日本語がどういう系統に属する言語なのかということは、わが国においても明治の初めから論じられてきました。アジア北方の言語であるウラル・アルタイ語族といわれたり、朝鮮語やアイヌ語との関係が問題とされてきました。朝鮮語との比較論は、明治十二年に、東京の英国公使館にいたアストンが「日鮮両語比較研究」を発表して以来、明治から大正にかけてさかんに行われてきました。
邪馬台国論でも知られる白鳥庫吉は、「日・韓・アイヌ三国語の数詞について」(明治四十二年)なる論文において、それぞれの数詞を考察し比較しています。白鳥は、この論文の中で、日本語と朝鮮語とが同族といわれ、自分も密接な関係があるはずだと信じて研究してきましたが、あまり似ていないことがわかりました。また、アイヌ語にはウラルアルタイ語系の要素が認められますが、日本語とは似ていないと述べています。
今日では、日本語と朝鮮語とは、同系であるとしても極めて古い時代に分かれたとするのが通説です。白鳥の言葉は、日朝両語同系論の帰趨を示していて興味深いものです。ここでは白鳥説のうち日本語の数詞についての語義解釈を取り上げます。
白鳥は、日本語の数詞のもつ次の特徴に注目しています。
1: hi ― 2: hu
3: mi ― 6: mu
4: yo ― 8: ya
5: i-tu ― 10 :to-wo (5はiを接頭語とみて省いて比較)
倍数関係にある語は、先頭の子音が同じである。このことは、すでに江戸時代に荻生徂来が言及しており、知られていたことではありますが、白鳥は次のように解します。
古代においては指で数を数えました。今の日本人は、親指から順に折っていきますが、太古の人は、少し異なるやり方をしました。例えば、6の場合、左の指3本、右手の指3本を並べて表した。8なら左右4本ずつ指を並べます。そこから倍数表現が生まれました。そして、倍数となる語は、もとの数の母音を変えることによって作ったのだというのです。
7と9は奇数であるから、両手で並べて表すことは不可能である。そこで、7は、
ナナ ナ(並ぶ)ナ(無し)
と表現したというのです。「並べようのない数」だというのです。
同様に、9は、
ココノ コゴ(屈める)ノ(無し)
です。ここで「屈める」とは、指を屈める、つまり指を折って数えることで、これも「計算できない数」の意味だというのです。
1から5までは、次の通り。
1:ヒト (hito) 「太し」の意。太い指(親指)を立てて表すから。
2:フタ (huta) ヒト(ツ)の複数形。
3:ミ (mi) 「多い」の意。「増す」「マスマス」などのm。
4:ヨ (yo) 「イヨイヨ(iyoiyo)増加する」のyo。
5:イツ (itu) 「イト(最)」、「至って」「頂き」のイタ。
白鳥は、父を チチ、トト、テテなどのようにいう例をあげて、日本語では母音が変わっても意味には変化がないとし、頭韻の一致だけを説いています。
1については、初期の論文では、ハジ(端)、ハツ(初)などの「ハ」に通じるものとしていましたが、後に上のように改めたといいます。
3から5までは、いずれも「多い」の意とします。われわれの祖先が、数詞を作り上げるまでには、思いもよらぬほどの長年月を要したでしょう。未開の民族には、3以上の数を「多数」と表現するものがあります。太古の日本語でも、そうした時代があったと考えられます。3以上の数を「ミ」といった時代が幾年続いたかはわかりませんが、さらに大きな数が必要となり、今度は「ヨ」という語が選ばれました。5は、手の指全部をよみ尽くしたことを表し、「至極・絶頂」の義があるとしています。
これが、白鳥説の概要である。白鳥がいうように、倍数関係のある語の間に、fi~fu mi~mu yo~ya のような関連が見いだせるというのは、たしかに不思議な現象であります。現代の学者もこの関係に注目しています。世界言語辞典も日本語の特徴として記していますし、大野晋は、ヨ(4)とヤ(8)の関係を論じ、ヨを「イヨイヨ盛ん」のヨ、ヤを「ますます」の意の副詞の「ヤ」であるといい、ほぼ白鳥説を踏襲しています。
数を倍数的に表す民族がないわけではありません。トーレス・ストレート島のタスマニア人の西部民族の方言では、
2 okosa 4 okosa okosa 6 okosa okosa okosa
だそうであり、オーストラリアのカミラロイ語では、
3 guliba 6 guliba guliba
だそうです。だから、古来の日本人も、6や8を、3や4に関連づけて表したというのは考えられないことではありません。
しかし、3~6では、母音はi~uという対応であるのに対し、4~8では、o~aという対応です。対応の規則が一貫しているわけではありませんし、母音変化で複数をあらわす例が、他に日本語の中にあるわけでもありません。まして、日本人の中に、六を左右三本ずつの指を立てて表したり、八を四本ずつ立てて表したりする風習が残っているわけではありません。
さらに、7(並べられない)、9(屈められない)というのも、かなり苦しい説明であります。「並べられない数」では、具体的にどんな数も表さないし、9は、九本の指を屈めればよいのだから、屈められないとはいえません。また、ミ(3)を「増す」などと母音の違いを無視して説明するのも、日本語では母音に何の分別機能もないことになり疑問です。
白鳥は、東洋史家として著名であり、また数詞に関しては他にたいした説もないので、これまで白鳥説が問題とされてきたのでしょう。しかし、白鳥説はどうも釈然としません。納得性に乏しいので、もう一度、最初から考え直してみた方がよさそうです。
今日はひな祭りです。ひな祭りに食べる食べ物は? と、聞かれたら、何を思い浮かべますか?
古くから伝わる日本の風習には、その日に食べるといいとされる「行事食」と呼ばれる食べ物があります。ひな祭りにも、類に漏れず、行事食が存在します。
ひな祭りは、毎年3月3日に女の子の健やかな成長を祈る行事です。食べ物も、古くから伝わるお祝い料理があります。食材には春の旬のものが使われ、それぞれの料理や色には縁起のいい意味が込められています。
1.ちらし寿司 2、はまぐりのお吸い物 3、菱餅 4、ひなあられ 5、白酒
この5つについて調べてみました。
1、ちらし寿司
ちらし寿司そのものにいわれはありませんが、えび(長生き)、れんこん(見通しがきく)、豆(健康でまめに働ける)など縁起のいい具が祝いの席にふさわしく、三つ葉、卵、人参などの華やかな彩りが食卓に春を呼んでくれるため、ひな祭りの定番メニューとなったようです。
2、はまぐりのお吸い物
はまぐりは、平安時代には「貝合わせ」遊びなどで知られ、ひな祭りの代表的な食べ物です。はまぐりの貝殻は、対になっている貝殻でなければぴったりと合いません。このことから、仲の良い夫婦を表し、一生一人の人と添い遂げるようにという願いが込められた縁起物です。
3、菱餅
緑、白、ピンク(紅)の3色の餅を菱形に切って重ねたものを飾ります。色の意味にはいくつかの説があり、緑は「健康や長寿」、白は「清浄」、ピンクは「魔除け」を意味する説と、緑は「大地」、白は「雪」、ピンクは「桃」で「雪がとけて大地に草が芽生え、桃の花が咲く」という意味が込められているという説があります。緑餅は増血効果があると言われるよもぎを混ぜ、白餅には血圧を下げると言われるひしの実が入り、ピンク餅は解毒作用があると言われるクチナシで色をつけています。また、菱形は「心臓」を表していると言われ、災厄を除こうという気持ちや、親が娘の健康を願う気持ちが込められています。
4、ひなあられ
餅に砂糖を絡めて炒った、ひな祭りの節句の代表的な和菓子のひとつです。ピンク、緑、黄、白の4色でそれぞれ四季を表していると言われています。でんぷんが多く健康に良いことから「1年中娘が幸せに過ごせるように」という願いが込められています。
5、白酒
もともとは桃の花びらを漬けた「桃花酒」というものが飲まれていたと言われています。桃は邪気を祓い、気力や体力の充実をもたらすということで、薬酒のひとつとして中国から伝えられました。江戸時代からは、みりんに蒸した米や麹を混ぜて1カ月ほど熟成させた「白酒」の方が親しまれるようになりました。「白酒」はアルコール度数10%前後のお酒で大人しか飲めないので、子どもにはノンアルコールの「甘酒」がおすすめです。
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藤井六段、竜王戦予選で阿部八段を破る 連勝は13に ―― 将棋の中学生棋士として史上初めて六段に昇った藤井聡太(そうた)六段(15)が1日、大阪市福島区の関西将棋会館であった8大タイトル戦の一つ、第31期竜王戦(読売新聞社主催)の5組ランキング戦に勝利した。1月11日から始まった連勝を13に伸ばした。
この日は阿部隆八段(50)と対戦。対局は午前10時から始まり、午後10時16分、127手で終局した。藤井六段は「難しい将棋で、簡単ではなかった。最後の最後までわからなかった」と振り返った。
8日に同じ関西将棋会館である王将戦1次予選2回戦では、師匠の杉本昌隆七段(49)と公式戦で初めて対戦する。「とても楽しみ。今まで練習で教わってきた時とは違う気持ちで指せるかなと思う」と話した。
日本将棋連盟によると、藤井六段の今年度の成績は、69対局で58勝11敗となった。
竜王戦には全棋士と女流棋士4人、奨励会員1人、アマチュア5人が参加。まず1組から6組に分かれてトーナメントがあり、その後、各組の上位者の計11人で挑戦者決定トーナメントがある。挑戦者は、10~12月には12月に予定される竜王戦七番勝負で羽生(はぶ)善治(よしはる)竜王(47)に挑む。 (朝日新聞DIGITAL 2018年3月1日22時59分)https://www.youtube.com/watch?v=TH9rFVxs6Jo
ウェブニュースより
初の双子関取貴公俊、炎鵬は最速出世/春場所新番付 ―― 日本相撲協会は26日、大相撲春場所(3月11日初日、エディオンアリーナ大阪)の新番付を発表した。
横綱では、西の白鵬(32=宮城野)が横綱在位64場所となり、並んでいた北の湖を抜いて史上単独1位となった。3横綱でただ一人、初場所を皆勤した鶴竜(32=井筒)は、7場所ぶりに東の正位に就いた。東2枚目の稀勢の里(31=田子ノ浦)は5場所連続休場からの復活を目指す。
三役陣は4人。東の関脇御嶽海(25=出羽海)は5場所連続の関脇(三役は7場所連続)。初場所で平幕優勝を遂げた栃ノ心(30=春日野)は10場所ぶりの関脇復帰(三役としては7場所ぶり)となった。小結は、ともに返り咲きで東は17場所ぶり(三役としては16場所ぶり)の逸ノ城(24=湊)、西は21場所ぶりの千代大龍(29=九重)が就いた。
十両からの昇進は、いずれも返り入幕で2場所ぶりの妙義龍(31=境川)、8場所ぶりの英乃海(28=木瀬)、2場所ぶりの碧山(31=春日野)の3人。
新十両は2人。貴公俊(20=貴乃花)は、現師匠(元横綱貴乃花)が04年2月1日に部屋を創設して以降、貴ノ岩、貴景勝、貴源治に続き、貴乃花部屋から4人目の関取。弟貴源治との兄弟関取誕生は史上19組目で、双子は初めての快挙となった。また炎鵬(23)は、宮城野部屋からは石浦以来3年ぶりの新十両で、金沢学院大からは初めて。学生相撲出身では125人目で、初土俵以来、所要6場所での昇進は高鉄山、土佐豊、常幸龍に並ぶ史上1位のスピード出世(58年以降初土俵で幕下付け出しを除く)となった。
関取復帰の再十両は2場所ぶりの矢後(23=尾車)、10場所ぶりの志摩ノ海(28=木瀬)、2場所ぶりの照強(23=伊勢ケ浜)、4場所ぶりの翔猿(25=追手風)、11場所ぶりの明瀬山(32=木瀬)と5人を数えた。また2場所連続休場の十両貴ノ岩(27=貴乃花)は当初、特例措置で十両最下位(14枚目)にとどめるとされていたが、西12枚目にとどまった。
春場所は、3月9日の取組編成会議で初日、2日目の対戦相手が決定。11日の初日を迎える。 [日刊スポーツ 2018年2月26日6時3分]
ウェブニュースより
ネアンデルタール人が描いた? 世界最古の洞窟壁画 ―― スペイン北部の世界遺産のラパシエガ洞窟の壁画が世界最古の洞窟壁画であることが国際研究チームの調査でわかった。現生人類は当時欧州におらず、絶滅した旧人類ネアンデルタール人が描いたものとみられる。22日付の米科学誌サイエンス電子版に発表された。
研究チームはラパシエガ洞窟など3カ所で動物や手形などの線描の部分に含まれる天然の放射性物質を高精度な年代測定法で調べた。三つとも6万4800年以上前に描かれたものだとわかった。
現生人類がアフリカから欧州にやってきたのは4万~4万5千年前とされる。1万数千年前のアルタミラ洞窟(スペイン)や約2万年前のラスコーの洞窟(フランス)など、これまでの洞窟壁画はすべて現生人類が描いたと考えられてきた。
4万年前に描かれたスペイン北部のエルカスティーヨ洞窟の壁画がこれまで最古とされてきたが、さらに2万年さかのぼる古い洞窟壁画と確認されたことで、研究チームは「すでにいたネアンデルタール人が描いた洞窟壁画だ」としている。ネアンデルタール人は現生人類に近い種で、約40万年前に出現し、4万年~2万数千年前に絶滅した。
ラパシエガ洞窟の壁画には線を組み合わせたはしごのような図形もあった。抽象的な考えを具体的な形で表す「象徴表現」の可能性がある。人類の進化に詳しい佐野勝宏・早稲田大准教授は「象徴表現は現生人類のみが生まれつき持つ固有の認知能力という考えが多数派だった。今回の年代が正しければ、ネアンデルタール人にもこの能力があったことになる」と指摘している。 (朝日新聞DIGITAL 2018年2月23日04時00分)
高木菜那「小柄だからこそ」金への原点、美帆の発破 ―― スピードスケートの新種目、マススタートの女子で、高木菜那(25=日本電産サンキョー)が金メダルを獲得した。1回戦1組を5位で通過すると、決勝も勝負強さを発揮。最終カーブでトップに立ち、そのままフィニッシュした。プレ五輪の昨年2月の世界距離別選手権で銀メダルに輝いた得意種目で、21日の団体追い抜きに続く金メダル。日本女子が同一大会で金2個を手にするのは夏季五輪を含めて初めて。
50センチの隙間を高木菜は見逃さなかった。最終16州目の最終コーナー出口。先頭を滑る選手がわずかに外に膨らんで出来たスペースに、155センチの体を傾けながら切り込んだ。「ここで行かなきゃ、いつ行くんだ」。鮮やかに逆転すると、細かなピッチを刻み、フィニッシュラインを駆け抜けた。「やったー!」。両手を突き上げ、叫ぶように、何度も喜びを爆発させた。
頭は冷静だった。1回戦で佐藤が転倒。2人で協力する作戦が使えなくなったが、妹美帆からの「いけるよ!」の一言で、腹をくくった。大柄のオランダ選手の後ろに付き、隠れるようにして体力を温存。幼い頃にサッカーで培った視野の広さも生かし、ラスト勝負で残った足を爆発させた。「美帆だけじゃなく、菜那もいるんだというところを見せられた。本当にうれしい」。表彰台の中央で25歳の笑みがはじけた。
決勝に残った16人で身長は最も低かった。「もう少し大きかったらな」-。中2で背が止まり、悩んだ時期もあった。だが、世界と戦い続ける中で、それはいつしか心の支えにもなった。「この身長でよくやっている」。自分を励ます材料に変えることで、逆境に立ち向かってきた。今回の五輪で採用された新種目。その小柄な体は、選手がぶつかり合うように滑るレースで、最大の武器となった。
昨季痛めた右膝は、限界ギリギリだった。良くなったと思えば、また痛む。朝起きて、何をするよりも先に膝の状態を確かめた。練習ができず、国内での試合でも精彩を欠いた。支えてくれたのは周囲の声だった。トレーナーからは「今は悔しい思いをしてもいい」と背中を押され、五輪選考会前に弱音を漏らすと、美帆からも「もう諦めるの?」とハッパを掛けられた。
妹のような、恵まれた才能があったわけではない。世界と戦うため、1歩ずつ滑りを磨いてきた。高校卒業後に名門・日本電産サンキョーに入社。10年バンクーバー五輪メダリストの長島、加藤が鬼気迫る表情で練習に臨む姿を見て、五輪の意味を知った。「小柄だからこそ、技術を磨く」。この日の金メダルにつながる覚悟の原点だった。
個人で管理栄養士と契約し、メンタルトレーナーもつけた。やれることは全てやってきた。その自信が、2個の金メダルにつながった。5000メートルでは最下位の12位に終わったが、集団の中で滑る団体追い抜き、マススタートでは誰にも負けない輝きを放った。小さな「職人」が、一瞬の切れ味で世界を驚かせた。
◆マススタート 2人1組で滑る他の個人種目と異なり、大勢で一斉に長距離を滑る今大会から実施の新種目。五輪決勝は16人で、1周約400メートルのリンクを16周。内側の練習レーンも使用し、4周ごとの通過順とゴール時の順位に応じた得点の合計で争う。1~3位はゴールの着順と同じになるが、4位以下は獲得ポイントで決まる。個人戦だが、同じ国やチームの選手が協力し合い、優位に進められるかも重要なポイント。 [日刊スポーツ 2018年2月25日8時7分 ]
日本カーリング女子、涙の銅メダル 3位決定戦で英国を下す 吉田知「新しい歴史」 ―― 「平昌五輪・カーリング女子・3位決定戦、日本5-3英国」(24日、江陵カーリングセンター)
23日の準決勝で韓国に惜敗したLS北見の日本は、日本勢初となるメダルが懸かった3位決定戦で英国を下し、銅メダルを獲得した。
予選ラウンドで英国に6-8で敗れた日本は、リード吉田夕梨花、セカンド鈴木夕湖、サート吉田知那美、スキップ藤沢五月が出場した。
中盤5エンドまでは英国が1点リード。日本は第6、第7エンドをブランクエンドとして、有利な後攻で第8エンドを迎えた。第8エンドでは藤沢が最終投で2点を奪いにいったが1点に終わり、同点となった。
第9エンドは英国が後攻。英国はブランクエンドを狙ったが、ミスショットで日本がスチールに成功し、1点をリードした。
第10エンドは英国が後攻。同点ではエキストラエンドで日本が後攻になるため、英国は複数点を狙ってきたが、ミスショット。日本のストーンがナンバー1となり、銅メダルを獲得した。
勝利が決まると、藤沢ら出場メンバーはリザーブの本橋麻里らと抱き合いながら涙。笑顔で肩を組み合い、喜びを爆発させた。
藤沢五月は「私の最後のショットが良くなかったので負けたって思ったんですけど、相手のミスで最後決まって信じられなかったんですけど、良かったです。銅メダルは実感なくて、首に掛からないと実感沸かない」とコメント。
吉田夕梨花は「我慢する展開になるなと思っていた。試合は2時間半でしたがあっという間でした」と振り返り、鈴木夕湖も「正直、私はそんなによくなかった。仕事は投げるだけじゃないので、頑張ってよかった。オリンピックは休みもたまにあったんですけど、大舞台ということで緊張もあった」と興奮気味に話した。
日本勢初のメダルには、吉田知那美は「本当に信じられない。新しい歴史だよって言われて、本当にメダルを獲ったんだと感じた」と笑顔。本橋麻里は「みんなに感謝です。スタッフ、コーチ、選手、応援団、みんなにありがとうって言いたいです」と感謝した。 (デイリー 2018.02.24.)
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藤井六段、昇段後初勝利で12連勝 王座戦二次予選 ―― 将棋の中学生棋士として史上初めて六段に昇った藤井聡太(そうた)六段(15)が23日、大阪市福島区の関西将棋会館で王座戦(日本経済新聞社主催)の二次予選に臨み、六段になって初の公式戦で白星を挙げた。1月11日から始まった連勝はこの日の勝利で12となった。
藤井六段は17日にあった第11回朝日杯将棋オープン戦(朝日新聞社主催)で優勝し、規定により同日付で史上最年少での六段に昇ったばかり。
この日は畠山鎮(まもる)七段(48)と対戦し、96手で勝った。藤井六段は「踏み込まれて、対応が難しく、形勢を損ねた気がしていた。最後まで分からないと思っていた」と話した。六段としての最初の対局だったことについては「意識せずに普段通りと思って臨みました」と答えた。畠山七段は「(藤井六段の指し方は)コンピューターソフトが指すような最新型で、自分が(修業時代に)覚えた形をぶつけてみたいと思った。だが、用意していた順がどれもダメで、本譜は予定変更が多かった。最後、追い込んだように思ったが、ちょっと足りないんですかね」と話した。
https://www.youtube.com/watch?v=SV4i3dVr07w
日本将棋連盟によると、藤井六段の通算成績は78対局、67勝11敗。同じく今年度の成績は68対局、57勝11敗となった。将棋界の記録4部門(対局数、勝ち数、勝率、連勝)で今年度のトップ独占をうかがっている。
将棋の王座戦は、8大タイトル戦の一つ。全棋士と女流棋士4人が参加。一次予選、二次予選のトーナメントがある。二次予選を勝ち抜いた棋士とシード棋士の計16人で挑戦者決定トーナメントを行い、挑戦者を決める。例年9~10月二五番勝負がある。現在のタイトル保持者は、中村太地(たいち)王座(29)。
藤井六段の次の対局は3月1日、関西将棋会館で。竜王戦の予選で阿部隆八段(50)と対戦する。 〈朝日新聞DIGITAL 2018年2月23日23時22分〉
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日本、チーム力で個に対抗=高木美、勝負どころで先導 ―― 【平昌時事】21日に行われたスピードスケートの女子団体追い抜き決勝で、高木美帆(日体大助手)、佐藤綾乃(高崎健康福祉大)、高木菜那(日本電産サンキョー)で臨んだ日本がオランダを破り、初の金メダルに輝いた。残り2周の時点でライバルに0秒45のリードを許す展開だったが、エースの高木美が先頭に立ってペースを上げ、一気に逆転した。
1周400メートルのリンクを6周して争う種目。残り2周でオランダが29秒62、30秒01と失速したのに対し、日本はともに28秒台。高木美が途中から先頭で引っ張った1600メートルからの1周は、前の周より0秒33も速いラップを刻んだ。
相手エースのイレイン・ブストは今大会の1500メートルで金メダル、3000メートルでは銀メダルを獲得。1500メートルで銀メダル、3000メートルで5位の高木美を上回る成績を残しているが、それでも終盤に大きな差が出たのは、チーム力の違いに他ならない。
準決勝で滑った菊池彩花(富士急)を含めた日本の4人はナショナルチームで年間300日以上を一緒に過ごす。脚の運びまでぴたりと合った一糸乱れぬ隊列は日本の強み。誰が先頭でも一定のリズムで滑れるから、余計な力を使わずスピードが維持できる。高木美は「佐藤と姉(高木菜)がいいリズムで滑ってくれて、(終盤まで)体力の消費を最小限に抑えることができた」と仲間に感謝した。
決勝メンバーから外れた菊池は、大一番に向かう3人に「世界で一番美しいラインを描いていこう」と伝えたという。その言葉通りの滑りがリンクで展開され、最終的にはスケート王国に1秒59差で勝利。歓喜の金メダルにつながった。 (jiji.com 2018/02/22-05:45)
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金子兜太さん死去 98歳 「平和の俳句」選者 戦後俳壇けん引 ――現代俳句の第一人者で、本紙「平和の俳句」選者の金子兜太(とうた)さんが二十日午後十一時四十七分、誤嚥(ごえん)性肺炎による急性呼吸促迫症候群のため死去した。九十八歳。埼玉県皆野(みなの)町出身。葬儀・告別式は近親者のみで行う。別途、お別れの会を開く。
中国・上海と埼玉・秩父で幼少年期を過ごした金子さんは、旧制水戸高校(茨城大の前身)時代に本格的に俳句を始めた。東京大経済学部入学後に加藤楸邨(しゅうそん)が主宰する「寒雷」に参加。以後、楸邨に師事した。一九四三年に日本銀行に入行。直後に短期現役士官として海軍経理学校に入校し、翌年、海軍主計中尉となった。
四四年三月、西太平洋の要所・トラック島(今のチューク諸島)に派遣され、第四海軍施設部で兵たんや軍属らの規律維持を担う傍ら、戦時下の島で陸海軍合同の句会を主宰した。敗戦後、捕虜生活を経て四六年十一月に復員。島を去る時のことを詠んだ<水脈(みお)の果て炎天の墓碑を置きて去る>は代表句となった。
四七年、日銀に復職。社会性のあるテーマや素材を扱う社会性俳句運動に共鳴し、「主客」という旧来の俳句の二項対立の観念を超えた新しい詩の創造を目指した。俳句論でも活躍し、「漂泊の俳人」小林一茶、種田山頭火、尾崎放哉らの魅力を再評価した。
六〇年代からは、社会性・抽象性に富む無季の句を提唱する前衛俳句運動の旗手となり、有季定型を主張する中村草田男と論争を繰り広げた。六二年に同人誌「海程」を創刊。八五年から結社誌となった同誌を主宰した。上武大教授(経済学)、現代俳句協会会長(現名誉会長)などを歴任。文化功労者。日本芸術院会員。菊池寛賞。
戦後七十年の二〇一五年から、作家のいとうせいこうさんとともに本紙「平和の俳句」の選者となり、一七年八月に高齢の影響で自ら退任するまで務めた。戦場の現実を知る者として生涯、平和の大切さを訴え続けた。
句集に「少年」(現代俳句協会賞)、「両神」(詩歌文学館賞)、「東国抄」(蛇笏賞)など、俳句論や自伝に「今日の俳句」、「わが戦後俳句史」、「語る 兜太」、「他界」など著書多数。著作集「金子兜太集」(全四巻)がある。代表句は<彎曲(わんきょく)し火傷し爆心地のマラソン><朝はじまる海へ突込む鴎(かもめ)の死><暗黒や関東平野に火事一つ><梅咲いて庭中に青鮫(あおざめ)が来ている><おおかみに螢(ほたる)が一つ付いていた>など。
◆戦争体験 平和への執念
<評伝> 「俺は百五十まで生きるんだ」。ついこの前まで目の前で豪語していた金子兜太さんが、九十八歳で逝った。俳句への情熱と平和への執念、二つの強烈な思いに貫かれた人生だった。
俳句の原点は、故郷・秩父(埼玉県)にある。秩父音頭を今の形に整えた父伊昔紅(いせきこう)さんは医師で、水原秋桜子(しゅうおうし)と親交の深い俳人。句会で家に集う粗野な若者たちの、むき出しの「知的野生」に触れた原体験は、俳句の道へとつながった。
旧制水戸高校で俳句を始め、東京帝国大(現東大)時代に加藤楸邨(しゅうそん)に師事。戦後「社会性俳句」「前衛俳句」の旗手となり「五七五の十七音と季語」という俳句の常識を「拘束に転化している」と批判し「(季語ではない)ドラム缶も俳句になる」と主張した。「荒凡夫(あらぼんぷ)」小林一茶が理想で、花鳥諷詠(かちょうふうえい)を超える人間くさい句を詠んだ。晩年はより自然体の作風になり、自然や鳥獣と交歓するアニミズムの境地を深めた。
もうひとつ人生に大きな影響を与えたのは戦争体験だった。海軍主計中尉として昭和十九(一九四四)年、西太平洋トラック島(現チューク諸島)に赴任。部下が飢えや爆撃で死んでいくさまを目の当たりにし、戦場の真実を胸に刻んだ。
「自分の俳句が、平和のために、より良き明日のためにあることを願う」
五五年に三十六歳で出した最初の句集「少年」のあとがきで、金子さんはこう書いている。平和への思いは筋金入りだった。
いとうせいこうさんとともに本紙「平和の俳句」の創設を提案し、自ら選者を務めたのも、平和への思いからだ。「詩の言葉の中に『平和』もある。これは俳句にとっては一つの黎明(れいめい)になるんじゃないか」「常識を超えないと面白くない」と、力強く話していた。
「きれいごとを言っている人間は信用しないんだ」と言って、常に庶民の側に立った「存在者」。九十五歳を超えて論争し、フランス料理のフルコースを完食した強靱(きょうじん)な個性は、晩年まで輝き続けた。 〈東京新聞 2018年2月21日 朝刊〉
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小平、滑らか加速で金=仲間の後押し受け快挙-平昌五輪 ―― 【平昌時事】18日に行われたスピードスケートの女子500メートルで日本女子初の金メダルを獲得した小平奈緒(相沢病院)は「日々、自分超え」を胸に刻み、より速く滑ることに心血を注いできた。その結果、低地リンクで世界初の36秒台という勲章も手にし、「周りが何も見えないぐらいうれしかった」と感慨に浸った。
今大会最初の種目は12日の1500メートル。6位入賞と上々の滑り出しとなったが、体に中長距離の滑り方が残った。「ゆっくりというか、1500のリズムになっていた」と小平。世界記録保持者として臨んだ14日の1000メートルでは序盤にやや出遅れ、銀メダルにとどまった。
17日に急きょ練習時間を変更し、男子短距離の山中大地(電算)と滑って「500のモード」に切り替えた。500メートルでカギを握るのは最初の100メートル。山中のすぐ後ろの位置から同時にスタートし、背中を追い掛けながら素早く加速する感覚を取り戻した。
結城匡啓コーチは「50メートルぐらいまで食らい付いていた。いい刺激が入ったかな」と効果を語る。本番のレースでは滑らかに加速し、「スケートが体の真下に入ってくる感覚がすごく良かった」。銀メダルの李相花(韓国)にわずかに後れを取ったが、出場選手中2番目の10秒26でその後の滑りにつなげた。
小平は普段から練習で山中と隊列を組み、男子のスピードに少しでも近づこうとしてきた。「チームメートがいないと、独りでは練習ができなかった」。結城コーチだけでなく、練習仲間の後押しを受けた快挙達成だった。 (jiji.com 2018/02/19-11:42)
ウェブニュースより
羽生連覇、宇野と表彰台=日本勢メダル9、海外開催最多〔五輪〕 ―― 【平昌時事】平昌五輪第9日は17日、フィギュアスケート男子のフリーが行われ、ショートプログラム(SP)首位の羽生結弦(ANA)が男子66年ぶりとなる連覇を果たした。今大会の日本勢金メダル第1号。冬季五輪で日本選手の個人種目連覇は初めて。五輪初出場の宇野昌磨(トヨタ自動車)も銀メダルを獲得した。
日本勢の今大会のメダル獲得数は9(金1、銀5、銅3)。前回ソチ五輪の8を上回り、海外開催の冬季五輪では最多獲得数となった。過去最多のメダル数は1998年長野五輪の10。
カーリングの日本女子は中国に6-7で初黒星を喫したが、OARを10-5で破って通算4勝1敗。日本男子はイタリアを6-5で下し、通算2勝2敗とした。ジャンプ男子個人ラージヒルは21歳の小林陵侑(土屋ホーム)が10位に入ったのが日本勢最高。竹内択(北野建設)は22位、小林潤志郎(雪印メグミルク)は24位。ソチ五輪銀メダルで45歳の葛西紀明(土屋ホーム)は2回目に進めなかった。
ショートトラックでは、男子1000メートルで坂爪亮介(タカショー)が5位に入った。日本男子が個人種目で入賞したのは2006年トリノ大会以来で3大会ぶり。吉永一貴(愛知・名古屋経大市邨高)は準々決勝で敗退した。女子1500メートルでは菊池純礼(トヨタ自動車)が11位。フリースタイルスキー男子エアリアル予選では田原直哉(ミルキーウェイ)が決勝に進めなかった。 (jiji.com 2018/02/17-23:35)
藤井五段、羽生2冠に勝利=将棋・朝日杯準決勝、公式戦初対局制す ―― 第11回朝日杯将棋オープン戦準決勝が17日、東京都内で行われ、中学生の最年少棋士、藤井聡太五段(15)が公式戦初対局となる羽生善治2冠(47)=竜王、棋聖=に119手で勝ち、同日午後の決勝に進出した。対戦相手は広瀬章人八段(31)に決まった。
藤井五段は15歳6カ月で、優勝すれば加藤一二三・九段(78)が持つ一般棋戦の最年少優勝記録(15歳10カ月)を更新し、規定により六段に昇段する。
朝日杯は持ち時間各40分の早指し棋戦。藤井五段は1月の準々決勝で佐藤天彦名人(30)を破って準決勝に進出していた。
羽生2冠は昨年12月に前人未到の永世7冠を達成し、13日に国民栄誉賞を受賞したばかり。2人はこれまでに非公式戦で2回対局し、1勝1敗だったが、公式戦初カードは藤井五段が将棋界の最高峰を押し切った。
https://www.youtube.com/watch?v=NB8FX4H8OZ4
藤井五段は2016年10月にプロ入りし、負け知らずのまま昨年6月に将棋界の最長記録となる29連勝を達成。その後も勝ち星を重ね、今年度の対局数、勝数、勝率で全棋士中トップを走っている。今月1日に順位戦の昇級を決め、五段に昇段したばかりだが、朝日杯で優勝すれば規定によりわずか16日で六段昇段となる。 〔 時事通信社 2018年2月17日 13時41分 (2018年2月17日 23時57分 更新)〕
藤井五段が朝日杯OP優勝 史上初の中学生V&六段昇段 ―― 将棋の朝日杯オープン戦決勝戦が17日、東京・有楽町朝日ホールで行われ、藤井聡太五段(15)が広瀬章人八段(31)を破って優勝した。15歳6カ月での一般棋戦優勝は史上最年少記録で、史上初の中学生での全棋士参加棋戦優勝。また、五段昇段後の全棋士参加棋戦優勝により、同日付で六段に昇段。2月1日に順位戦C級1組昇段決定による五段昇段から、わずか15日での再昇段となった。
午前中に行われた準決勝では、憧れの存在と公言していた羽生善治竜王(47)を破った藤井新六段。決勝では、10年に23歳の若さで王位を獲得し、順位戦では現在もA級に所属する強豪・広瀬八段だったが、加速する15歳の勢いはとどまるところを知らなかった。https://www.youtube.com/watch?v=4up5v1ZtF3s
藤井新六段は、準決勝に続いて先手番に。戦型は得意の角換わり腰掛け銀となった。序盤から落ち着いた駒組みで、中盤ではすでにやや優勢とみられる状態に。そのままリードを保ち続け、最後は自慢の終盤力を存分に発揮して勝利をたぐり寄せた。
過去の一般棋戦優勝の最年少記録は、加藤一二三九段が1955年度の「六、五、四段戦」で達成した15歳10カ月だったが、これを4カ月更新。また、全棋士参加棋戦優勝は同じく加藤九段が1957年に高松宮賞争奪選手権戦で達成した17歳0カ月が最年少記録だったが、こちらは1年6カ月の更新となり、中学生での六段昇段も史上初となった。
sechin@nethome.ne.jp です。
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