重ねてやってこられたと思う。人間なので波もある。下の世代も力をつけてくる。その中で四半世紀以上にわたりタイトルホルダーであり続ける羽生さんは、プロ棋士の目標となる理想像だ。
 一つの時期に集中的にパフォーマンスを上げることはもちろん大事だが、どちらかというと長く第一線で活躍し続けることのほうがたいへんなことだと思う。羽生さんとは何度か対談する機会をいただいた。あれだけの実績を重ねてこられ、その時々の自分を完成形として満足してもおかしくないのに、常に進歩をめざす姿勢を感じた。それがあってこその永世七冠なのだと思う。
 羽生さんは20代の自分と今の自分のどちらが強いか、対局してみなければわからないとも言っておられた。衰えた部分もあるかもしれないが、年を重ねて成長した部分もあるということなのだろう。
 羽生さんが七冠を同時制覇したのは21年前。私が初めて七冠を独占したのは昨年。21年前20年後の自分がどうなっているのか想像もできないが、羽生さんはやればできることをわれわれ後輩に示してくれた。
◆作家・柚木裕子さん


 
  永世七冠はすごい。柔和な眼差(まなざ)しのなかに、勝負師としての鋭い眼光を確として秘めた羽生さんだからこそ、成し得た偉業であろう。
 そもそも、七つのタイトルをそれぞれ五回、七回、十回と保持するのは、私に言わせれば気の遠くなるような話だ。前人未到どころか、空前絶後ではないか、とすら思えてくる。
 ご承知のように、全国の神童が集う棋士の養成機関、奨励会を経てプロになれるのは、熾烈(しれつ)な競争を勝ち抜いた一握りの天才だけだ。その天才同士がしのぎを削る棋界でタイトルを手にすることが、どれほど至難の業であるか。まして、棋界のタイトル七冠をすべて制覇することがどれほどの快挙であるか。将棋界を舞台にした拙著『盤上の向日葵(ひまわり)』を執筆するうち、その厳しさ、峻烈(しゅんれつ)さを、嫌というほど思い知らされた。
 AIがいくら強くなろうとも、劣勢の局面で形勢を逆転せんとする、手の善悪を超えた「勝負手」は指せない。人間だからこそ、観(み)る者の魂を揺さぶる勝負を盤上に映し出せるのだ。敗れても幾度となく立ち上がり、勝負手を繰り出して歴史に名を刻んだ羽生善治永世七冠の偉業に、人間の素晴らしさを改めて教えていただいた気がする。
 AIが心から、おめでとうございます、そしてありがとうございます、と申し上げたい。 (寄稿)   (朝日新聞DIGITAL 2017年12月6日20時02分)

 将棋・藤井聡太四段、順位戦Ⅽ級2組で無傷の7連勝!一期抜けへあと3勝 ―― 将棋の中学生棋士・藤井聡太四段(15)が127日、順位戦Ⅽ級2組7回戦で高野智史四段(24)に勝利し、同級で無傷の7連勝を飾った。2人とも持ち時間6時間を使いきり、終局が深夜に及ぶ熱戦となったが、勝負どころを逃さなかった藤井四段が白星をもぎ取った。同級初参加の藤井四段が一期抜けを果たすには、10戦全勝が必要な状況だけに、この日も負けられない対局だった。


 
 C級2組は棋士50人が参加。Ⅽ級1組に昇級できるのは3人。勝敗数が並んだ場合には、前年度の成績などをもとにした「順位」が上の棋士から昇級する。藤井四段は50人中45位。1敗グループには、藤井四段より順位が上の棋士が多数いるために、1つでも星を落とせば一期抜けはかなり苦しくなる。
 藤井四段の今期の成績は、この日を終えて通算60局で、52勝8敗(勝率0.867)。年度成績では、50対局、42勝、勝率0.84029連勝(年度またぎ)で、部門四冠を独占している。 (YAHOOニュース 12/7() 23:56配信)


https://www.youtube.com/watch?v=EP0xEfB23Xs


 江戸語と東京語は大局的に変わりありません。江戸語の二つの面はそのまま東京語に引き継がれます。ただ江戸方言とか江戸訛りといわれる下町コトバは急速にその地位が低くなります。火鉢→バチ・知らない→しらネエ・動く→ゴク――のような音訛は卑しい下品なものと烙印を押されてしまいます。明治7年8月17日の東京日日新聞は「下等な人種 江戸っ児」と見出しを挙げて、いわゆるべら坊メ~ネエを話す人々を非難し、「神田を多しとす」と指摘しています。

 「酒を見かけちゃァにげられねえだろう、しかたがねえからつっぺりこんで一杯やッ付けたが……」(「安愚樂鍋」明治四〈1873〉年)のようなコトバを話す人は埒外(らちがい)になるのです。その代わり「ハイ僕なども矢張因循家のちであまり肉食馳せなんだが……当時は三日用ひねバ口合がわるいやうぢゃから当店から毎度取りよせて常食どうやうにいたすテ」(同上書)という人々が表面に出てきます。

 僕~君の言い方は文明開化を象徴する新しい表現でもありました。ナンダとかジャの用語にまだまだ上方語的色彩は強いのですが…… そしてさらに蘭学以来の伝統を背負った洋学(英学)者が、新しさを固辞して怪しげな横文字を乱用するのです。「江湖機関西洋鑑(うきよからくりせいようめがね)」(岡丈記・明治六〈1873〉年)の一例を示しておきましょう。
   至後(あと)から(はげ)洋学生(なやじゆく)大誇(ほらふき


 
   イヤこれは先生マスタル 英語にて先生又はだんなといふ事なり 君等はまだこの地に御留学かネ ナント久しいもんだ。エーかうと調度僕が道寓したのはおよそ三年前になるテ…… ビールを奢ると、イヤそれは大不経済、ストッブストッブ。アイ、ドント、ウイシ 英語にてのみたくないからやめべしといふなり マアマア僕のために奔走して嚢中を空しくすることなかれ、決して御無用御無用

 おそらく上のような文明開化人は多かったことでしょう。英語――まことに怪しげな――を頻発し、〈大不経済〉などという新造語を乱用して新しさを誇る人々…… それは丁度銀座にガス燈がつき、煉瓦建ての洋館が建て並んだ明治初期の東京を飾るにふさわしい風物でもありました。四民平等の合コトバによって、各自が自由勝手に喋りまくるわけです。
 当時の話コトバの末尾に来る「デアル」の意の表現で初期東京で話されていたコトバの分類表を見ると次のようになります。


 


江戸から東京へ
 草深い一寒村から築き上げられた江戸は、幕府の政策よろしきを得て、300年の太平を保ち続けます。しかし、その充分計算された制度にも大きな誤算がありました。いわば自家中毒のように幕府みずから息の根を止めないわけには行かなくなります。鎖国の夢やぶれ、たった四はいの蒸気船で夜も眠られぬ有様でした。


 
 慶応二年十月将軍徳川慶喜が大政幇間をし、明治元年七月「自今江戸ヲ称シテ東京トセン」との詔勅が出、翌二年、東京〈京都を西京というのに対する〉が首都と定められます。


 
 明治維新の大事業は一応達成されましたが、民衆を封建的なものから解放する民主主義革命ではありませんでした。士農工商の身分差別はなくなりましたが、かわりに華族・士族・平民の三つに分けられました。
 江戸は東京と改められましたが、土地の60%は武家地であり、それらが武士階級の崩壊によってすっかり荒れ果ててしまいました。北町奉行所をはじめ主要な役所のあった丸の内辺も、全く人影を見ない廃屋と化しました。また徳川譜代の大名屋敷のあった八重洲口のあたりもすべて引き上げて空地と化してしまいました。ちなみに、初期東京の人口は激減し、全盛期の江戸と同じになるのは明治23年頃まで待たなければなりませんでした。日本橋には次のような落首が貼られます。
  ○上方のぜい六どもがやってきてトンキョー(東京)などと江戸をなしけり。
  ○上からは明治だなどというけれど、治(オサ)まる明(メイ)と下からはよむ。
 新政府江戸改名への江戸っ子による精一杯の抵抗だったのかも知れません。あるいはまた薩長藩閥政治政府に対する一般庶民の犯行の一つだったのかも知れません。福沢諭吉の「学問のすすめ」(明治五年)が二十万部も売れたことなどは庶民階級の自覚と努力が盛り上がった証拠なのです。


 外国への公文書などは後まで、江戸=Yedoを用いていましたし、江戸湾が東京湾となったのに江戸川は以前そのままで現在に至っています。なお、最後の江戸っ子には尾崎紅葉・幸田露伴・夏目漱石などの慶応三年生まれであり、東京っ子の最初は山田美妙あたりでしょう。


ウェブニュースより
 藤井四段、2次予選進出逃す 棋聖戦で大橋四段に敗退 ――  公式戦29連勝の新記録をつくった将棋の中学生棋士、藤井聡太(そうた)四段(15)が29日、八つあるタイトル戦の一つ、棋聖戦(産経新聞社主催)の1次予選の決勝で大橋貴洸(たかひろ)四段(25)に100手で敗れ、2次予選進出を逃した。
 日本将棋連盟の発表によると、藤井四段のデビュー以来の通算成績は51勝8敗(未放映のテレビ対局を除く)となった。


 
 大阪市福島区の関西将棋会館で午前10時に始まった。持ち時間各1時間で、使い切ると1分未満という早指し戦だった。終局は午後0時25分。大橋四段の攻めが鋭く、藤井四段も追い上げたが、及ばなかった。終局後、藤井四段は「秒読みになったころから苦しいと感じていた」、大橋四段は「うまく指せた。決断良く指すよう心がけた」などと話した。
 この日の対局は、来年6~8月に行われる羽生善治棋聖(47)との五番勝負の挑戦者を決める戦いの一環。棋聖戦は全棋士と女流棋士2人が参加。まず1次予選、続いて2次予選のトーナメントを行う。最後に2次予選を勝ち抜いた棋士とシード棋士の計16人が決勝トーナメントを行い、挑戦者を決める。  (朝日新聞DIGITAL 201711291258分)


https://www.youtube.com/watch?v=eRg6MvkFPSY


 


 江戸浅草田原町に生まれた滑稽本作家・式亭三馬は先に挙げた「狂言田舎操(繰)」(文化八<1811>年)のなかで次のように述べています。

 今まで見た来たように、此の三馬の考察は全く正しいようです。事実江戸は色々な点で複雑であり、コトバだけが例外という訳にはいかないのです。別のところで三馬は「江戸といっても一里(日本橋を起点)隔たるとよっぽどかわりがある」と指摘しています。確かに江戸府内のコトバと一里隔たった江戸近辺のコトバとは聞く人にかなり異なる印象を与えたことでしょう。それだけに江戸語が要素的に二つの面を持ちながらも一つのものとして共通的色彩を色濃く持ってきたのです。江戸後期になると表面上は武士や町人の身分差があるとはいえ、刀を差していれば武士であるのですが、経済面でも文化面でもほとんど庶民階級が優先してきます。江戸時代別荘地として名高い向島も、江戸市内に店を持つ裕福な商人の別荘が多かったと言います。蔵前の札差にしても幕府の台所経済と直結し、完全に実権を握ってしまったのです。
 武士と町人との接触も多く、町家の子女が嫁入り前の見習い奉公として、しばしば武家屋敷へ出入りしていました。いわゆるお屋敷コトバ――米をウチマキ・餅をオカチン・杓子をオシャモジ・するをアソバススという類――もそうした女性によって町へ運搬されました。年に四度は暇が出て我が家に戻ることも許されたからです。実質的には一般に身分差が縮まってきたと考えられます。 
 赤坂・四ツ谷・市谷・牛込・小石川等は坂多き故、山の手と唱ふ、江戸内にしかも田舎めきて、下町辺とは言語も少し違いたる様に言へど、我等の田舎者にはべんじがたし(「江戸自慢」安政の頃〈1755年〉刊) 
というように山の手と下町とでコトバの違いのあることも気づかれてきたわけでもあります。
 ※「江戸自慢」については、詳しいことはよく判りませんが、著者は「田辺侯の御医師原田何某」、「江戸詰中之作」と言います。箇条書きによる江戸案内書、のようなものであるということです。
 江戸語を京阪語と比べてみた場合はどうでしょうか。江戸後期に数多く出てきた地方語の語彙集がほとんど例外なしに地方語と江戸語を並記していますように、江戸語が実質的には共通語として学ばれ意識されてきたわけです。三馬の「浮世風呂」で 
   上方も当時は御当地(江戸)のコトハづかひがえらう流行る
と述べていますが、人情本・『處女七種(おとめななくさ)』(天保年間、1836~43年刊)でも次のように語られています。

 江戸語が全国的、共通語的性格と資格を備えるようになってきたことはこの短い宣言の中にも汲み取ることが出来ます。江戸語は遠隔地まで行き渡り、藩校や寺子屋など教育機関でも江戸語が与えられてきます。地方でも教育のある人々は江戸語を用いるようになるのです。全国的交通機関の整備によって江戸と地方との結びつきも固く、江戸の出来事はすぐ地方へ知られるようになります。一方江戸の内でも遊里・劇場などの社交機関を始め貸本屋という移動図書館も盛んでした。こうしたものが一種のマス・コミ機関として江戸文化や江戸語を伝播する上に大きな役目を演じています。
 芝居での俳優たちのセリフや遊里の粋なコトバが真似られ、流行り言葉となって江戸市民の生活の中に入って行きました。〈けんもほろろ・むちゃくちゃ・破れかぶれ・おべっか・楽屋落ち・とんちき・はねる・虫がいい・冷やかす〉などこうしたうちの数例に過ぎません。


 


 ウェブニュースより
 大相撲九州場所千秋楽 白鵬14勝1敗 40回目の優勝 ―― 大相撲九州場所は、福岡市の福岡国際センターで千秋楽の取組が行われ、25日40回目の優勝を決めた横綱・白鵬は、大関・豪栄道に勝って、14勝1敗として今場所を締めくくりました。中入り後の勝敗です。
 遠藤に輝は、輝が押し出しで勝ちました。
 朝乃山に千代丸は、千代丸が寄り切り。
 大奄美に正代は、正代が上手投げ。
 大翔丸に錦木は、錦木が押し出しで勝ちました。
 琴勇輝に栃ノ心は、栃ノ心が寄り切り。
 千代翔馬に安美錦は、安美錦が上手出し投げ。史上最年長、39歳で幕内に復帰していた安美錦は、連敗を4で止めて勝ち越しを決めました。千代翔馬は負け越しです。

 勢に荒鷲は、勢が寄り切りで勝ちました。
 千代の国に豪風は、千代の国が突き出し。豪風は負け越しです。
 松鳳山に碧山は、碧山が押し出し。
 魁聖に栃煌山は、栃煌山が送り投げで勝ちました。
 千代大龍に大栄翔は、千代大龍が押し出し。
 隠岐の海に貴景勝は、貴景勝が押し出し。貴景勝は11勝目です。
 玉鷲に北勝富士は、玉鷲が押し出しで勝ちました。玉鷲も11勝目です。
 宝富士に阿武咲は、阿武咲が押し出し。阿武咲は勝ち越し。宝富士は負け越しです。
 琴奨菊に逸ノ城は、琴奨菊が寄り切り。

 御嶽海に嘉風は、御嶽海が引き落とし。

 大関・豪栄道に横綱・白鵬は、白鵬が上手投げで勝ちました。25日40回目の優勝を決めた白鵬は、千秋楽結びの一番に勝って14勝1敗として今場所を締めくくりました。

州場所千秋楽談話まとめ
 
4連敗のあと千秋楽の一番で勝ち越しを決め、敢闘賞を受賞した39歳のベテラン安美錦は、「ずっと足踏みしていて、やっぱり幕内で通用しないのかと考えたりした。勝ち越せて終われたので本当によかった。この年になって、こんなにいい経験をさせてもらって、感謝しかない」としみじみとした様子で話していました。
 同じく敢闘賞を受賞した隠岐の海は、「1年間悩んでいたので、起爆剤になる。今場所は、前向きに取り組めた場所だった」と喜んだうえで、上位陣と当たることが予想される来場所について、「今のままでは通用しないので、稽古をしないといけない。こつこつやっていきたい」と話していました。
 殊勲賞の21歳、貴景勝は、「評価してもらえてうれしい。ことしは、どういけば力を出せるかがわかった1年だった。来年に向けて、突き押しを磨いていきたい」と浮かれる様子なく話していました。
 技能賞の北勝富士は、「いちばんほしい賞だった。自分の相撲内容が評価された証しだと思う。上位によい相撲を取ることができて、賞も取れてうれしい」と明るく話していました。
 千秋楽の一番に勝って40回目の優勝に華を添えた横綱・白鵬は、「きょうは、勝っても負けてもいい相撲を取ろうという気持ちで土俵に臨んだ。いい相撲で最後の一番を締めたと思う」と話しました。またことし1年について、「春場所と秋場所では休場もあり、けがもあった。ことしは、本当に自分を追い込んで、稽古はウソをつかないと改めて思った」と振り返りました。    (NHK NEWS WEB 1126 1831分)


 


ウェブニュースより
 大相撲九州場所 横綱白鵬が2場所ぶり40回目の優勝 ―― 大相撲九州場所は福岡市の福岡国際センターで14日目の取組が行われ、1敗の白鵬を星一つの差で追っていた北勝富士と隠岐の海がともに敗れた一方、白鵬は1敗を守り、26日の千秋楽を待たずに白鵬が2場所ぶり40回目の優勝を果たしました。中入り後の勝敗です。
 大奄美に十両の竜電は大奄美が寄り切りで勝ちました。
 錦木に碧山は錦木が押し出し。
 朝乃山に琴勇輝は琴勇輝が押し倒し。
 琴勇輝は勝ち越しです。
 勢に魁聖は勢が突き落としで勝ちました。勢も勝ち越しを決めました。
 大栄翔に豪風は豪風が寄り切り。
 千代丸に安美錦は千代丸が突き出し。


 正代に妙義龍は妙義龍が左ひざのけがで25日から休場のため、正代の不戦勝です。正代は勝ち越しです。
 栃ノ心に輝は栃ノ心が寄り切り。栃ノ心も勝ち越しを決めました。
 大翔丸に千代大龍は千代大龍が突き落とし。
 栃煌山に千代の国は千代の国が押し出しで勝ちました。
 隠岐の海に玉鷲は玉鷲がはたき込み。隠岐の海は3敗目、玉鷲は10勝目です。



 貴景勝に千代翔馬は貴景勝がすくい投げ。21歳の貴景勝も10勝目です。
 松鳳山に琴奨菊は琴奨菊が押し出しで勝ちました。
 阿武咲に北勝富士は阿武咲が突き出し。北勝富士は3敗目です。



 嘉風に逸ノ城は逸ノ城が押し出し。逸ノ城は10勝目です。


 
 荒鷲に御嶽海は御嶽海が押し出しで勝ちました。御嶽海は勝ち越しを決めました。



 宝富士に大関・豪栄道は豪栄道が寄り切りで勝ちました。豪栄道は9勝目です。


 
 横綱 白鵬に遠藤は白鵬が押し出しで勝ちました。



 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20171125/k10011235421000.html
 
九州場所は1敗の白鵬を星一つの差で追っていた北勝富士と隠岐の海がともに敗れた一方、白鵬は1敗を守り、26日の千秋楽を待たずに白鵬が2場所ぶり40回目の優勝を果たしました。  (NHK NEWS WEB 1125 1848分)


 


ウェブニュースより
 中学生棋士の藤井四段、王位戦予選で勝利 準決勝へ ―― 公式戦29連勝の新記録をつくった将棋の中学生棋士、藤井聡太(そうた)四段(15)が24日、8大タイトル戦の一つ、王位戦(新聞三社連合主催)の予選の3回戦で北浜健介八段(41)に67手で勝ち、予選の準決勝進出を決めた。日本将棋連盟によると、昨年12月のデビュー戦以来の通算成績は51勝7敗(未放映のテレビ対局を除く)となった。
 来年7~9月の王位戦七番勝負で菅井竜也(たつや)王位(25)に挑戦する棋士を決める戦いの一環。対局は大阪市福島区の関西将棋会館で午前10時に始まり、午後5時49分に終局した。終局後、藤井四段は「序盤から突っ張って、それが良かったのかどうかは分からないが……。その後、激しい展開になり、難しいと思っていた」と述べた。王位リーグ入りまで、あと2勝と迫ったことについては「強い人と指すことが出来るので、ぜひ、そこを目指したい」などと語った。

 王位戦には全棋士と女流棋士2人が参加。予選をトーナメントで行い、勝ち上がり者とシード棋士4人が紅白2ブロックに分かれ、リーグ戦を行う。紅白の優勝者で挑戦者決定戦を行う。藤井四段が王位リーグに入るには、1回戦から含めて5連勝が必要だ。
 藤井四段の次の対局は11がつ29日。大橋貴洸(たかひろ)四段(25)と棋聖戦の予選で対局する。   (朝日新聞DIGITAL 201711241852分)
https://www.youtube.com/watch?v=sZNWiIh6YpY


 


大相撲13日目 白鵬1敗守る 北勝富士と隠岐の海が2敗で追う ―― 大相撲九州場所は、福岡市の福岡国際センターで13日目の取組が行われ、優勝を争っている1敗の横綱・白鵬と、その白鵬を星1つの差で追う平幕の北勝富士と隠岐の海はいずれも勝ちました。
中入り後の勝敗
 
碧山に大奄美は、大奄美が寄り切りで勝ちました。
 安美錦に勢は、勢が押し出し。


 
 魁聖に朝乃山は、魁聖が寄り切り。魁聖は勝ち越し、朝乃山は負け越しです。



 妙義龍に大栄翔は、大栄翔が突き倒しで勝ちました。
 錦木に千代丸は、千代丸が送り出し。錦木は負け越しです。
 琴勇輝に正代は、正代が小手投げ。
 大翔丸に豪風は、豪風が肩すかしで勝ちました。
 隠岐の海に栃ノ心は、隠岐の海が下手投げ。隠岐の海は2敗を守りました。



 千代翔馬に輝は、千代翔馬が押し出し。
 千代大龍に荒鷲は、千代大龍がはたき込みで勝ちました。
 栃煌山に貴景勝は、貴景勝が押し出し。



 玉鷲に遠藤は、玉鷲が押し出し。遠藤は4敗目です。
 松鳳山に阿武咲は、阿武咲が押し出しで勝ちました。
 琴奨菊に千代の国は、琴奨菊がすくい投げ。
 御嶽海に逸ノ城は、逸ノ城が押し出し。



 北勝富士に嘉風は、北勝富士が寄り切り。北勝富士は2敗を守りました。


 
 大関・豪栄道に大関・高安は、高安が右太もものけがで24日から休場のため、豪栄道の不戦勝です。豪栄道は8勝目で、勝ち越しとなりました。
 宝富士に横綱・白鵬は、白鵬がはたき込み。白鵬は1敗を守りました。



 https://www.youtube.com/watch?v=wPBZtMlKuy4
 九州場所の優勝争いは、1敗の白鵬を星1つの差で平幕の北勝富士と隠岐の海が追う展開です。
白鵬「守り抜くことができるのも横綱」


苦しい流れから2敗を守り優勝争いに残った隠岐の海は「相手にまわしを取られてはいけないのに取られてしまった。最悪の相撲だったが、たまたま勝てた」と24日の一番を反省したうえで「初日から優勝争いの気持ちでやっている。優勝したくない力士はいない。今場所はスキあらばと狙っている。あすの一番に集中していく」と意気込んでいました。
 同じく2敗を守った北勝富士は対戦した嘉風にいったん有利な形を作られた相撲を振り返り「危ない内容だった。前傾の姿勢を崩さず、相手が引いたときに突き押しができた。よく勝てたと思う」と話しました。
 そのうえで同じ八角部屋の隠岐の海とともに2敗を守ったことについて「九州場所の宿舎に帰ったときに、すごい笑顔で待っててくれている。2人でもっと勝っていきたいと思う。あと2日間、精いっぱい取るだけ」と笑顔を見せながら話していました。
 横綱・白鵬は相手の宝富士に一時後ろを取られヒヤリとする場面があった24日の相撲について「土俵際、何があるか分からないね。相撲勘と俊敏さがかみ合って残すことができた。攻めるだけでなく、守り抜くことができるのも横綱。きょうのような一番を経験してまた気持ちを引き締めていく。まだ2日あるから」と話していました。  (NHK NEWS WEB 1124 1845分)


 


ウェブニュースより
 藤井四段、銀河戦で敗れる 公式戦の先手番で初黒星 ―― 公式戦29連勝の新記録を樹立した将棋の最年少プロ、藤井聡太四段(15)が23日、CS「囲碁将棋チャンネル」で放送された銀河戦本戦トーナメントHブロック2回戦で上村亘四段(30)に88手で敗れた。


 
 藤井が先手、上村が後手番だった。藤井の過去6敗はすべて後手番。プロ入り後、公式戦の先手番では負け知らずだったが、初黒星を喫した。公式戦通算成績は50勝7敗(未放映のテレビ対局を除く)。
 藤井は終始、攻め手に悩まされ、上村は中盤以降に広げたリードを守り切った。対局を重ねるにつれ、藤井のデータも増えるため、相手は「藤井対策」を研究し、対局に挑むケースも増えてきている。   [日刊スポーツ 20171123224]


http://shogi.saloon.jp/king/2017/11/23/%E5%B0%86%E6%A3%8B-%E6%A3%8B%E8%AD%9C%E4%B8%A6%E3%81%B9-%E2%96%B2%E8%97%A4%E4%BA%95%E8%81%A1%E5%A4%AA%E5%9B%9B%E6%AE%B5-vs-%E2%96%B3%E4%B8%8A%E6%9D%91-%E4%BA%98%E5%9B%9B%E6%AE%B5-%E7%AC%AC26%E6%9C%9F/


 


大相撲九州場所12日目 白鵬がただ1人 1敗守る ――大相撲九州場所は福岡市の福岡国際センターで12日目の取組が行われ、横綱・白鵬が関脇の御嶽海を破り、ただ1人、1敗を守りました。中入り後の勝敗です。
 安美錦に隠岐の海は、隠岐の海が押し倒しで勝ちました。隠岐の海は2敗を守り、⑽勝目です。



 琴勇輝に碧山は、琴勇輝が押し出し。
 勢に大奄美は、勢が上手投げ。新入幕の大奄美は負け越しです。
 妙義龍に遠藤は、遠藤が押し出しで勝ちました。



 千代丸に豪風は、豪風が引き落とし。千代丸は負け越しです。
 正代に輝は、正代が押し出し。
 錦木に千代翔馬は、千代翔馬が寄り切りで勝ちました。
 栃ノ心に朝乃山は、栃ノ心が寄り切り。
 大栄翔に宝富士は、宝富士が腰砕けで勝ちました。大栄翔は負け越しです。
 荒鷲に魁聖は、荒鷲が寄り切りで勝ちました。荒鷲は勝ち越しです。
 大翔丸に松鳳山は、大翔丸が突き落とし。
 貴景勝に玉鷲は、貴景勝が押し出し。21歳の貴景勝が勝ち越しを決めました。

 
栃煌山に琴奨菊は、栃煌山が突き落としで勝ちました。
 阿武咲に千代大龍は、阿武咲が送り出し。千代大龍は負け越しです。
 嘉風に千代の国は、千代の国が上手投げ。
 逸ノ城に大関・豪栄道は、逸ノ城が上手投げで勝ちました。逸ノ城は勝ち越し。豪栄道は7勝5敗となりました。


 
 大関・高安に北勝富士は、北勝富士が引き落とし。北勝富士は2敗を守り、10勝目です。高安は4敗目です。


 
 横綱・白鵬に御嶽海は、白鵬が寄り切り。22日、今場所初黒星を喫した白鵬が万全の相撲で御嶽海を破り、1敗を守りました。



 九州場所は12日目を終えて、1敗の白鵬を星一つの差で北勝富士と隠岐の海が追っています。
白鵬 きのうの黒星を引きずらなかった
 隠岐の海は、ベテランの安美錦を破って2敗を守りましたが、「仕切りのときから相手が何かをやってきそうな雰囲気を感じ、中途半端な相撲になってしまった。あと3番、自信を持ってしっかり頑張りたい」と気持ちを引き締めていました。


 勝ち越しを決めた21歳の貴景勝は「気持ちで負けないよう勝負に臨んだ。きょうは体が動いてくれた。一生懸命やってきてよかった」と淡々と話していました。
 大関・高安を破り2敗を守った北勝富士は「一押しして大関がかなり下がったので、いけると思った。最後は押し出したかったが、勝ちにこだわって引き技を出した」と振り返りました。
 また10勝目をあげたことについて、「実感はわかないが一番一番集中していく。最後までこの調子でいきたい」と自信みなぎる表情を見せていました。
 1敗を守った横綱・白鵬は「きのうの黒星を内容的には引きずらなかった。上手もいいところが取れた」と機嫌よく話していました。   (NHK NEWS WEB 1123 2037分)


 


プロフィール
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目高 拙痴无
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93
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1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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