昨日は久しぶりに桜橋を渡って長命寺の桜餅を買いに行きました。この長命寺の桜餅の店に正岡子規が学生時代に間借りしていたと言います。ほんの数カ月のことらしいですが、この間隅田川のほとりを楽しみつつ短歌を詠んだのでしょう。
午後は川崎在住のSご夫妻が訪ねて下さいました。奥様が福岡在住のN家と縁続きのようで、そんなことからS氏も中村クリニックネット句会のメンバーとなられたようです。
私が南一郎平について調べたブログをプリントしたものをお渡しすると、ご先祖のことについて話して下さり、話のきっかけが出来ました。
S氏は大変多才の方で、水墨画ではかなりの腕前のようです。いずれも入賞作品だという水墨画の写真を2枚頂戴しました。一枚は南禅寺水路閣、もう一枚は李白の「月下独酌」を水墨画にしたものでした。
色々と話も弾みましたが、午後5時ごろ川崎に向けて帰られました。隅田川の周りを少しご案内しようかと思っていたのですが、気温も低くそのうち雨模様になったてきましたので、言問橋西のたもとでお別れしました。
今朝ほど南禅寺水路閣と李白の「月下独酌」について調べてみました。
福岡在住の甥の紹介で、川崎在住のSご夫妻が我が家を訪ねて下さることになりました。 甥の話によるとS氏のご先祖は何でも疎水開発の先駆者でかなり有名な方だということで、インターネットで少々調べさせて頂きました。
https://www.youtube.com/watch?v=uIydBqpAShw
南一郎平は、天保7(1836)年、宇佐市金屋の庄屋の子として生まれました。当時、一郎平の住む駅館川流域の台地は水不足で畑地としてしか利用されておらず、父・宗保は西国筋郡代(日田代官)塩谷大四郎の広瀬井手事業に協力していました。しかし、事業は困難で完成を見ないまま安政3(1856)年、宗保が死去します。一郎平は、「米を作り地域を豊かにするように」との宗保の遺言から、米を作るにはまず水を引くことと水利事業に取り組むことになりました。
一郎平は「一日学」「自彊不息」を座右の銘に努力を続け、誰も不可能だった広瀬井手を完成させました。
広瀬井手完成後は、安積、那須、琵琶湖と明治の三大疎水といわれる工事にかかわり、疎水事業の父と言ってもよい活躍をしています。のちに広瀬井手完成を感謝した地元の人からのお米の提供を断るなど、人々を豊かにすることに生涯を捧げました。
※「一日学」:今日一日だけはと努力し続けると、一生続けて学ぶことができること
※「自彊不息(じきょうふそく)」:休みなく努力し、自己を強化すること
※「井手(いで)」:田に水を引き入れるために川の流れをせき止めてある所のこと。 用水路のこと
広瀬井手
広瀬井手は、宇佐市院内町広瀬の取水口からはじまり、宇佐市長洲まで総延長17キロに達する水路です。難所が多く、4度工事が中断されています。
広瀬井手の総事業費は三万六千両とされており、この事業費の多くを日田の豪商・広瀬久兵衛から借用しました。当初は三千両の借用でしたが、難工事のため借金を重ね一万両以上を借りることになりました。一郎平は同時に公金も数千両借りており、借金は全部で二万両になったとされています。
明治2(1869)年、資金の尽きた一郎平は長崎総督府に広瀬井手工事の助けを求めました。総督府は松方正義日田県知事に調査させ国の事業としました。この調査によって一郎平の高い技術力を知った松方は、広瀬井手完成後、内務省の技師として一郎平を採用することとなります。
明治6(1873)年、約120年の歳月をかけて完成した広瀬井手により、水不足で粟や稗などしかできなかった駅館川東岸の台地は肥沃な水田地帯に変わりました。
三大疎水
明治8(1875)年、一郎平は松方正義に招かれて内務省の土木部門で働くこととなり、安積疎水(福島県)、那須疎水(栃木県)、琵琶湖疎水(京都府)の工事にかかわりました。
安積疎水は、明治15(1882)年に開通し、水利が悪かった安積平野を肥沃な穀倉地帯に変えました。一郎平は政府の命を受け、東北の開墾地調査を行った段階からかかわり、測量、設計、工事監督に従事するなど、現在までの安積疎水の基礎を作り上げました。
那須疎水は、保水性が悪く、灌漑用水どころか飲料水にすら事欠いていた那須野ヶ原に開削されました。一郎平は総監督として指揮にあたり、約16kmにおよぶ本幹水路を5ヶ月で完成させました。
琵琶湖疎水は、明治維新による東京遷都により衰退していく京都の産業振興を図ろうと計画されました。一郎平は京都府の依頼により現地に赴いて、琵琶湖からどのように水を引いたらよいか、通水を始めると琵琶湖の水位がどの程度下がるかなどを調査しました。この調査結果をまとめた「琵琶湖水利意見書」「水利目論見表」をもとに工事が進められました。
このように一郎平は、三大疎水事業に大きな足跡を残しています。
ウェブニュースより
藤井六段、屋敷九段に勝ちベスト8 次戦は羽生竜王と深浦九段の勝者/王座戦挑決T ―― 将棋の最年少棋士・藤井聡太六段(15)が5月7日、第66期王座戦挑戦者決定トーナメントで、屋敷伸之九段(46)に勝利し、同トーナメントでベスト8に進出した。高校に進学した2018年度は、これで4戦4勝。次戦は羽生善治竜王(47)と深浦康市九段(46)の勝者と対戦する。
王座のタイトルは昨年、中村太地王座が初めて獲得。トーナメントは一次予選、二次予選を勝ち抜いた棋士、シード棋士の16人で行われる。佐藤天彦名人、久保利明王将、渡辺明棋王、菅井竜也王位ら、現在開催中の叡王を除く7つのタイトルホルダーが顔を揃えるほかベテラン、若手の実力者が顔を揃える超ハイレベルなトーナメントとなっている。
対局後に藤井六段は「常にバランスの取り方が難しい将棋でした。(ベスト8は)これからもずっと強敵が続くので気を引き締めていきたいと思います」とコメントした。 (Abema TIMES 2018.05.07 21:19)
https://www.youtube.com/watch?v=jIxX8vkg11k
篠山在住の姪から昨日のブログへのコメントが入りました。どうもありがとう。
早速、櫛田神社の記事を拝見させてもらいました。
ウェブニュースより
福博包む祝うたァ 博多松囃子が櫛田を参拝 稚児西流が伝統の舞披露 ―― 「祝(いお)うたァ」-。福博の街に威勢のいい祝賀の声がこだました。「博多どんたく港まつり」が開幕した3日の朝、祭りの起源である「博多松囃子(まつばやし)」の一行は、まず福岡市博多区上川端町の櫛田神社を参拝した後、市内に繰り出し、日ごろ世話になった商家や企業、個人宅などを回った。
同神社では、午前8時すぎ、拝殿前で稚児西流(ながれ)が伝統の稚児舞を披露。囃子方の男児らの演奏と大人たちの地謡(じうたい)に合わせ、5人の舞姫が優雅に舞った。
続いて、境内の中神門前に、博多松囃子振興会の役員らと、福神、恵比須(えびす)、大黒の各流と稚児西流の関係者が馬上の三福神とともに勢ぞろい。同振興会の古川史郎会長が「櫛田神社のますますの弥栄(いやさか)と、神職のみなさまの健康と多幸を祈念します」との口上を述べ、全員で「祝うたァ」と唱和すると、阿部憲之介宮司は「整然とマナーを守った行動で、博多の素晴らしさや伝統の深みというものを市民や観光客に披露してほしい」と呼び掛けた。 =2018/05/04付 西日本新聞朝刊=
福岡在住のDr.H.Nが、Facebookにコメント付きで、動画を投稿していました。曰く、
博多どんたく
福岡に40年近く住んでいるが、有名などんたくをほとんど生で見た事なかった。今日すごい観客の中、はじめて30分くらいみてきました。一言で言うならこれは単なるパレードですね。阿波踊りや、ソーラン節と比べたら、面白みに欠けるような気がします。100万人も人を集めるのが不思議だな。ブツブツ言いながらビデオに撮りました。
https://www.facebook.com/nakamura.med.clinic/videos/1528460123946893/
博多どんたくは正式名称は「福岡市民の祭り 博多どんたく 港祭り」といい、その源流は、博多松囃子とされています。松囃子(まつばやし)とは小正月(旧暦1月15日)に新年を祝福して行われていた行事ので、松の内に行う囃子なので、松拍子、松拍とも言われます。
博多の豪商神屋宗湛の『宗湛日記』によれば、文禄4年10月29日(グレゴリオ暦1595年11月30日)に筑前領主小早川秀秋の居城であった名島城へ博多の町人が松囃子を仕立て年賀の祝いを行ったと記されているのが最古の記録であるといいます。これによれば古くは正月でなく10月の行事だったことになります。
この博多松囃子は、貝原益軒の『筑前国続風土記』によると、治承3年(グレゴリオ暦1179年)に病没した平重盛に博多の者が恩(日本で最初の人工港「袖の湊」造営などの)を謝すため始まったと伝えられます。
他に異説として、元日節会が平安時代に各地方に伝わりますが、博多にも伝わり現地の人々がそれを発展させたのが始まりという説や、京都の松囃子の習慣が室町時代に博多に伝播したのが始まりという説もありますが、確かな起源は定かではありせん。
博多松囃子は明治維新後も同様に続きますが、1872(明治5)年11月になると、「金銭を浪費し、かつ文明開化にそぐわない」という理由から、正月の松囃子は禁止、天長節(天皇誕生日)などを祝うようにという通達が、県から出されます。(※この時、博多祇園山笠や盆踊りも禁止とされています。)
再開したのは、1879(明治12)年のことでした。松囃子は「どんたく」と名前を変え、紀元節(建国記念日)などに、街に繰り出しました。
1915(大正4)年からは、招魂祭の4月30日と5月1日に行われるようになります。
その後、暫く続いた博多どんたくも、1938(昭和13)年を最後に、中断の時期を向かえます。
終戦後の1946(昭和21)年5月、「博多復興祭」として松囃子とどんたくが復活します。翌1945(昭和22)年には、花電車(3台)が走り、仮設舞台(16ヶ所)も設置されました。現在の博多どんたくの形が生まれたのは、この時になります。
どんたくとは、オランダ語で日曜日を表す「Zondag(ゾンターク)」がなまったものだそうです。この言葉は、明治政府制定の祝日を指す言葉として政府が広めたものと言われ、主に四大節を指していました。
博多松囃子は正月の祝いを禁止されると、明治政府が制定した祝日を祝うようになりました。このことから、どんたくという名称が用いられたと考えられています。
ウェブニュースより
卓球日本女子、中国に敗れ47年ぶりの世界一ならず ―― <卓球:世界選手権団体戦>◇5日◇第7日◇スウェーデン・ハルムスタード◇決勝トーナメント
女子の日本が47年ぶりの世界一を逃した。決勝で最強、中国と対戦し、1-3で敗北。世界ランク7位伊藤美誠(17=スターツ)、同3位石川佳純(25=全農)、同6位平野美宇(18=日本生命)の3人娘は奮闘したが大金星はならなかった。
1番手の伊藤が、同10位の劉詩雯に1-2とリードを許したが、フルゲームの末、3-2と逆転勝ちして、先勝した。2番手の平野は、同11位でリオ五輪金メダルの丁寧に0-3で敗れて1-1のタイに。3番手の石川は同2位の朱雨玲に0-3と連敗。1-2と追い込まれた日本は2番手の平野が再登場。劉に0-3とストレート負けし、1-3で中国に敗れた。日本は3大会連続の銀メダルに輝いた。
卓球王国に敗れ、47年ぶりの金メダルこそ逃したが、価値ある銀メダルだ。この日はストレート負けしたものの、主将を務めた石川の存在感は光った。経験豊富なキャリアをいかし、10代の選手をリード。3大会連続の銀メダルに導いた。
石川がチームの主将を馬場監督から伝えられたのは2月のチームW杯。ただ、その時は心に不安を抱えていた。若手の台頭は伊藤、平野だけじゃない。今回控えに回っている早田や長崎もおり、日に日に勢いを増している。2年後に迫ってきた20年東京五輪出場に向けた選考基準が気がかりだったが、3月中旬に日本連盟が過去の大会のように代表3人のうち2人は20年1月の世界ランキング上位者から選出する方針を決めた。「すっきりした」と自分が強くなることに集中できる環境が整った。
練習も変わった。毎日7時間の打ち込み、苦手のカットマン対策にも取り組んだ。高速卓球を求め、フィジカルもさらに強化した。4日の南北合同チーム「コリア」戦では、カットマンでリオ五輪で敗れたキム・ソンイ(北朝鮮)と対戦し3-2で下し、成果を見せた。
3大会連続の銀メダル。主将が背中で引っ張った成果でもあった。石川は「内容は最悪、チームに貢献できず、申し訳ない」と涙を流したが、主将としてチームを率いたことに「成長できた」と話した。
★伊藤の話 (劉に)勝ったことは自信になった。苦しい練習をしてきて良かった。
★平野の話 負けて残念。結局自分のミスで申し訳ない。悔しい。 [日刊スポーツ 2018年5月6日0時34分]
ウェブニュースより
日本女子メダル確定 卓球・世界選手権団体戦 ―― 【ハルムスタード(スウェーデン)=共同】世界選手権団体戦第5日は3日、当地で決勝トーナメントが行われ、女子の日本は準々決勝でウクライナに3-0で快勝し、3大会連続の銅メダル以上が決まった。4日の準決勝で南北合同チーム「コリア」と対戦する。
第1試合で伊藤美誠(スターツ)が3-2で競り勝って流れをつくると、第2試合は石川佳純(全農)、第3試合は平野美宇(日本生命)がストレート勝ちした。
男子で2大会連続の決勝進出を目指す日本は、1回戦で香港に3-0で勝ち、8強入りした。第1試合は張本智和(エリートアカデミー)が3-0で快勝。第2試合は水谷隼(木下グループ)が3-1で勝ち、第3試合は丹羽孝希(スヴェンソン)がストレート勝ちした。4日の準々決勝では韓国と対戦する。
◆石川がけん引 頼れる主将
1次リーグの初戦で快勝したウクライナを準々決勝で再び退け、日本女子が3大会連続のメダル獲得を決めた。主将の石川は「落ち着いてプレーできた。まずはほっとしている」とひと安心。フルゲームと苦しみながら勝ち抜いた1番手の伊藤の後に登場し、ストレート勝ちで日本に弾みをつけた。
1次リーグで日本戦に出場しなかったカット主戦型のビレンコと対戦。粘り強く返球してくる相手に根負けせず、勝負どころを見極めてフォアハンドを力強く打ち込んだ。1、2ゲーム目をいずれも11-5で取り、リズムに乗って攻め続ける。3ゲーム目も相手を封じ込め、11-2と一方的だった。
リオデジャネイロ五輪の女子シングルス初戦でカット主戦型のキム・ソンイ(北朝鮮)に敗れて以降、カット対策を強化。パワーをつけ、より決定打をたたき込めるようになった。3月のドイツ・オープン決勝でもカット型の選手に勝利。「今は得意かなと自分自身も言える」と苦にしない姿を見せつけた。
準決勝の「コリア」戦では、キム・ソンイと対戦する可能性もある。2月のワールドカップ団体戦では勝ち切ったが、「練習の成果を見せるとき。何回やってもリベンジという気持ちで戦おうと思っている」と士気は高かった。 (東京新聞 2018年5月4日 朝刊)
日本女子、「コリア」撃破 中国と決勝 ―― 【ハルムスタード(スウェーデン)=共同】世界選手権団体戦第6日は4日、当地で行われ、女子の日本は準決勝で韓国と北朝鮮による南北合同チーム「コリア」を3-0で下し、3大会連続の決勝進出を決めた。中国とぶつかる5日の決勝では47年ぶりの優勝を目指す。男子の日本は準々決勝で韓国に1-3で敗れ、4強入りを逃した。
第1試合は伊藤美誠(スターツ)が田志希(チョン・ジヒ=韓国)を3-0で、続く石川佳純(全農)がキム・ソンイ(北朝鮮)に3-2で競り勝った。
第3試合は平野美宇(日本生命)が梁夏銀(ヤン・ハウン=韓国)を3-1で退けた。
男子の日本は準々決勝で韓国と顔を合わせ、第1試合は張本智和(エリートアカデミー)は2-3で競り負け、続く水谷隼(木下グループ)が3-2で勝利。3番手の松平健太(同)が1-3で敗れ、起死回生を狙った4番手の水谷も0-3で敗れた。
石川「重圧」打ち抜く 予期せぬ相手にも勝負強さを見せつけた。準決勝で韓国と北朝鮮の合同チーム「コリア」に勝ち、銀メダル以上を確定させた日本。「いつもと違う注目をされている中で勝ちたい気持ちがあった」。主将の石川が宿敵との激闘を制し、チームに流れを引き寄せた。
先陣を切った伊藤が鮮やかなストレート勝ちを収めた後の一戦。リオデジャネイロ五輪で敗れた北朝鮮のキム・ソンイが立ちはだかった。第2ゲーム途中までは石川のペース。しかしカット型の返球に加え、機を逃さず攻撃に転じる相手にてこずり、フルゲームにもつれ込んだ。
最終5ゲーム目。台の角に当たって得点が奪われる不運などもあり、9-10と先に追い込まれた。ジュースに持ち込んでからもシーソーゲームが続く。「何度も心が折れそうになったが、最後まで自分を信じられた」。懸命に腕を振って13-14から3連続得点で勝利。飛び跳ねて喜んだ。
8強入りのチーム同士が合体すれば、戦力がアップしたと捉えるのが普通だろう。本来なら1チームのみでよかった対策も練り直しを迫られた。「誰が出てくるのか、あまり分からない状態だった」と3番手の平野は率直に振り返る。想定外の事態にこそ、鍵になるのは精神力。主力の3人がぶれずに戦い抜いた。
「明日が本当に大一番だと思って私たちはやってきた」と石川は次戦を見据える。残るは決勝のみ。1971年名古屋大会以来となる金メダルをつかみ取りにいく。 (東京新聞 2018年5月5日 朝刊)
戦後の「日本国憲法」は国民のための次の3つの基本理念が盛り込まれました。
1.国民主権:国の政治は国民で行う権利があること
2.平和主義:戦争はもうしないと決められた
3.基本的人権の尊重:人間らしく生きる権利を国民はもつこと
これは単なる憲法の改正ではなく、それまでの日本の全てをひっくり返す大革命でした。本日5月3日の「憲法記念日」は日本で最も重要で意味のある祝日なのです。
ウェブニュースより
憲法施行71年 各党が憲法記念日談話を発表 ―― 日本国憲法の施行から71年になる3日、各党が憲法記念日に合わせて談話を発表した。自民党が「憲法改正の発議を目指す」と主張し、立憲民主党が「憲法を改めるなら、必要性について具体的な事実に基づいて検討されることが必要不可欠だ」と指摘するなど、それぞれが憲法改正へのスタンスを明らかにした。
自民党
自民党が3日の憲法記念日に合わせて発表した声明は以下の通り。
本日、憲法記念日を迎えました。わが党は結党以来、現行憲法の自主的改正を目指し、党内外で自由闊達(かったつ)な議論を行い、数々の試案を世に問い続けてまいりました。
これらの知見や議論をもとに、国民の皆様に問うにふさわしいと判断された四つの項目、すなわち、①安全保障に関わる自衛隊②統治機構のあり方に関する緊急事態③一票の較差(かくさ)と地域の民意反映が問われる合区解消・地方公共団体④国家百年の計たる教育充実について、精力的に議論を重ね、本年3月末に、各項目の条文イメージ(たたき台素案)について、一定の方向性を得ることができました。
今後わが党は、この案をもとに衆参両院の憲法審査会で議論を深めるとともに、各党や有識者のご意見も踏まえながら、憲法改正原案を策定し、憲法改正の発議を目指して参ります。
何よりも大切なことは、国民の皆様のご理解を得て、慎重に進めて行くことであります。わが党が先頭に立って活発な国民運動を展開し、自らの未来を自らの手で切り拓(ひら)いていくという気概で、憲法改正の議論をリードしていく決意です。
立憲民主党
立憲民主党の枝野幸男代表が3日の憲法記念日に合わせて発表した談話は以下の通り。
本日、日本国憲法の施行から71年を迎えました。
日本国憲法の核である「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」は、戦後、日本国民が長い年月をかけて育み、定着させてきたものです。日本の自由と民主主義、平和と繁栄の土台となっている日本国憲法の歩みを重く受け止め、本日の憲法記念日をお祝いします。
日本の中には、現行憲法を一字一句変えるべきでない、議論をすることそのものを改憲への入り口として拒否する、いわゆる「護憲派」と、権力行使を容易にし、国民の義務規定の創設や、国民の権利を制限する方向の憲法改正を主張する、いわゆる「改憲派」の二つの大きな流れがあります。
しかし、憲法を改めようとするのであれば、このような思想的、観念的・抽象的な議論ではなく、憲法の規定が原因で、政策遂行に支障が生じることがあるのか、あるいは憲法に規定がないことによってどのような不都合が生じるのかなど、その必要性について具体的な事実に基づいて検討されることが必要不可欠です。
いま日本国憲法は、大きな危機に瀕(ひん)しています。
森友学園問題、加計学園問題、PKOの日報問題等にみられる文書改ざんと隠蔽(いんぺい)は民主主義の根幹を揺るがす非常に深刻な問題です。
基本的人権の中でも、特に重要な人権である表現の自由が民主主義のプロセスにとって有効に機能するためには、その前提として、国民が十分かつ正確な情報に接していることが必要不可欠です。民主主義の前提となる「知る権利」について議論を深め、公文書管理や情報公開の在り方を正していきます。数の力で、この国のかたちを歪(ゆが)める安倍自民党政権に、立憲民主党は正面から対峙(たいじ)してゆきます。
憲法記念日にあたり、立憲民主党は、権力を制約し、国民の権利の拡大に寄与するとの観点からの憲法の論議、立憲主義の観点からの憲法論議、「立憲的憲法論議」を深めることを、改めてお約束致します。
希望の党
希望の党の玉木雄一郎代表が3日の憲法記念日に合わせて発表した談話は以下の通り。
本日、71回目の憲法記念日を迎えました。
私たちは、「国民主権」、「基本的人権の尊重」、「平和主義」といった日本国憲法の基本原理が広く国民に受け入れられ、戦後、わが国に自由と民主主義が定着したことを高く評価しております。
私たちは、日本が戦後ずっと追求してきた平和主義を、絶対に守り続けます。安倍政権のように、従来の憲法解釈を恣意(しい)的に変更し、歯止めなく自衛権の範囲を拡大する立場はとりません。他方で、厳しさを増す安全保障環境の中で、現実的な対応も示さなければ、安心して政権を任せていただける責任政党にはなり得ません。国民の生命・財産、わが国の平和と安全はしっかり守りつつ、「専守防衛」の立場を堅持し、直接わが国に関係のない紛争への関与は抑制するという立場を明確にしていきます。
自民党は、3月、戦力不保持を定めた9条2項を維持しつつ自衛隊を明記する改憲条文案をまとめました。しかし、自衛隊が行使すべき自衛権の範囲・条件が全く示されない中で、9条に自衛隊だけを書き込むのは不誠実です。私たちは、平和主義・専守防衛の範囲の中で、軍事的公権力の行使にいかに歯止めをかけるのかという自衛権の本質から、議論をしていきます。
この他にも、自民党は、緊急事態条項の新設や、参院選の合区解消、教育充実について改憲条文案をまとめました。しかし、これらは必ずしも国民から湧き上がった課題ではありません。党利党略も見え隠れしています。しかも、安倍内閣は、「改憲ありき」で拙速に改憲論議を進めようとしており、これでは国民の理解は到底得られません。
私たちは、立憲主義に基づき、現行憲法の三原則をより担保する観点から、丁寧に議論を行います。具体的には、「官治・集権」から「自治・分権」へと転換するための「地方自治」のあり方や、安倍内閣が選挙に勝つために繰り返してきた大義なき衆議院の解散を防止するための「解散権の制約」などを優先的に、未来志向の憲法を構想する論議を主導して参ります。
公明党
公明党が3日の憲法記念日に合わせて発表した声明は以下の通り。
きょうは、71回目の憲法記念日です。
日本国憲法が施行された1947年当時、国土は荒廃し物資も不足する苦しい戦後復興期でしたが、翌48年施行の「国民の祝日に関する法律」によって、5月3日が「日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する」と定められたように、国民は懸命に国造りを進めてきました。その結果、民主主義を定着させ、平和国家として世界からの信頼を広げ、経済大国として世界に貢献できる国となりました。
公明党はわが国発展の基礎となった日本国憲法を、優れた憲法として高く評価しています。憲法の国民主権主義、基本的人権の尊重、恒久平和主義の3原理は、「人類普遍の原理」というべきもので、現在わが国が直面している諸課題に対しても、乗り越えるための理念になり得ると考えています。3原理は将来とも変えるべきではありません。
こうした憲法の価値をさらに高めるためには、不断の努力で憲法の法規範を守り抜かなくてはなりません。
昨年来から、官僚による行政文書のずさんな管理が問題になっています。「国民共有の知的資源」と公文書管理法が定めている行政文書をおろそかに扱うことは、国民の代表である国会が担う行政監視機能の軽視であり、国民主権主義に反します。徹底して原因を究明し、再発防止を図る必要があります。
昨年7月に国連で核兵器禁止条約が採択され、新しい時代が始まりました。公明党は、この条約が核の非人道性を根拠として「核兵器は違法」との規範を初めて打ち立てたことを高く評価します。
唯一の戦争被爆国として核廃絶をめざす日本は、現実には日米安保体制の下、米国の「核の傘」にわが国の安全保障を依存しています。この中で選択すべき道は、条約に反対する核保有国と、条約を推進した国々との間にできた深い溝を埋めるための「橋渡し役」として、核軍縮を具体的に進める役割を担うことです。
核保有国、非保有国双方の有識者からなる「核軍縮のための賢人会議」を独自に設置した日本政府としては、同会議が提言したように、双方の対話を促進し、核軍縮の確かな方法を探る努力をすべきです。
公明党は、憲法も法規範である以上、新しい時代に対応した改正があってしかるべきと考えます。憲法の施行時には想定できなかった新しい価値観や、憲法改正により解決すべき課題が明らかになれば、公明党は、現憲法を維持した上で、必要な規定を付け加える形の「加憲」という方法を主張しています。
憲法9条1項、2項は、憲法の平和主義を体現するもので、今後とも堅持します。
9条については、2年前に施行された平和安全法制が、9条の下で許容される専守防衛のための「自衛の措置」の限界を明確にしました。この法制の整備により、現下の厳しい安全保障環境であっても隙間のない安全確保が可能になったと考えています。今大事なことは、わが国の平和と安全を確保するための、平和安全法制の適切な運用を積み重ね、国民の理解をさらに得ることと考えます。
また、改憲の手続きを定めた国民投票法についても、すでに公職選挙法が累次の改正で期日前投票や洋上投票など投票環境の改善を実現しており、国民投票法も改正してそのレベルに合わせることが不可欠です。
公明党は、憲法改正論議のあり方について、衆参両院の憲法審査会で議論を深め、政党間で幅広い合意を得ながら、国民理解の成熟を伴っていくことが重要だと考えています。公明党は引き続き真剣に憲法論議に臨んでまいります。
民進党
民進党の大塚耕平代表が3日の憲法記念日に合わせて発表した談話は以下の通り。
本日、日本国憲法の施行から71年を迎えました。現行憲法の「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」という三大理念は、国民が大切に育んできたものであり、平和と繁栄を享受する国家を築き上げ、自由と民主主義を深く根づかせる礎となってきました。これまでの国民の歩みを重く受け止め、現行憲法の意義と役割を再確認し、本日の憲法記念日を心から祝したいと思います。
現行憲法に照らし、政治の現状は憂慮すべき事態となっています。前文には「国政は、国民の厳粛な信託によるもの」と記され、国民の代表者から構成される国会は第41条に「国権の最高機関」と定められています。その国会に対し、第72条によって国会への報告義務と行政の指揮監督義務が課されている内閣総理大臣が、隠蔽(いんぺい)・改竄(かいざん)を伴う国会報告や相次ぐ行政の不祥事を看過し、その責任もとらない事態に至っています。
さらに、憲法53条の臨時国会召集義務違反、憲法7条の解散権濫用(らんよう)、憲法9条の恣意(しい)的・便宜的な解釈の変更など、現在の政権及び政府・与党が、憲法を軽視し、憲法を蹂躙(じゅうりん)する事例は枚挙に暇(いとま)がありません。
「正しい」とは何か、「正義」とは何か、それは絶対的には断定できないことです。だからこそ、事実を公開・共有し、熟議を尽くし、少数意見も傾聴し、権力は抑制的に行使する。この民主主義の基本に照らし、現在の政権及び政府・与党は、日本の民主主義と現行憲法にとって暴挙と言える過ちを重ねています。
与党では憲法9条の改正を含む改憲案が検討されているようですが、かかる暴挙を繰り返す内閣総理大臣が掌理する政府、及び総裁を務める与党の下で、現行憲法の改正を議論することはできません。現在の内閣総理大臣、政権及び政府・与党が憲法改正を議論することは不適切と言わざるをえません。
現行憲法は前文において「主権が国民に存する」ことを宣言しています。憲法は、主権者たる国民自らが制定し、「国のかたち」を示す根本規範です。憲法改正は落ち着いた環境の中で、国民が改正の論点や内容を十分に理解したうえで、広く合意を得て行われるべきものです。憲法改正の国民投票に際した運動・広告規制や投票方法のあり方について懸案が残る中、拙速な憲法改正論議を容認することはできません。
憲法記念日にあたり、民進党は、現行憲法を遵守(じゅんしゅ)しない現在の政権及び政府・与党の姿勢を正すことに全力を尽くすとともに、立憲主義と憲法の三大理念を守りつつ、地方分権の推進、新しい人権の保障、解散権を含めた権力濫用の抑制など、時代の要請に応じた未来志向の憲法を積極的に議論していくことを改めてお約束いたします。
共産党
共産党の小池晃書記局長が3日の憲法記念日に合わせて発表した談話は以下の通り。
一、今年の憲法記念日は、安倍首相が9条改定にあくまで執念をみせる一方、安倍政権のもとでの憲法改悪を許さないという国民多数の世論が高まるなかで迎えた。
自民党は、先の党大会で、9条2項の後に、「前条の規定は、自衛の措置をとることを妨げるものではない」として、自衛隊を明記する条文案をまとめた。「自衛の措置」には集団的自衛権が含まれる。まさに、9条2項が死文化され、無制限の海外での武力行使まで可能にするもので、到底許されるものではない。
安倍政権は、違憲の戦争法=安保法制を強行し、政府も憲法上認められないとしてきた空母の保有を検討し、長距離ミサイルを導入して敵基地攻撃能力保有にまで踏み出している。その一方で、南スーダンやイラクの「日報」を隠ぺいし、海外での自衛隊の活動、「戦場の真実」を隠し、シビリアンコントロールも大きく崩されている。この政権のもとで憲法9条を変えることの危険性は明らかである。
いまこそ、安倍政権による9条改憲の策動をきっぱりと断念させるときである。
一、憲法記念日の直前となった4月27日、韓国と北朝鮮との南北首脳会談が実現し、朝鮮半島の非核化と平和体制の構築に向けた画期的な第一歩を踏み出した。これにつづく米朝首脳会談の準備もすすむなか、北朝鮮問題の解決は対話と外交によるしかないし、その可能性が現実に広がっている。
これに対して、安倍首相は、北朝鮮の核開発は「国難」だとまで言い切って脅威を煽(あお)りつつ、憲法9条改定の必要性と軍事力強化を声高に叫んできたが、こうした対話否定、圧力一辺倒で、主体的な外交戦略のない路線の破たんはいよいよ明瞭となっている。
今日、対話による平和的解決の歴史的チャンスが生まれているもとで、日本政府に求められているのは、平和憲法を持つ国にふさわしく北東アジアの平和と安定を実現する積極的な外交努力に踏み出すことである。
一、いま、国政私物化、公文書の改ざん・隠ぺい・ねつ造、セクハラ問題、幹部自衛官による国会議員への暴言など、安倍政治は底が抜けたような状態にある。安倍政権は、秘密保護法、戦争法=安保法制、共謀罪と、次々と違憲立法を強行してきた。憲法を壊してきた安倍政権に憲法を変える資格も、語る資格もない。 変えるべきは憲法でなく、憲法をないがしろにした政治である。そのためには、憲法改悪を許さない国民の世論と運動が決定的に重要であり、現在、党派の違いを超えて全国津々浦々で取り組まれている3,000万署名が、その最大の力になる。
日本共産党は、市民と野党の共闘で安倍政権を総辞職に追い込み、安倍改憲の企てを打ち破り、世界に誇る日本国憲法の進歩的な諸条項を生かした新しい日本をつくるために全力をあげる決意である。
日本維新の会
日本維新の会の松井一郎代表が3日の憲法記念日に合わせて発表した談話は以下の通り。
日本国憲法施行から71年。今、改正の機運が高まっている。国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の三原則が定められた日本国憲法は、国際社会における日本の地位を高める役割を果たしてきたが、憲法制定当時には想定できなかった問題も生じている。国民的課題としてこれらを深く議論し、必要であれば憲法を改正することが民主主義のあるべき姿であると考える。
日本維新の会は、教育の無償化、統治機構改革、そして憲法裁判所の設置の3項目について、2年前に具体的な憲法改正文案を国民の皆さんに提示した。これら3項目は、わが国における課題解決の切り札になると考える。
また、現行憲法について重要な点は、制定に際し国民投票が行われなかったことにある。国民主権を掲げる憲法が、国民投票を経ていないことは大いなる矛盾である。国民が主権を行使する国民投票を実施して、真に国民の定めた憲法にする。これが私たち国民の憲法のあるべき姿であると考えている。
今後、憲法改正の発議と国民投票の実施に向けて、国民の皆さんに我が党の改正原案への理解を求めるとともに、各党と真摯(しんし)な協議を行うことで、憲法がこれからの日本の礎として、国民にとって一層価値あるものとなるよう議論を尽くしていくことをここにお約束する。
自由党
自由党の小沢一郎代表が3日の憲法記念日に合わせて発表した談話は以下の通り。
歴史が証明するように、時として「権力」は暴走する。個人を弾圧し、人権を抑圧することもある。だからこそ国家権力を縛り、権力を抑制的に、真に国民のために行使させるべく「憲法」というものがある。憲法とは、いわば長い歴史を持つ人類の英知の結晶である。
時の権力者による権力の私物化や乱用は枚挙に暇がない。人類の歴史とは、まさにそうしたものとの闘いの歴史であったと言っても決して過言ではない。
ところがいま、安倍政権による権力の私物化や乱用が顕著であり、この国の政治や行政は、立憲主義で想定される最悪の状況となっている。
そのうえ「憲法はその国の歴史や伝統、文化を表すものであり、今の日本国憲法は敗戦により外国から押し付けられたものだから、すぐ変えるべきだ」といったことを、情緒的かつ短絡的に主張する人たちもいる。最大の問題は、他ならないこの国の総理大臣もその1人ということである。
憲法を活(い)かすも殺すも、その国の国民次第。自由党はこの国の未来のため、立憲主義、民主主義の崩壊を止めるため、全力を尽くす。そして、そのことを国民に粘り強く訴えていきたい。
日本国憲法の施行より71年。憲法記念日にそのことを強く思う。
社民党
社民党が3日の憲法記念日に合わせて発表した談話は以下の通り。
1.本日、71回目の憲法記念日を迎えました。「主権在民、平和主義、基本的人権の尊重」を三原則とする日本国憲法は、国民一人ひとりの尊厳を守り、平和と民主主義、国民生活の向上を導いてきました。また「不戦の誓い」は、国際社会とりわけアジア近隣諸国からの信頼を得る支柱となってきました。しかしこれまで暴走を続ける安倍政権の下で、憲法の理念や条文が踏みにじられてきました。そして、安倍首相はいよいよ総仕上げとも言える明文改憲に踏み出そうとしています。社民党は、改憲ではなく、憲法を活(い)かし、憲法が保障する国民の諸権利や暮らし、平和を守る政治の実現に邁進(まいしん)することを改めて誓います。
2.安倍首相が昨年表明した「2020年改憲」に沿って、自民党は、9条への自衛隊明記、緊急事態条項の追加、参議院選挙区の合区解消、教育の充実の「重点4項目」について条文素案をまとめました。しかし、これまで「一票の較差(かくさ)」是正や教育の格差解消に後ろ向きだったのは自民党であり、重点項目に挙げる資格はありません。また、災害時に重要なことは事前の準備と現場の裁量であり、内閣への権限集中ではないはずです。9条以外の3項目は憲法を変えなくても立法や財源の手当てで十分できる課題です。安倍政権の本当の狙いは、戦力の不保持・交戦権の否認を謳(うた)う憲法9条2項を死文化して、2015年に強行した「戦争法」を合憲化しようとするものであり、9条改憲に根強く反対する国民感情を薄める口実として聞こえのいい課題を加えたに過ぎません。
3.これまで安倍政権は、特定秘密保護法の制定、集団的自衛権の行使容認の閣議決定、「戦争法」の施行、いわゆる「共謀罪法」の強行成立、日米同盟の強化と自衛隊の軍備増強など、9条改正への地ならしを行ってきました。憲法9条に自衛隊が明記されれば、災害救援・「専守防衛」の自衛隊がアメリカと一緒になって世界中で闘う軍隊へと様変わりしてしまいます。イラクや南スーダンPKOに派遣された自衛隊の日報隠ぺいの発覚が、事実上の戦場派遣とシビリアンコントロールの機能不全を知らしめました。自衛隊を憲法に明記することは、こうした事態を容認することにもなります。社民党は、安倍改憲の狙いや問題点、危険性を広く国民に訴え、改憲に反対する世論を大きく盛り上げて、今年中に想定される憲法改正案の発議を何としても阻止する決意です。
4.アメリカの軍事行動を容認し、共同訓練を実施するなど、米国に追随し危機を煽(あお)ってきた安倍首相は、朝鮮半島情勢の緊迫化を「国難」と称し、自らの政権維持と改憲の世論づくりに利用してきました。今、朝鮮半島は、先月27日には10年半ぶりの南北首脳会談が実現し、史上初となる米朝首脳会談が6月初旬にも予定されるなど、対話による緊張緩和の動きが急速に進んでいます。平和憲法を持つ日本こそ、朝鮮半島の緊張緩和と非核化に積極的な役割を果たすことが求められていたにもかかわらず、制裁・圧力一辺倒を主張してきた安倍首相は大きな情勢変化の蚊帳の外に置かれ、韓国の文在寅大統領や米国のトランプ大統領に「拉致」問題もお願いする他なく、外交自体行き詰まりを見せています。
5.「憲法が時代に合わない」とは詭弁(きべん)にすぎません。日本国憲法の人権規定の豊富さと徹底した恒久平和主義は、国際的にも大きな意義を有する先駆的規範であり、全世界の国民に平和的生存権を保障した「不戦の誓い」は世界の羨望(せんぼう)を集めています。社会保障制度や労働法制の改悪、TPP11の推進、辺野古新基地建設の強行、原発推進と被災者支援の打ち切りなど、政府・与党の進める施策は憲法の理念や条文に背いています。国民生活を踏みにじる一方で、森友学園に関する公文書改ざん、加計学園への安倍首相の関与疑惑、裁量労働に関するデータねつ造など、国民主権を冒瀆し、民主主義を根幹からゆるがす数々の疑惑・不祥事には開き直る安倍政権そのものが改められるべきであって、変えるべきは憲法ではありません。世論調査でも安倍首相の下での改憲に反対が多数となるなど、多くの人々が危機感を持ち、憲法を守り活かす活動は確実に大きく広がっています。社民党は、憲法改悪に反対する広範な人々とともに全国各地で運動を盛り上げ、平和と民主主義を築いてきた憲法の長い歴史を閉ざすことのないよう、改憲阻止に向け全力でたたかいます。
(朝日新聞DIGITAL 2018年5月3日01時05分)
ウェブニュースより
日本女子、3連勝で決勝Tへ=男子はイングランドに苦杯-世界卓球 ―― 【ハルムスタード(スウェーデン)時事】卓球の世界選手権団体戦第2日は30日、スウェーデンのハルムスタードで1次リーグが行われ、日本女子は開幕3連勝でB組の3位以内が確定し、決勝トーナメント進出を決めた。C組の男子はベラルーシを3-0で下した後、イングランドに1-3で敗れて通算2勝1敗となった。
日本男子はイングランド戦で、水谷隼(木下グループ)が先勝したが、張本智和(エリートアカデミー)と丹羽孝希(スヴェンソン)がストレート負けし、水谷も4番手では競り負けた。 (JIJI.COM 2018/05/01-07:55)
日本男子、イングランドに敗れ初黒星 張本「本当にひどい試合」/卓球 ―― 卓球の世界選手権団体戦第2日は4月30日、スウェーデンのハルムスタードで行われ、男子で1次リーグC組の日本はイングランドに1-3で敗れて今大会初黒星を喫し、2勝1敗となった。イングランドは3連勝。
第1試合を水谷隼(木下グループ)が3-2で競り勝ったが、第2試合で張本智和(エリートアカデミー)、第3試合で丹羽孝希(スヴェンソン)がともにストレート負け。第4試合は水谷が2-3で敗れた。(共同)
水谷隼の話
「ほとんどいいところがなかった。接戦になれたのが不思議なくらい。悔やまれる。(ピッチフォードは)4、5ゲーム目はかなり凡ミスも多かったが、チャンスを自分が全然生かせなかった」
張本智和の話
「本当にひどい試合だった。揺さぶりたかったが、逆に自分がやられてしまった。引きずってもどうしようもない。(1日に)勝って決勝トーナメントにつなげたい」
丹羽孝希の話
「3選手のうちで一番やりづらい相手だった。(イングランドは)実力以上のものを出してきて、団体戦の難しさを感じた。目標は優勝なので、どこの国と当たっても勝てるように頑張りたい」
倉嶋洋介・日本男子監督の話
「(張本は)自分のペースをつかめないと、ああいう(完敗の)試合になってしまうところが課題。修正していく能力がまだまだ。目の前の試合を一つずつ勝っていきたい」
(SANSPO.COM 2018.5.1 08:21)
昨夜は8時から、卓球の世界団体選手権の女子をみました。まあ、なんと伊藤・石川・平野と3人ともに3―0で勝ち、まことにあっけない試合でありました。
ウェブニュースより
卓球・世界団体選手権、日本は男女とも白星発進 ―― 卓球の世界団体選手権は29日、スウェーデンのハルムスタードで開幕し、日本は男女とも1次リーグ初戦を3―0で白星発進した。
B組の女子はウクライナを相手に、1番手の伊藤美誠(スターツ)、2番手の石川佳純(全農)、3番手の平野美宇(日本生命)がともに3―0のストレート勝ちを収めた。
C組の男子はベルギーを退けた。エースの水谷隼(木下グループ)が背中の張りで欠場したが、史上最年少の14歳で全日本選手権を制した張本智和(エリートアカデミー)、丹羽孝希(スヴェンソン)、松平健太(木下グループ)がそれぞれ勝った。
1次リーグは24チームが4組に分かれて総当たり戦を行い、各組上位3チームが決勝トーナメントに進む。試合方式はシングルス(5ゲーム方式)のみで、3戦先勝制で行われる。
試合時間わずか1時間足らずの完勝で、日本女子が白星発進。ウクライナが主力を温存してきたことを差し引いても、日本の状態の良さが光った。
1番手は全日本女王の伊藤美誠。「全く緊張せずに、すごく楽しみだった」と語る通り、第1ゲームは0―1から8連続得点。カット主戦型の相手に強打を連打し、ストレート勝ちを決めた。2番手の石川佳純、3番手の平野美宇も持ち味の攻撃力を発揮し、寄せ付けなかった。「自信を持って戦えた」と初出場の平野は振り返った。
「勢いに乗りたい初戦で、良い試合ができた」と主将の石川は笑顔を見せた。過去2大会は連続銀メダルの日本。打倒中国に向け、好スタートを切った。 (朝日新聞DIGITAL 2018年4月30日01時30分)
谷川翔「美しい体操」で頂点=昨年22位から躍進-全日本体操 ―― 王者の11連覇を阻んで王座に就いたのは、一番手とみられた白井ではなく19歳の谷川翔だった。10年前に内村が初優勝した時と同じ年齢で頂点へ。身長154センチと小柄な新王者は「優勝したという実感はないけど、いい流れに乗って演技ができた」とはにかみながら話した。
スタートからゆか、あん馬と得意種目が続いた。ゆかの跳躍技はほとんどずれずに着地し、あん馬でも旋回にひねりを加えたE難度の技を大きな動きで決めるなどミスのない演技。「あん馬を終えていい波に乗れた」。その後も大崩れしない安定感が光った。
白井のように難度の高い大技をこなすのではなく、技の出来栄えを示すEスコアで得点を稼ぐタイプ。兄の航を追って順大に入学した昨年は、腰の痛みなどもあって22位止まり。しかし、痛みを抱えながら地道に完成度を高めてきた成果が、大きく花開いた。
「美しい体操」を目標に掲げるのは、内村と同じ。「これで満足せず、2020年東京五輪、その後の五輪とトップでいけるようにしたい」と気を引き締めた谷川。内村の後継者と呼ぶにはまだ早いが、2年後に向けて楽しみな若手が躍進を見せた。 (JIJI.COM 2018/04/29-19:16)
ウェブニュースより
小池百合子都知事、土俵であいさつ 浅草の「泣き相撲」で ―― 東京都の小池百合子知事は28日、東京・浅草の浅草寺で行われた「泣き相撲」で土俵に上がり、あいさつした。「『土俵に上がっていいんですか』とお尋ねしたところ(主催者側は)『どうぞどうぞ』ということだった」と述べ、土俵の「女人禁制」議論の盛り上がりを意識した発言で会場を沸かせた。
京都府舞鶴市での大相撲春巡業で市長が倒れた際、救命処置をした女性に土俵から下りるよう促す場内放送が問題となった際、小池氏は定例会見で「(救助を)行ったことは素晴らしい」とたたえた一方、大相撲の都知事賞表彰のため自身が土俵に上がることには「エネルギーを割くつもりはない」と述べていた。(産経ニュース 2018.4.28 16:57)
八角理事長 土俵上の女人禁制について今後アンケート調査などで継続審議の意向示す ―― 日本相撲協会の八角理事長(元横綱・北勝海)は28日、土俵上が女人禁制であることについて談話を発表。過去の歴史を振り返るとともに、今後はアンケート調査などを行い継続審議する意向を示した。以下、八角理事長の全談話。
兵庫県宝塚市で行った巡業では、宝塚市の中川智子市長に、土俵下に設けたお立ち台からのあいさつをお願いしました。市長に不快な思いをさせ、誠に申し訳なく恐縮しております。
あいさつや表彰などのセレモニーでも、女性を土俵に上げない伝統の例外にしないのはなぜなのか、協会が公益財団法人となった今、私どもには、その理由を改めて説明する責任があると考えます。
この問題は過去にも議論されたことがありました。そうした折りに歴代の理事長や理事は、だいたい次の3つの理由を挙げてきました。
第一に相撲はもともと神事を起源としていること、第二に大相撲の伝統文化を守りたいこと、第三に大相撲の土俵は力士らにとっては男が上がる神聖な戦いの場、鍛錬の場であること、の3つです。
第一の「神事」という言葉は新道を思い起こさせます。そのため、「協会は女性を不浄とみていた神道の昔の考え方を女人禁制の根拠としている」といった解釈が語られることがありますが、これは誤解であります。
大相撲には土俵の吊屋根など神道に由来するものが数々あり、協会はこれらの様式を大相撲の伝統文化を表すものとして大事にしております。また各地の由緒ある神社においては、大相撲の力士が招かれる奉納相撲が長年にわたり行われています。
しかしながら、大相撲にとっての神事とは、農作物の豊作を願い感謝するといった、素朴な庶民信仰であって習俗に近いものです。大相撲の土俵では「土俵祭(神様をお迎えする儀式)、神送りの儀」など神道式祈願を執り行っています。しかし、力士や親方ら協会員は当然のことながら信教に関して自由であり、協会は宗教におおらかであると思います。歴代の理事長や理事が神事を持ち出しながらも女性差別の意図を一貫して強く否定してきたのは、こうした背景があったからです。
先に述べた3つの理由は、私どもの胸中に混ざり合っています。ただし多くの親方たちの胸の中心にあったのは、第三の「神聖な戦い、鍛錬の場」という思いではなかったかと思います。
昭和53年5月に、当時の労働省の森山真弓・婦人少年局長からこの問題について尋ねられた伊勢ノ海理事長(柏戸)は、「けっして女性差別ではありません。そう受け取られているとしたら大変な誤解です。土俵は力士にとって神聖な闘いの場、鍛錬の場。力士は裸にまわしを締めて土俵に上がる。そういう大相撲の力士には男しかなれない。大相撲の土俵には男しか上がることがなかった。そうした大相撲の伝統を守りたいのです」と説明いたしました。
のちに女性初の内閣官房長官となられた森山氏に、平成21年1月に面会した出羽ノ海理事(佐田の山)は、「女性が不浄だなんて思ってもいません。土俵は力士が命をかける場所ということです」と述べました。
土俵は男が必死に戦う場であるという約束ごとは力士たちにとっては当たり前のことになっており、その結果として、土俵は男だけの世界であり、女性が土俵に上がることはないという慣わしが受け継がれてきたように思います。
当然のことですが、私どもがこだわりを持つのは、大相撲の土俵に限ります。大相撲の原型となった勧進相撲が盛んになったのは江戸時代の中ごろです。関取の大銀杏と締め込み、部屋制度のもとでの男の共同生活などとともに、土俵は男の戦いの場という約束ごとも、江戸の大相撲以来の伝統です。力じまんの男たちが強さを追求するにはこれらの伝統のすべてが欠かせないと、私どもは先人から教え込まれてきました。
平成16年から3年間、東海大学体育学部の生沼芳弘教授らが大相撲の観客の女人禁制に関する意識調査を行ったことがありました。大相撲の土俵の女人禁制に反対しないと答えた人はどの年も6割以上、表彰の時に女性が土俵に上がれないことにも反対しないと答えた人は5割以上いらっしゃいました。 この問題につきましては、私どもに時間を与えていただきたくお願い申し上げます。生沼教授らの調査から10年がたちました。再度調査を行い、外部の方々のご意見をうかがうなどして検討したいと考えます。何とぞ、ご理解をたまわりたく存じます。 [Sponich Annex 2018年4月28日 15:56 ]
日本における史上最古の取り組みは、野見宿禰(のみすくね)と当麻蹴速(たいまのけはや)とされています。
長い歴史だけでなく、協会の体質が旧態依然のせいか。相撲はとにかく「伝統を厳守」してきた競技、あるいは神事と思われがちですが、そんなコトはありません。
実は、時代に応じた柔軟な変革こそ、相撲の本質であり、これまでも技に制限がかけられたり、経営業態も変化するなど、多くの変遷を伴って継続してきたのです。特に明治以降は、生き残りをはかるために様々な変革を求められてきました。なんせ150年前の明治維新で、一度、潰れそうになっているのです。
実は女性が土俵にあがることを禁じたのは、この明治以降の流れにあります。女性が裸体で相撲を取ることは風俗上好ましくない。相撲の品格向上のために禁止し、そこに「穢れ」という理由をもっともらしく結びつけた――そう考えるのが最も自然です。意外かもしれませんが、女相撲は古代から存在しています。雄略天皇が「女官に相撲をとらせた」という記録も残っているほどです。
女相撲は興行として続けられ、現在もスポーツとして続けている選手も存在します。相撲が、歴史や伝統を重んじるとなれば、女性の土俵入りを否定するのはおかしい。矛盾しています。
女性の穢れという発想は「血盆経信仰」が由来で、その中身はひどく理不尽なものです。女性は出産時の出血や月経血で地神を穢し、その穢れを帯びた水で諸聖に茶を煎じ、料理を作り、不浄を重ねてしまう。すべての女は「血の池」地獄に堕ちるという理屈です。男だってケガすりゃ流血するでしょうよ。同じ血じゃないですか。この『血盆経』とは、10世紀頃中国で作られた「偽教典」です。
本来の仏典には関係ない、世俗化の過程で広まったデタラメ思想にもかかわらず、仏教の広がりとともに、日本中に広まってしまったのです。要は、単なる差別的なウソなんです。
21世紀にまで公然と「穢れ」の概念を持ちだし、女性にだけ適用しているのは、せいぜい相撲界くらいではないでしょうか。
今日から春の大型連休ゴールデンウィークが始まります。
かつては、4月29日(天皇誕生日)、5月3日(憲法記念日)、5月5日(こどもの日)に土日をからめた連休でしたが、1988年に5月4日が「国民の休日」、2007年に「みどりの日」となったことから、更に魅力を増しています。(4月29日は、1989年から「みどりの日」、2007年から「昭和の日」に)
年によっては祝日と日曜日が重なって振り替え休日があったり、メーデーの5月1日がお休みの会社もあるようです。
今ではすっかり定着している『ゴールデンウィーク』という言い方ですが、その語源・由来は何なのでしょうか? そして、いつ、誰が名付けたのでしょうか?
ゴールデンウィークについて調べてみました。
この和製英語『ゴールデンウィーク』の語源・由来には諸説あるようですが、有力なのが、映画会社が名付けた宣伝用語だという説です。
当時獅子文六による小説『自由学校』が『朝日新聞』に1950年5月26日から12月11日まで連載され評判を得ました。映画化にあたっては松竹、大映とが競作、同じ週に封切られる異例の作品となりました。また、5月初めの連休に公開され、2作品とも興行成績がよかったため、「ゴールデンウィーク」という用語が生まれたといいます。
映画会社「大映」にとって創設以来最高の売上を記録しました。多くの観客が期待できるお正月映画やお盆映画を上回る興行成績を残したことから、より多くの人にこの期間に映画を見てもらおうと、当時大映で取締役を務めていた松山英夫氏が命名したと言われています。
始めは『黄金週間』と呼ばれていたものが、『ゴールデンウィーク』に変わったともいわれています。『ゴールデンウィーク』は和製英語の宣伝用語であり、命名早々の1952年(昭和27年)~1953年(昭和28年)には早くも一般に広まり、映画業界以外でも使われるようになったようです。
今では広く世の中で使われている『ゴールデンウィーク』という言葉ですが、NHKでは使用していません。この期間中にNHKのニュースをご覧になるとわかりますが、『(春の)大型連休』という言い方をしています。
これは、NHKが公共放送であり公平性を担保するために、元々映画会社の宣伝用語である『ゴールデンンウィーク』という言葉を当初から使っていなかったことが、現在まで引き継がれているものと考えられます。
ただ、命名した当時からはかなりの年月が経ち、映画業界の宣伝用語ではなく一般的な言葉として広く定着しているにもかかわらず使っていないのは、現在では一部の企業が『ゴールデンウィーク』という言葉を商標登録しているからかもしれません。
sechin@nethome.ne.jp です。
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